エピソード 5ー3
ルチアを両親の元へ届けると約束してからほどなく、アリアドネのもとに来客を告げる知らせがあった。それを耳にするなり、応接間に通すようにと指示を出す。
それからアリアドネが応接間に足を運ぶと、すでにレオノーラが待ち構えていた。
彼女はアリアドネに気付くとソファから立ち上がる。
「ご無沙汰しておりますわ、アリアドネ皇女殿下。戦争の行く末は、貴女がおっしゃったとおりになりましたね」
優雅なカーテシー。けれど、彼女の表情は硬い。戦争の行く末は、というアクセントから、それ以外が想定外なのではと指摘しているのだと理解する。
(偽聖女の件を言っているのでしょうね)
レオノーラに聖女を引き渡すと宣言した。その直後に国内で聖女が見つかり、しかもその聖女が偽物だという騒ぎへと発展した。アリアドネがその偽聖女を自分に引き渡すつもりだったと、レオノーラが疑うのは当然だ。
「心配せずとも、取引に変更はありませんわ」
動揺を見せずに答えれば、彼女は少し考える素振りを見せた。
「……まさか、あの聖女は本物? だとすれば、その聖女を我々に引き渡すために、偽物に仕立て上げた……?」
「不正解ですわ。ですがレオノーラ王女殿下、貴女はやはり優秀ですね」
「不正解なのに、私を優秀だとおっしゃるのですか?」
皮肉っているのかと、彼女の表情が問うている。
アリアドネはふっと小さな笑みを浮かべた。
「どのみち、貴女は知ることになるでしょう。そして箝口令を敷く立場になる。だから、いまのうちにお話ししておきましょう」
アリアドネはソファに座り、レオノーラに向かいの席を勧める。
そうしてレオノーラに伝えるのは、聖女を事前に保護したという事実。そして、聖女の痕跡を消すために、偽の聖女を生み出したという事実だ。
それを聞き終えたレオノーラは信じられないと目を見張った。
「……そんなこと、出来るはずが……」
「あら? なぜそう思うのですか?」
「なぜって、だって、それが出来ると言うことは……」
誰よりも早く、それこそ噂が発生するより早く、聖女を保護する必要がある。最初から聖女の存在を知ってでもいない限り不可能な計画だ。
「まさか、貴女もまた、聖女……なのですか?」
レオノーラの呟きに、アリアドネは少し驚いた。未来予知でもしなければ不可能な行動。その理由として、聖女だからという可能性に至ったのは彼女が初めてだ。
「面白い発想ですが違います。私はただの亡国の皇女ですから」
方々から突っ込まれそうなことを真顔でのたまうアリアドネ。ならばと理由を問うレオノーラに対し、アリアドネは「それより――」と指を鳴らす。
直後、ルチアが部屋に入ってきた。
「貴女は、あのときのメイド……」
「紹介しましょう。彼女の名前はルチア。かつて、人攫いに拐かされたスノーホワイト男爵家の娘で、紛うことなき本物の聖女ですわ」
「スノーホワイト男爵家? それに、彼女が、聖女……?」
レオノーラは理解が追いつかないと目を白黒させる。
「一つずつ説明いたしましょう。彼女がアヴェリア教国の出身だと言うのは以前に話したとおりですね。そして、あれをご覧ください」
アリアドネがそう口にすれば、アシュリーがルチアからネックレスを預かり、それをそのままレオノーラへと差し出した。
「そのネックレスは、彼女を保護した孤児院の院長が着服していたものです。それを取り返したことで、彼女の身元がスノーホワイト男爵家だと発覚したんです」
「……なるほど。これはたしかに、スノーホワイト男爵家の紋章ですね。身元が確認できれば、スノーホワイト男爵はとても感謝するでしょう。あの家はたしか……」
レオノーラの呟きに、アリアドネは知っていると無言で頷いた。
スノーホワイト男爵家は、小さな土地しか持たない下級貴族だ。しかし、ある中立な侯爵家の分家にあたり、ルチアはその侯爵の孫娘として可愛がられていた。
つまり、ルチアを取り戻すことは、侯爵家の後ろ盾を得るに等しい。
「貴女は、最初からそのことを知って……?」
「さきほども申したとおり、知ったのはネックレスを目にしたときですわ」
嘘ではない。
ただ、そのネックレスを見たときというのが、回帰前だというだけである。
「……まあいいでしょう。それは私にとっても悪い話ではありません。いえ、むしろ私にとってのいい話です。ですが、彼女が聖女というのは……?」
「事実です。ですが、確認は自国でお願いします。せっかく存在を隠したのに、この国で聖女の存在が明るみに出ては意味がありませんから」
偽聖女の騒動を引き起こしたのはウィルフィードを陥れるためであり、本物の聖女を隠すためでもあった。ここで聖女の存在をちらつかせる訳にはいかない。
「おっしゃることは理解できますわ。けれど、彼女が本物の聖女だと確認できなければ、どのような取引に応じることも出来かねます」
「ええ、もちろん。レオノーラ王女殿下、貴女が取引に応じるのは、彼女が本物の聖女だと確認できた後で問題ありませんわ」
聖女鑑定の儀は、アヴェリア教国へ移送後だ。にもかかわらず、取引を交わすのは、聖女鑑定の儀を終えたあとでかまわないと口にした。
口約束で差し出すには、聖女はあまりにも大きな存在だ。レオノーラはいぶかしげな視線をアリアドネに向ける。
「貴女はなにを考えているのですか?」
「この戦争を終わらせることです」
「戦争を終わらせると言っても、ギャレットは好戦的な性格です。現在の立場を考えても引くことはあり得ないでしょう。もっと情勢が悪化すれば、話は変わってきますが……」
その頃には、アヴェリア教国は大きな被害を受けているだろう。その未来を憂い、レオノーラはわずかに表情を曇らせた。
だが、それが分かっていても、いまの彼女に戦争を終わらせるだけの力はない。国王が病に伏すいま、実権を握っているのはあくまで第一王子であるギャレットだから。
けれど――
「アヴェリア教国は宗教国家ですもの。アヴェリア教を後ろ盾に得ることが出来れば、ギャレット王子殿下を失脚させることもたやすいでしょう?」
「彼女の力を借りて、アヴェリア教を味方につけろと、そうおっしゃるのですか? それが出来るのなら、たしかに不可能ではありませんが……」
レオノーラは視線をルチアへと向けた。
それにあわせ、アリアドネもまたルチアへと視線を向けつつ口を開く。
「彼女の実家であるスノーホワイト男爵領は戦渦に巻き込まれる可能性の高い地域です。だから、彼女はそれを止めたいと言っています」
「それは……本当なのですか? 自分がどれだけ危険なことをしようとしているか、理解していますか? 戦争の渦中に飛び込むのですよ?」
レオノーラが懐疑的な視線を向ける。
その視線を受けたルチアは首をゆっくりと横に振った。
「理解しているかどうかは分かりません。ですが、私の望みは両親のもとへ帰ることです。両親や、家が焼かれては意味がありません」
ルチアは一度言葉を切り、その青い瞳をアリアドネに向ける。
「なにより、私をあの孤児院から救い出してくださったアリアドネ皇女殿下に報いたい。だからレオノーラ王女殿下、どうか私を使ってください」
後半はレオノーラに、その澄んだ眼差しを向ける。その曇りのない眼差しを受けたレオノーラはわずかに黙考した。そうして小さく頷くと、アリアドネへと視線を戻す。
「話は分かりました。彼女が本当に聖女であるのなら、そして彼女が本当に力を貸してくれるのなら、ギャレットを失脚させられるはずです。ですが――」
「そうね。ギャレット王子殿下を失脚させたとして、貴女やオスカー王子殿下が停戦を申し込んでくれるとは限らない。和平交渉もしかり、ね」
最大の問題は和平交渉の内容だ。
グランヘイム国はアヴェリア教国に多大な賠償金を求めるだろう。それにアヴェリア教国が応じなければ、和平交渉のテーブルについても意味はない。
「……私を、信じるというの?」
「その問いにはいいえと言わざるを得ないでしょうね。だって貴女は、必要ならいくらでも嘘をつくでしょう? 裏切ることだってためらわないはずよ」
弟を護るために他人を欺き、第一王子を失脚させようとしている人間だ。
そんな彼女は聖人君子たり得ない。だけど――と、アリアドネの脳裏に蘇るのは、その身を差し出しながら、弟を救って欲しいと懇願した彼女の姿。
「貴女は弟のためなら、どんな手を使っても和平交渉に臨むでしょう? グランヘイム国と和平を結び、弟が統治するアヴェリア教国を安定させる必要があるから」
「それを信じてくれる、と? 貴女は……」
レオノーラのことをよく知らなければ出来ない判断だ。なのに、なぜその決断が出来るのかと、彼女はアリアドネに疑惑の視線を向ける。
「その疑問に答えることに意味はあるのかしら? 大事なのは、私が貴女の行動原理を信じたという事実と、貴女がその目的を果たせるかどうかでしょう?」
「……そうですね。貴女の言葉で目が覚めました」
彼女は席を立ち、アリアドネに向かってカーテシーをする。
「アリアドネ皇女殿下の信頼に感謝を。必ずやギャレットを引きずり下ろし、オスカーの名の下、グランヘイム国に和平交渉を持ちかけるとお約束いたします」
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