エピソード 2ー6

 ルチアを引き取ってから一ヶ月が過ぎた。

 そんなある日、王都近郊の町に魔物の襲撃が発生した。ここまでは回帰前と同じだが、魔物による被害は回帰前に比べると幾分か少なくなっていた。

 アリアドネが不自然にならない範囲で騎士を動かしていたことに加え、王国軍の対応が速かったからだ。

 後者については、襲撃を受けたカルラが周辺を警戒していた結果だろうと、アリアドネは思っている。


 とにもかくにも魔物による被害は減ったが、疫病の発生自体は止められなかった。

 これは、アリアドネの想定通りだ。


 魔物は瘴気を撒き散らす。その存在自体が毒のようなものなのだ。特にその死骸は多くの瘴気を撒き散らし、人々の体を蝕んでいく。


 もちろん、それを知っている人々は死骸の処理を行っている。ただし、それを行うのは、それぞれの町を管理する領主が抱える兵士達だ。

 そして、いつの世の中にもなくならないのが癒着や横領による手抜き作業だ。そうしてローズウッドの周辺では作業が遅れ、瘴気による病気に苦しむ人が現れる。

 魔物の被害を減らしても、この未来は防げないとアリアドネは想定していたのだ。


 とはいえ、ここまでならそれほど珍しい話ではない。

 問題なのは、今回襲来した魔物の中に特殊な個体が混じっていたことだ。その個体が撒き散らした瘴気によって発症した病は、感染力の高い疫病へと変異したのだ。


 その伝染病は百年前にも大流行したことがある。けれど時の流れが、その恐怖を人々の記憶から消してしまった。

 ゆえに対応が遅れ、気付いたときには手遅れで、国中に疫病が蔓延してしまった。


 その流れは回帰後も変わっていないようだ。

 ローズウッドの町で発生した瘴気による病。それが人に移るという情報がアリアドネの元に届いたのだが、その報告からはあまり危機感が伝わってこない。


 だが、アリアドネは回帰前の悲劇を覚えている。知らせを聞いたアリアドネは、すぐさま対策をとるためにアシュリーを呼び出した。

 しかし、人払いをした部屋で、アリアドネを見るアシュリーの表情は険しい。


「アリアドネ皇女殿下、ローズウッドの町で瘴気による病が発生しました。しかも不確かな情報ですが、その病は人に移るそうです」

「過去にもそういう事例があるわ。そのときは、大陸中に被害が及んだそうね。でも幸いにして、その病には浄化のポーションが特効薬となることが分かっているわ」


 アリアドネが増産を命じた物だ。

 初動で対処すれば十分に足りるだけの数がある。


「……はい。ですが、その……魔物の襲撃は……えっと……」


 アシュリーが視線を彷徨わせた。

 その瞳の奥には、罪悪感に押しつぶされそうな恐怖が見て取れる。だが無理もない。彼女は、この事態をアリアドネが引き起こしたと思っているのだ。


 アシュリーにしてみれば、普通の病が発生するだけだと思っていたのかもしれない。だが結果的に、無実の人々がたくさん死ぬ疫病の流行を引き起こした。

 自分がその片棒を担いだと思えば、罪の意識にさいなまれるのは当然だ。


「アシュリー、貴女は人々を救う薬を作っただけ、そうでしょう?」

「それは、そうですが、ですが……」


(見て見ぬ振りをしたことには変わりない、か……)


 罪悪感に押しつぶされそうになっている彼女の心を、どうしたら軽くすることが出来るのか? それを考えたアリアドネは、少しだけ詭弁を弄することにした。


「アシュリー、よく聞きなさい。魔物の襲撃は私が引き起こしたことじゃないわ。もちろん、この疫病もね」

「ですが……」


 浄化のポーションを一ヶ月もまえに量産するように指示を出した。それは、この状況を知っていなければ出来ないことだ。


「近隣の状況と過去の記録。それらから、魔物の襲撃を予測していたの。でも、本当に発生するかどうか確証はなかった。だから、浄化のポーションを作るにとどめたのよ」


(なんて、言い訳にしては少し苦しいかしら?)


 アリアドネが珍しく困った顔をすると、アシュリーがクスリと笑った。


「……アシュリー?」

「いえ、失礼しました。少し、取り乱したようです」

「それは……もう大丈夫、という意味かしら?」

「大丈夫ではありませんわ」


 罪にまみれた表情。

 それでも――と、彼女は顔を上げた。


「罪悪感を抱いているのはアリアドネ皇女殿下も同じ。……いいえ、当事者である貴女は私よりもずっと苦しんでいるはずです。それなのに、私の重荷まで背負おうとしてくださっている。そんなアリアドネ皇女殿下を残して、私だけ逃げ出す訳には参りませんもの」


 こわばった顔で笑う彼女は気高く美しい。

 もっとも――


(本当に私が引き起こした訳じゃ……ないんだけどね)


 事件が起きると知りながら止めなかった罪悪感はある。けれど、アシュリーが思っているほどの罪の意識は持ち合わせていない。

 そういう意味で、一番苦しんでいるのはアシュリーだ。そのことを申し訳なく思いつつ、アリアドネはそれでも前に進む。


「いい覚悟ね。なら改めて問うわ。準備は万全、なのね?」

「はい。浄化のポーション、三千本が揃っています。仰せの通り、秘密裏に作らせました。生産元を調べても、決して明らかにならないでしょう」

「そう、なら問題はないわ」


 アリアドネが満足げに頷くが、アシュリーの表情には疑問が浮かんでいる。


「あの……聞いてもよろしいでしょうか?」

「なぜ秘密裏に作らせたのか、かしら?」

「それはなんとなく分かります。事前に作っていたと知られれば、自作自演であると疑われるから、ですよね? でもそうすると……」

「ええ。浄化のポーションを大々的に使うことが出来ないわね。大々的に使ってしまえば、事前に準備していたことがバレてしまうもの」


 そうなると、事前に作ったポーションを使うことが出来なくなる。ならどうするのか? その答えは至極簡単だ。


「誰かに使ってもらえばいいのよ」

「……誰かに、ですか? しかしそれでは、アリアドネ皇女殿下の手柄には……」

「ならないわね。というか、手柄にするつもりはないの」


 アリアドネが口の端をつり上げる。

 もしも回帰前の記憶を持つ者がいまの彼女を見れば、悪逆皇女の再誕だと戦いただろう。それくらい不穏な笑みを浮かべ、肩口に零れた髪の房を指で払い除けた。


「さあ、自作自演の人道支援を始めましょう」



 アシュリーの説得を終えたアリアドネは、即座に護衛の騎士達を召集した。

 離宮の中庭に騎士達が集結する。壇上に上がったアリアドネは、集まった騎士達に、瘴気による伝染病がはびこるローズウッドの町へ人道支援に向かうと告げた。

 わずかな沈黙。ハンスが声を上げた。


「それはまさか、アリアドネ皇女殿下も同行すると、そうおっしゃっているのですか?」

「違うわ。私が、貴方達を連れて行くのよ」


 ハンスが苦々しい顔をする。

 予想通りの反応だが、それでも、いままでの信頼の積み重ねが彼らを動かすことになるだろう。アリアドネはそう信じて、彼らが口を開くのを待ち続けた。

 そして――


「止めても無駄、なのでしょうね」


 長い沈黙を破り、ハンスがため息交じりに呟いた。

 その瞬間、アリアドネは邪気のない顔で笑う。


「そうよ。私は貴方たちに護られるお姫様じゃないの。――騎士団を従える主として命じます。瘴気に汚染されたローズウッドの町を救うために力を貸しなさい!」

「――仰せのままに」


 騎士達が一斉に頭を垂れる。


 その後のアリアドネの行動は迅速だった。

 まずは人道支援に必要な食料を買い集める。また瘴気による疫病の対策として、浄化のポーションの作成をアシュリーに命じ、いまある在庫は支援物資に紛れ込ませた。


 ここで重要なのは、浄化のポーションの作成を始めたのは、対外的にはいまこの瞬間である、ということだ。馬車で運び込む数も、目録には備蓄として自然な数を記載する。


 それと同時、ローズウッドの町へ人道支援を目的とした騎士団を派遣すると宣言し、王の許可を求めた。その頃には疫病のことも噂になっており、許可はすぐに下りた。

 こうして、アリアドネが率いる少数精鋭の騎士団は王都を後にした。


 前回と同様に、途中の町で一泊をするために立ち寄る。

 しかし、その町でも既に疫病が発生していた。それも感染源が宿屋。瘴気に触れた者が感染した訳ではなく、感染した人から移った変異型だ。

 その報告を聞いて、最初に驚きの声を零したのはハンスだ。


「まさか……既に他の町へと広がっているとは」

「嘆くのはまだよ。すぐに患者を隔離して、治癒魔術師に治療させなさい。他の町にも人員を割いて、王都に疫病が広がるのだけはなんとしても食い止めるのよ!」


 それこそ、回帰前に発生した最大の悲劇。疫病の蔓延によってグランヘイム国は大きなダメージを負い、アヴェリア教国との戦争にも苦戦することになる。

 それだけはなんとしても食い止めると、アリアドネは騎士に患者の隔離を命じる。


「しかしアリアドネ皇女殿下。浄化のポーションは数がありませんし、周辺の町にどれだけ患者がいるか分かりません。どうなさるおつもりですか?」

「そう、ね……」


 浄化のポーションはアシュリーが管理している。

 在庫の正しい数を知っているのはアシュリーだけだ。事情を知らない者が不安に思うのは無理もないが、本当の数を教える訳にもいかない。


「周辺の町には騎士と治癒魔術師を派遣しましょう。同時に町を封鎖をすることで拡散を防いで、王都に救援を要請するのよ」

「しかし、それではローズウッドの町は……いえ、それ以前に、貴女が感染したらどうするおつもりですか?」

「心配せずとも、私は治癒魔術を使えるわ。だけど……」


 自分の身くらいは守ることが出来るけれど、ローズウッドの町には被害が出るだろうと目を伏せた。その話を聞いていた若い騎士が息を呑んだ。


「俺達はそんな場所に行かなきゃならないのか」


 ぽつりと零れた本音。死地へ赴くと聞かされたのだから、弱気になるのは当然だ。けれど、ハンスは「騎士がそのような弱音を吐いてどうする!」と叱りつける。


「も、申し訳ありません。もちろん、逃げるつもりはありません! いざとなればこの身を賭しても人々を護るつもりです!」


 若い騎士の瞳には、恐怖を抑え込もうとする強い意思が滲んでいた。


「……貴方、名前は?」

「はっ! ティボーと申します。アリアドネ皇女殿下!」


 叱られると思ったのか、彼は片膝をついてかしこまる。


「ティボー、よく聞きなさい。町が最悪の状態に陥っていた場合、感染者を隔離することになるわ。その場合……見捨てなければならない患者もいるでしょうね。だけど、たとえそうなったとしても、貴方たちが使用する浄化のポーションは最後まで確保します」

「それ、は……」


 ティボーは信じられないといった面持ちでアリアドネを見上げ、それから視線を彷徨わせる。彼は自分の覚悟が試されていると思ったのだろう。きゅっと唇を噛んだ後、「その必要はありません!」と口にした。


「我らはアリアドネ皇女殿下を、そして民を護るために存在しています。ですから、浄化のポーションは最後まで、皇女殿下や民のためにお使いください!」


 そう宣言した彼の手はかすかに震えている。だが、アリアドネをまっすぐに見つめるその目は嘘を吐いていなかった。

 だからこそ、アリアドネはため息を吐いた。


「高潔ね。だけど……間違っているわ」

「間違っている、ですか?」


 アリアドネは頷き、二人の会話を聞いていた他の騎士を見回す。


「レストゥールの騎士達よ、私の声を聞きなさい! 貴方の役目は主である私を護り、そして多くの人々を救うことよ」

「はい。いつでも死ぬ覚悟は出来ています!」


 ティボーが宣言した。

 その言葉に、アリアドネははっきりと首を横に振る。


「貴方はこれから多くの人を救うでしょう。その貴方を犠牲にするということは、将来助けるはずの人々を見捨てるも同然よ。だから――私はそのような愚行を許さない」


 アリアドネは宝石眼を爛々と輝かせ、有無を言わせぬ口調で言い放った。ティボーの顔がなんとも言えない複雑な表情になる。


「……民を、見捨てろというのですか?」

「いいえ。私の命令に従うのよ。より多くの民を救うために」


 だから貴方が気に負うことじゃないと、アリアドネはその宝石眼で訴える。


(そうよ。アシュリーはもちろん、騎士達も責任を感じる必要はない。多くを救うために少数の誰かを切り捨てる。その命令を下すのはいつだって私だもの)


 アリアドネは再び騎士達の顔を見回した。アリアドネの話を聞いた彼らがなにを考えているのかは分からない。だがどう思っていたとしても、彼らを死なせる訳にはいかない。

 この後には、隣国との戦争が待っているのだから。


 それに、アリアドネには計画がある。それはウィルフィードの首を取るための計画で、その過程では、騎士団が苦々しい思いをすることになる。

 彼らが命に従わなければ、アリアドネの計画はもろくも崩れ去るだろう。

 だから――


「貴方たちがどう考えようと、誰に批判されようと、私はこんなところで貴方たちを失うつもりはないの。それが納得できないと言うのなら、今すぐ王都に引き返しなさい」


 そう宣言し、アリアドネは彼らに背を向けた。

 帰るのならいまのうちだと、不安に揺れる思いを押し殺して背中で語る。そうして彼らの反応を待った。永遠にも感じられる一瞬を経て、ざっと彼らの足音が響いた。


 立ち去ろうとしているのかと、思わずスカートの生地を握り絞めた。

 だけど、それ以上の足音は聞こえない。恐る恐る振り返れば、彼らは一人残らず、その場に片膝をついていた。アリアドネの胸に、言いようのない感情が広がっていく。


「……覚悟は、出来ているのね?」

「我らのこの身は、アリアドネ皇女殿下とともに」

 

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