エピローグ

「カルラ王妃殿下、カリード様が面会を求めておいでです」

「事前の連絡はなかったはずだけど?」


 連絡もなしに訪ねてきたカリードの無礼なおこないに、カルラが眉をひそめる。


「追い返しますか?」

「……いえ、どんな言い訳をするか興味があるわ。執務室に呼びなさい」

「かしこまりました」


 そういったやりとりを経て、執務室にてカリードを迎える。カルラは執務机に座ったままで、カリードはそのテーブルの向こう側に立ったままだ。

 その塩対応にカリードが不満を露わにする。


「カルラ王妃殿下、何故あのような王命を出されたのですか!」

「なにを言っているの? 王命を出されたのはラファエル陛下よ」

「誤魔化さないでいただきたい!」


(迂遠なやりとりを理解できず、自分の置かれている状況も考えない。ただ当たり散らすだけとはね。この男は、自分がどれだけ身の程知らずか理解していないのでしょうね)


「カリード、本題に入りなさい。私は暇じゃないの」

「くっ。ではお伺いします。なぜ、ホフマン伯爵の正統な後継者がリネットであるなどという王命を出したのですか?」


 だからそれは――と、喉元まで込み上げた言葉は呑み込んだ。彼を相手に迂遠な言い回しをしても話が進まないと思ったからだ。


「要するに、愛人の子を当主にして家を乗っ取るつもりだったのに――と言いたいのね?」

「なっ。愛人などと、訂正していただきたい」

「私が、ホフマン女伯爵の亡くなった年と、息子の年齢が合わないことに気付いていないとでも? もしかして……女伯爵が亡くなったのも計画のうちかしら?」

「なっ、なにをおっしゃるのですか!?」


 ただの思いつきだったのだが、カリードは思いのほか取り乱した。


(この程度でボロを出すなんて、アリアドネと比べるまでもなかったわね)


「興が削がれたわ。さっさと用件を終わらせましょう。私が貴方を切り捨てた理由だったわね。それは、貴方が私とウィルフィード侯爵を天秤に掛けたからよ」

「なっ!? なぜそれを……」


 カリードが自ら認めてしまう。

 けれど、アリアドネから話を聞いてすぐに裏を取ったカルラにとって、いまのは誘導尋問ですらなかった。ゆえに、彼が認めても特に驚くことはない。


「私がなぜ知っているかなんてどうでもいいでしょう? 重要なのは、貴方が私を出し抜こうとしたことよ。そうじゃなくって?」

「お、お待ちください! 私はただ……」

「ただ……なにかしら?」


 最後の機会を与えるが、カリードは見苦しい言い訳を口にするだけだった。対応に飽きたカルラはパチンと扇を鳴らして彼の話を遮った。


「カリード、今日ここに来ることを誰かに伝えたかしら?」

「そんな、あり得ません! 私が表向き、第一王子派であることをお忘れですか? 誰にも知らせず、細心の注意を払ったに決まっているじゃないですか!」

「それは好都合。……王宮に忍び込んだ罪人よ、引っ捕らえなさい」


 カルラが再び扇を鳴らす。

 次の瞬間、カルラの護衛騎士がカリードのまえに立ちはだかった。その騎士の背後で、扇で口元を隠して冷めた目線を向けるカルラ。それが、カリードの見た最後の光景となった。


「身元不明の罪人として処理なさい」


 カルラの命令で、カリードが運び出されていく。それを横目に、カルラに仕える執事が「よろしかったのですか?」と問い掛ける。


「問題ないわ。いまのホフマン家に彼を庇うものはいない。それに、彼の実家であるアストール家は人身売買の件でそれどころじゃないもの」


 あえて気を付ける必要があるとすれば、ウィルフィードくらいだろう。だがその彼にしても、カリードを助ける義理はない。

 こうしてカリードとの話を終えたカルラは、代わりにジークベルトを呼ぶように命じた。

 ほどなくして、ジークベルトが執務室へとやってくる。


「母上、カリードを引きずり下ろしたというのはどういうことですか!」

「落ち着きなさい、ジークベルト。ちょうどその話をしようと思っていたのよ。少し長くなるから座って話しましょう」


 侍女にお茶の用意をさせて下がらせる。カルラはソファに腰掛け、ローテーブルを挟んでジークベルトと向かい合う。


「さて、どこから話したものかしら……」

「最初から話してください。母上はホフマン伯爵家を取り込むつもりだったのではないのですか? そう聞いたから、俺も側近の娘を送り込もうとしたんですよ?」

「仕方がなかったのよ」

「仕方がないとはどういうことですか?」

「カリードはアストール家の出身でしょ? そしてアストール家はウィルフィード侯爵の犬だった。彼は貴方に取り入り、ウィルフィード侯爵に情報を流すつもりだったのよ」

「それはまことですか!?」


 カルラが頷けば、ジークベルトは唇を噛んだ。カルラの選択が、ジークベルトのダメージを少なくするための選択だったと気が付いたからだ。

 だが、なにかに気付いたようにハッと顔を上げる。


「ならば、俺がアストール伯爵を告発したことは……っ」

「ウィルフィード侯爵の不興を買ったのでしょうね」

「――くっ。……申し訳ありません、母上。俺が迂闊でした!」


 ジークベルトが拳を握り締め、その怒りと屈辱に身を震わせた。


「仕方ないわ。あの時点では知りようがなかったもの」


 ジークベルトを慰める。

 もしも、ウィルフィードと普段から話し合うような仲ならば話は別だっただろう。だが、ウィルフィードが第二王子派に属するのは、ジークベルトを傀儡の王とするためだ。

 すれ違いが起きるのは仕方のないことだった。


(タイミングが悪いのは事実だけど……)


「とにかく、ウィルフィード侯爵の犬を貴方の近くに引き入れる訳にはいかなかった。だけど、ウィルフィード侯爵を警戒した結果だと思われることも避けたかった」

「その選択が、ホフマン伯爵代理の排除、ということですか」

「ええ。それがこの状況で取れる最善だったことは間違いないわ」

「……そういうことであれば理解できます。母上がホフマン伯爵代理の裏切りに気付いて不幸中の幸い、と言ったところでしょうか」

「それについては偶然じゃないわ」


 その事情を知ったのが、アリアドネとの取り引きの結果だと打ち明ける。


「正直、関税を取り下げさせるだけなら、そこまでの取り引きをする必要はなかった。アストール伯爵とウィルフィード侯爵の関係を、アリアドネが教えてくれて助かったわね」


 アリアドネの目的が関税を下げさせることだけだったならば、魔導具の件だけでも取り引きは成り立っていた。その場合、ウィルフィードの犬を身内に引き入れてしまったことに、ジークベルトは気付かなかっただろう。


(とんでもない切れ者ではあるけれど、まだまだ経験不足と言ったところかしら)


 ゆえに、あの取引は引き分け。あるいは自分の勝利に終わったと思っていた。

 ジークベルトの様子がおかしいことに気付くまでは。


「ジークベルト、どうしたの?」

「…………たのは……、でした」

「え?」

「アストール伯爵の悪事を俺に密告したのはアリアドネだったと言ったんです!」

「な――っ!?」


 目を見張って息を呑む。

 そうして事情をよくよく聞けば、夜会で聞いた噂として、アリアドネが無邪気に語ったのだという。それを聞いた瞬間、カルラの中ですべてのピースが埋まった。


「……そう、そういうこと」


 ジークベルトに、アストールを潰させたのはアリアドネ。そうしてジークベルトとウィルフィードを仲違いさせた上で、それ以上関係がこじれないように手を差し伸べる振りをした。

 それらを対価に、彼女は自分の望みを叶え続けている。

 しかも、第一王子派に寄生する裏切り者を排除するというおまけ付きだ。

 つまり――


(最初から最後まで、全部が全部、アリアドネの手のひらの上だった、という訳ね)


「……くっ。俺が、年下の娘に、してやられた、だと……っ」


 ジークベルトがローテーブルに拳を叩き付けた。


「落ち着きなさい。熱くなっては負けよ」

「分かっています。分かっていますが……っ」


(ジークベルトが我を見失うのも無理はないわ)


 貴族社会は権謀術数にまみれている。

 日常的なやりとりであるがゆえに、一度や二度の敗北ならば恥じることはない。だが、最初から最後まで手のひらの上で転がされるなどあってはならないことだ。

 それを成した相手が、15の娘であるという事実に寒気すら覚える。


「アリアを始末しようとしたのは失敗だったわね」

「……そう、かもしれません。ですが……」

「そうね。彼女はラファエル陛下に味方するつもりだった」


 第二王子派ではなく、ラファエルに味方した。これこそ、ジークベルトがアリアを始末しようとした理由である。

 ラファエルは第二王子派に属してはいるが、次期国王をジークベルトに継がせることに迷いを抱いている。もしもアリアを放置していたならば、王命によってアルノルトとアリアドネの婚約が成されていた可能性すらあった。


(とはいえ、いまさら悔いても仕方のないことね)


「気持ちを切り替えましょう。たしかに今回は敗北したわ。でも、すべてが終わった訳じゃない。彼女が結婚するのは成人してから。それまでに対処すればいい話よ」

「……はい、母上」


 もちろん、それが簡単なことではない。以前と違って、レストゥール皇族の注目度は跳ね上がっている。彼女を排除するのは容易ではないだろう。それでも、ジークベルトを王位に就かせるには必要なことだ。


(今回は私達の負けね。でも、これで終わりじゃない。王になるのは私の息子よ!)




 ホフマン伯爵家の正当な跡継ぎはリネットになった。

 これにより、カリードは伯爵代理の地位を追われることになる。カリードと後妻、その息子がどうなるのかは、リネットの判断に委ねられた。


(ま、裏切り者の末路なんて大抵は決まっているわよね)


 アリアドネには関係のない話である。

 それより重要なのは、旧レストゥール帝都から続く街道に、第一王子派の領地が出来たことが大きい。これによって、関税の件も自然と元に戻っていった。

 当面、その関連で悩まされることはないだろう。

 こうして、束の間の平和を手に入れたアリアドネは、アリアのお見舞いをしていた。


「お母様、お加減はいかがですか?」

「…………」


 アリアドネの呼びかけに対し、明確な返事はない。けれど、わずかな反応はある。きっと聞こえているのだろうと、最近のアリアドネは希望を抱くようになった。


「お母様。この数ヶ月で私は多くのことを知りました」


 これまでの情報から考えて、アリアは宝石眼の秘密を知っていた可能性が高い。だから、アリアドネを皇女宮から外に出そうとしなかった。

 宝石眼の秘密に気付く者が現れるかもしれなかったから。


「お母様にも、きっと多くの葛藤があったのでしょう」


 アリアが家庭教師を付けてくれなければ、アリアドネはとっくに殺されていた。色々あったけれど、いまのアリアドネは胸を張って母を愛していると言える。

 だから――


「早く元気な姿を見せてくださいね」


 アリアの腕を手に取って、拙い治癒魔術を行使する。専属の司祭が使用する治癒魔術に比べれば児戯に等しいレベルだが、それでも使わずにはいられなかった。

 そうして祈りを捧げていると、ほどなくしてシビラがやってきた。


「アリアドネ皇女殿下、そろそろ準備の時間です」

「そう。なら行くとしましょう。……お母様、また会いに来ますね」


 そう言って身を翻す。背を向けてまっすぐに部屋を出たアリアドネは、アリアがその背中に向かって手を伸ばしたことに気付かなかった。



 アリアの部屋を退出したアリアドネは、そのままドレスルームへと足を運んだ。そこには既に侍女とメイドが勢揃いしていた。壁際には、事前に選んだドレスが飾られている。

 今日はアルノルトとの婚約式を行う日だ。


「アリアドネ皇女殿下、お着替えをいたします」

「ええ、任せるわ」


 身に着けている服を脱ぎ捨てて、純白のドレスを身に着ける。


「髪型はどうなさいますか?」

「いつもより大人びたように見せてちょうだい」

「かしこまりました」


 シビラが髪型を整えていく。最後に、アリアから借りているルビーを散りばめた薔薇の髪飾りを着ければ完成だ。姿見に映った自分に、アリアドネは満足気に微笑んだ。

 そこにメイドがやってくる。


「アルノルト殿下がお越しです」

「いま行くわ」


 ドレスルームを出ると、タキシード姿のアルノルト殿下が迎えてくれた。


「……アリアドネ皇女殿下、とても綺麗ですね」

「ありがとう。アルノルト殿下も素敵ですわ」


(これは社交辞令よ)


 この婚約を結ぶのは契約であって愛ではない。

 アリアドネにとっては回帰前に毒殺した相手で、いまは償うべき相手でもある。彼が自分に好意を向けていることには気付いているが、アリアドネに彼を愛する資格はない。

 だから――


「アリアドネ皇女殿下、私を愛す努力をしてくださいね」


 唐突に言われたことを理解できなかった。


「……え?」

「それが、私が貴女に要求する契約の条件です」

「……な、なにをおっしゃっているのですか? 貴方は私を守る。その代わりに、私は貴方を王にすると言ったではありませんか!」

「たしかにそういう話は聞きましたが、私は応じていません。そもそも、貴女に王にしていただこうとは思っていませんよ」


 言われて必死に思い返す。たしかに、あのときのアルノルトは一度も、取引が成立したといった主旨の言葉を口にしていない。アリアドネが勝手にそう思っただけだ。

 そう気付いたアリアドネに向かって、アルノルトが契約書を差し出してくる。そこにはしっかりと、アルノルトがさきほど口にした要求が示されていた。

 アリアドネは、アルノルトを愛する努力をすること、と。


「こ、交渉のやり直しを要求します!」

「いまから、ですか? 婚約式の時間が迫っているのに? 私は延期してもかまいませんが、アリアドネ皇女殿下は困るのではないですか?」

「そ、それは……」


 たしかに困る。アリアドネは既に、第二王子派をがっつり敵に回している。このタイミングで婚約を延期などすれば、これ幸いと命を狙われることになるだろう。


「さ、さてはハメましたね!?」

「否定はしません。ですが、私を王にするより難しいことですか? ただ、私を愛する努力をして欲しいと、お願いしただけですよ?」

「それは、そう、ですが……」


 アリアドネは別に、アルノルトを嫌っている訳ではない。敵として長く接したことで、才能におごらず、努力を続ける性格であることを知っている。

 ただ、自分に愛する資格がないと思っているだけだ。


 想いを寄せないように自分を戒めていたのは、戒める必要があったから。

 なのに、彼はその戒めを解けという。


(そんなの……)


「……アリアドネ皇女殿下、そんなに嫌ですか?」


 気付けば、捨てられた子犬のような顔をしたアルノルトの顔が目の前にあった。

 顔が赤くなるのを自覚し、アリアドネは慌ててその場から飛び退いた。だが、そうして耳まで真っ赤になった彼女を前に、アルノルトが安堵するように微笑んだ。


「どうやら、嫌われてはいないようですね」

「う、うるさいわね。私はなにも言っていないわよ!」

「それが素の貴女ですか?」

「そうよ、なにか問題があるかしら!?」

「いいえ、とても素敵です。これからは、もっとそういう姿を見せてくださいね」

「~~~っ」


 なにを言っても勝てそうにない。

 手の甲で火照った頬を冷やそうと足掻くアリアドネに向かって、アルノルトがそっと手を差し出した。ただし、どこかいたずらっ子のような顔をして。


「さあ、どうしますか? 契約、してくださいますか?」

「…………ます」

「はい?」

「……検討、します」

「検討ではダメですよ。いまここで決めてください」

「あぁもう、分かったわよ。貴方を愛する努力をするわ!」


 叫んだ瞬間、アルノルトに腕を引かれて抱き寄せられた。腕の中で目を見開くアリアドネ。

 次の瞬間、お姫様のように抱き上げられる。


「ア、アルノルト殿下?」

「愛しています。初めて会ったあの日から」

「は、恥ずかしいセリフは禁止です!」


 お姫様抱っこ状態で告白されたアリアドネは真っ赤になって身悶える。

 甘いマスクに見つめられたアリアドネの鼓動は早鐘のように高鳴っていて、彼がどこか昔を懐かしむような素振りをしていることには気付かなかった。


「さあ、皆が待っています。そろそろ会場に急ぎましょう」

「ま、まさか、このまま向かうつもりですか!?」

「努力、してくださるのですよね?」

「……ううっ。もう、いっそ殺して」


 ついに耐えきれなくなったアリアドネが両手で顔を覆う。


「死なせませんよ。貴女は私が守るので」


 アリアドネはお姫様抱っこで運ばれていく。そのまま、婚約式の会場に姿を現した、アリアドネとアルノルトの二人はある意味で伝説となった。


 だが、それは伝説の始まりに過ぎない。

 大勢のまえで婚約をした二人は、それから多くの味方を従えて台頭していく。

 味方には義理堅く、ときには敵と手を組むこともいとわない。よりよき未来を目指した二人はやがてグランヘイムの頂点に立ち、夫婦で国政に関わることになるのだが――

 それはまた別の機会に語るとしよう。




                       終わり


*****************


最後までお読みいただきありがとうございます。

二章の投稿時期は未定ですが執筆予定です。面白かったなど思っていただけましたら、★などポチッとしていただけると嬉しいです。


連載中の『侯爵令嬢の破滅配信』もよろしくお願いします。

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