エピソード 1ー2

「――ハンス、この件は徹底して箝口令を敷きなさい。カルラ王妃殿下に繋がる物証も隠すように。絶対に、外部に漏らしては駄目よ」


 アリアドネの指示に従ったハンスが命令を実行するために退出していった。それを見届けた後、部屋に残ったアルノルトが静かな面持ちで問いかけてくる。


「アリアドネ皇女殿下、事情を説明していただけますか?」

「そうですわね。少し長い話になるので、どうぞおかけください」


 アルノルトに向かってソファに腰掛けるように勧め、自分はローテーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛ける。続けてメイドにお茶菓子を用意するように指示を出した。

 部屋に残ったのはアリアドネとアルノルト、それにアシュリーとソニアの四人だけだ。


「これから話すことは他言無用にお願いします」


 アルノルトに――というよりも、アシュリーやソニアに向かって釘を刺した。アリアドネは単刀直入に切り出す。


「襲撃者を送り込んできたのはおそらくウィルフィード侯爵です」

「え、ウィルフィード侯爵!?」


 思わずといった感じで声を上げたのはソニアだ。だが、自分が主と王族の会話に割り込んでしまったことに気付き、慌てて頭を下げた。

 その後は平静を装っているが、内心穏やかではないだろう。彼女はウィルフィードに潰されたカント男爵家の娘で、ウィルフィードへの復讐のために生きているから。


(貴女には、必ず復讐を遂げさせてあげる)


 回帰前の彼女はアリアドネの敵として排除された。

 その贖罪として、復讐の手助けをすると約束している。その決意を新たにしつつも、いまはアルノルトとの話が先だと視線を戻す。彼はその視線を受け、「なぜ、ウィルフィード侯爵だと判断なさったのですか?」と口にした。


「あの会場に暗殺者を紛れ込ませることが出来る人間は限られています。けれど、襲撃者は私が魔術を使えると知らなかった。ジークベルト殿下に近い者ならあり得ない話です」

「……なるほど。その条件で考えると、ウィルフィード侯爵が有力、という訳ですね。ですが、それだけでは、断言するほどではないのでは?」

「ここで問題なのは、襲撃犯の所持品です」


 アリアドネはそう言って、ハンスが持ち込んだ物証の一つをテーブルの上に置いた。それは彼らが使っていた短剣だ。


「短剣の柄に施されていた刻印から、カルラ王妃殿下の領地にある工房で製作されたものだと分かっています」

「さきほど貴女の護衛騎士が言っていた物証ですね。ですが、貴女は……」

「ええ、ウィルフィード侯爵が怪しいと言いました」


 アルノルトが困惑するそぶりを見せた。


「最初に申し上げたいのは、私が知る彼らは、自分たちに繋がるような武器を安易に使うほど愚かではない、ということです」


 権謀術数が渦巻く社交界に、そこまで愚かな人間はいない。アリアドネがマリアンヌ暗殺未遂の黒幕の正体に気付けたのは、襲撃犯の顔を回帰前に目にしていたからだ。

 そうでなければ、アリアドネが確信を抱くことはなかっただろう。


「証拠を残さないというのは理解できます。ですが、それでなぜウィルフィード侯爵だと判断なさったのですか?」

「それは、ウィルフィード侯爵の視点で物事を捉えれば分かります」


 アリアドネはカルラやジークベルトと真っ向から対立している。だが、客観的に――ウィルフィード侯爵の視点で見ればどうだろう?


 ジークベルトは公式の場でアリアドネを妹だと認め、カルラはアリアドネと魔導具の件で取引を交わした。その結果、ジークベルトは第一王子派に巣くうウィルフィードの手駒を破滅させ、カルラはアリアドネに不義理を働いたウィルフィードの手駒を潰した。

 極めつけは、パーティー会場でのアリアドネの言動。


 ウィルフィードの視点からは、アリアドネとカルラ達は手を組んで、自分の手駒を潰して回っているように見えるだろう。

 ジークベルトがアリアドネを取り込もうとしていた事実があればなおさらだ。

 それを伝えれば、アルノルトは難しい顔をした。


「……つまり、襲撃者がカルラ王妃殿下に繋がるような武器を所持していたのは、貴女とカルラ王妃殿下の関係に亀裂を入れるための仕込みだと?」

「一番の目的が私を殺すことだったはずです。ただ、暗殺に失敗したときの腹案として、私とカルラ王妃殿下の関係に亀裂を入れる計画があったのでしょう」


 仲間の口封じに使った襲撃者の短剣に、カルラの関与を示すような痕跡があったのはそれが理由。そこまでが襲撃に失敗したときの腹案として存在していたのだ。


 優れた策略家は、策が失敗したときの腹案をいくつも用意するものだ。襲撃が失敗したときの腹案があっても驚くことではない。

 ただし――


「カルラ王妃殿下と私の共闘を警戒する人物は限られています。それが第二王子派であるのなら、もっとも可能性が高いのはウィルフィード侯爵でしょう」

「さきほどの条件と合わせれば、ウィルフィード侯爵以外には考えられない、という訳ですか。そのような推理で黒幕に迫ってしまうとは……さすがですね」


 アルノルトは感嘆の息を吐いた。そうして、「では、事実を明らかにして、第二王子派の結束に亀裂を入れるおつもりですか?」と続ける。


「いいえ、犯人に繋がる手がかりについては伏せるつもりです」

「……なぜですか?」

「状況が犯人を物語っていますもの。あえて証拠なんて必要ありません。放っておいても、世間の疑いは第二王子派に向きますわ。それに――情報は武器ですから」


 今回の一件はある事実を示している。それは、ウィルフィードが、アリアドネの持つ宝石眼の秘密を知らない、という事実だ。


 真の王族の証である宝石眼を持つアリアドネと、王位継承権第一位のアルノルト。この二人のあいだに生まれた子供こそ、誰もが認める真の王族となるだろう。

 つまり、王の後継者争いは、アリアドネと婚約したアルノルトに大きく傾いている。

 ウィルフィードがそれを知っていれば、カルラやジークベルトがアリアドネと手を組んだ、などと誤解するはずがない。誤解するのは情報が不足しているからだ。


 その誤解は、やがて彼らの関係に修復不可能な亀裂を入れる。

 あえて誤解を解いてやる必要はない。襲撃犯の黒幕がカルラかもしれないと示唆する情報を隠すことで、ウィルフィードは更なる誤解をしてくれることだろう。

 彼らのあいだに走った亀裂に楔を打ち込み、徹底的に破壊するチャンスだ。


 とはいえ、楽観できる状況でもない。彼らのあいだにある誤解が解消されれば、彼らは一丸となって、それこそなりふり構わずにアリアドネを潰しにくるだろう。

 そうなるまえにウィルフィードを潰す必要がある。

 だが、そのためには回帰前の知識が必要不可欠だ。

 だから――


「アルノルト殿下、この件はどうか、私にお任せください」


 アリアドネはその願いを口にした。未来の知識を利用する以上、周囲には隠し事をしなければならない。それには、相手がアルノルトであっても同じことだ。


 だが、理由を知らないアルノルトが納得するとは思えない。

 もしかしたら、婚約者なのにと怒るかもしれない。そんな風に考えて、アリアドネはわずかにスカートの生地を握り絞めた。

 だけど――


「貴女がそれを望むのなら」


 掛けられたのは、優しい言葉。

 アリアドネはその予想外の反応に目を見張った。


「……いいの、ですか?」

「私は貴女を護ると約束しましたから」


 アリアドネはぱちくりと瞬いて、それから嬉しそうに目を細める。アルノルトが、自分のことをよく分かってくれていると気付いたからだ。


(そう。私はアルノルト殿下に護って欲しいと願った。でもそれは、籠の鳥になりたかった訳じゃない。私が第二王子派と戦えるよう、後ろ盾になって欲しかった)


 もしもアルノルトが、『貴女を護るために、安全な場所に閉じ込めておきます』などと言ったなら、アリアドネは失望していただろう。

 だけど、彼はそう言わなかった。

 貴女を護ると約束したから、独断を認めると言った。それはつまり、アリアドネの望みを正しく理解している証拠である。


「ありがとうございます、アルノルト殿下。必ず、貴方の信頼に応えて見せますわ」

「信じています。ただ……私が心配していることを、私が貴方を護ると誓ったことを、どうか忘れないでください」


 なにかあればいつでも頼って欲しい――と、彼のエメラルドの瞳が訴えていた。

 それに気付いたアリアドネはきゅっと唇を噛んで立ち上がる。続けて後ろ手を組んで身を翻し、さっとアルノルトに背を向けた。


「……じゃあ、そうさせていただきますね」


 平坦な、素っ気ない言葉。だけど、アリアドネの顔を正面から見たアシュリーとソニアは顔を見合わせてクスクスと笑った。

 アリアドネの浮かべる表情が、その心のうちを明確に物語っていたからだ。



 翌朝には、アリアドネが襲撃されたことは王都中の噂になっていた。とはいえ、王族の命が狙われるのはわりと日常茶飯事だ。

 そこから数日もたてば、その噂もなりを潜めた。

 そうして数日が過ぎたある日。

 離宮に戻ったアリアドネは、マリアンヌの部屋を訪れていた。これはどんなに忙しくても、離宮にいるときは欠かさずに続けているアリアドネの日課である。


「お母様、私、アルノルト殿下と婚約いたしました」


 アリアドネの報告に、マリアンヌは指先を震わせた。

 ジークベルトによって毒を受け、意識を浮上させることすら出来なくなった彼女だけれど、こうしてアリアドネの言葉を理解しているかのような反応を示してくれる。

 アリアドネはそれが嬉しくて、毎日のようにその日の出来事を話している。


「回帰前の私は彼を毒殺したので、本音を言うと複雑なんですけどね」


 ぴくりとマリアンヌの指先が跳ねる。

 色々と話しすぎではあるが、これはマリアンヌが口を聞けないことに起因する。もしも彼女が意思を示していたのなら、アリアドネはこんな風に打ち明けたりしなかった。

 端的に言ってしまえば、親の愛情を知らずに育った彼女は母親に甘えているのだ。かつて悪逆皇女として人々を震撼させたアリアドネの人間らしい一面と言える。

 もっとも、打ち明けている内容はかなり物騒なのだが。


 ――閑話休題。

 アリアドネがその日の報告をしていると、メイド達がやってきた。

 マリアンヌの世話をする時間なのだろう。それを確認したアリアドネはマリアンヌの手を握り、日課の終わりにと、治癒魔術による治療を始める。

 アリアドネの想いを受けた癒やしの光がマリアンヌの身体を包み込んだ。


 治癒魔術は万能じゃない。

 治癒魔術には、対象の自然治癒の力を増加させる効果がある。しかし、手足の欠損などのように、どれだけ時間が経っても治らない傷は治癒魔術でも治せない。

 それでも、アリアドネはこうして会うたびに治癒魔術を行使する。


 魔術を行使しながら考えるのはこれからのことだ。

 もうすぐ、王都の周辺で災害が発生する。

 王都に比較的近い町や村に魔物が襲来。人々はこれを辛くも撃退するが、魔物の撒き散らした瘴気による疫病が発生し、グランヘイム中の人々が疫病に苦しむことになる。


 不幸中の幸いと言うべきか、その疫病には浄化のポーションという特効薬が存在する。

 ただ、保存の利かないポーションであるために在庫が少ない。回帰前は疫病が発生してから生産に取りかかったために対応が遅れ、国中に痛々しい爪痕を残すことになった。


 疫病が広まるまえに浄化のポーションを量産すれば、被害を最小限に抑え込むことは出来る。事前に魔物の対策部隊を編成することだって可能だ。

 だが、事前に対策を取るためには名目が必要だ。未来を知ると説明できない以上、すべてが自作自演の点数稼ぎだと糾弾されかねないから。


 加えてもう一つ。

 この事件の最中に聖女が誕生する。


 聖女というのは、神の祝福を受けた娘のことだ。

 超人的な能力はないけれど、唯一無二の聖属性の魔力を持っている。誰に習うことなく治癒系統の魔術を使うことが出来るため、歴代の聖女はどこの国でも丁重に扱われた。


 回帰前のアリアドネは、この聖女を自らの手に掛けた。

 ウィルフィードに出し抜かれ、聖女の身柄を奪われるという失態を犯した。結果、彼が後見人となった聖女と、ジークベルトの婚約が提案されたから。


 その婚約がなされれば、次期国王の座はジークベルトに近づいただろう。

 だが同時に、聖女の後見人となったウィルフィードの影響下から抜け出せなくなってしまう危険があった。ゆえに、ジークベルトの命で、アリアドネが聖女を殺したのだ。


 自らを虐げた悪辣な人々には復讐を果たし、自らが虐げた人々には償いをする。それを信条に生きるアリアドネが聖女を見捨てる訳にはいかない。

 聖女を救いつつ、魔物と疫病の被害を最小限に抑え、ジークベルトの台頭を防ぐ。これは、アリアドネが自らの信条を貫き通す上での最低条件だ。


 だが、その後には隣国との戦争が控えている。

 それらを切り抜けるためにはどうしても手が足りない。どうしたものかと考えていると、背後に控えていたソニアが口を開いた。


「私もマリアンヌ皇女殿下に治癒魔術を使って差し上げてもよろしいですか?」

「……貴女、治癒魔術を使えるの?」


 アリアドネは目を見張った。


「短い間ですが、先生を付けてもらっていた時期があります。闇ギルドに所属してからは使えることを隠していましたが……」


 魔術を学ぶのにはお金が掛かる。

 そういう事情により、使える人間は裕福な家の子、ほとんどが貴族だ。その辺りから素性がばれるのを恐れて使えることを隠していた、と言うことだろう。


「それじゃ、お願いするわ」


 治癒魔術の行使を終えて、場所をソニアに譲る。

 そのまま背後で治癒魔術の行使を見守るが、言ってしまえばソニアの技術は平凡だ。効果的なことを考えれば、あえて彼女が秘密を明かす必要はなかった。

 それでも、ソニアはアリアドネのために秘密を打ち明けてくれた。その気持ちが嬉しいと、ソニアの後ろ姿を眺めていたアリアドネだが――不意にあることに気がついた。


「ソニアが治癒魔術を……それなら……」


 アリアドネの頭の中にある様々な策略。どうしても一手足りなかったそれらに、治癒魔術を使える復讐者というピースが加わった。

 次の瞬間、自らの信念を貫き通すための策が組み上がる。


(過ちは繰り返さない。私が陥れた善良な人々には償いを。そして、私を利用した悪辣な人々には復讐を。血塗られた歴史を塗り替えて、新たな未来を築き上げましょう)

 

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