エピソード 2ー4

 闇ギルドに情報収集を依頼してから数日。アリアドネは自室に籠もり、魔力や体力を増やす訓練をおこなっていた。


 回帰前のアリアドネは、魔術アカデミーに入学してその才能を引き出した。そうして得た技術は回帰後も引き継いでいるが、身体的な能力は回帰前の当時のままだ。

 ゆえに、いまのアリアドネには、技術はあっても魔力や体力がない。その欠点を補うために、アリアドネは自己トレーニングを続けていた。


(……回帰前は学ぶのが遅くて苦労したけど、いまの身体は面白いくらい成長するわね)


 体力はそれなりだけど、魔力は面白いように伸びる。

 見習い魔術師くらいの魔力量しかなかったアリアドネはけれど、いまや中級魔術師くらいの魔力を手に入れた。それは、回帰前と比べても驚異的な成長速度だった。

 それが楽しくて、もっと魔力を増やそうと力を込める。だが、ノックに邪魔をされた。魔力を霧散させたアリアドネは、どうぞと訪問者を招き入れる。

 やってきたのはアリアドネお付きの侍女、シビラだった。


「アルノルト殿下がお越しです」

「……はい?」


 想定外のことに混乱する。


(ちょっと待って、アルノルト殿下がどうしてここに? いえ、たしかに、皇女宮は王族なら誰でも訪ねることが出来るわよ? でも、ここはジークベルト殿下の密偵がいるのよ?)


 分からない。分からないけれど、ここで会わないという選択はない。


「中庭にお茶の用意を」

「かしこまりました」



 ほどなく、中庭にテーブル席が設けられた。その席にアルノルトとアリアドネが向かい合って座り、侍女や護衛は声が届かないところまで下がらせる。


「アルノルト殿下、どうしてお越しになったのですか?」

「迷惑でしたか?」


 アルノルトが捨てられた子犬のような顔になった。


(え、え……? あのアルノルト殿下が。敵として最後まで私を苦しめたあのアルノルト殿下が、私が少し素っ気なかったくらいで、どうしてそんな顔をするのよ?)


「え、えっと、迷惑ではありません」

「本当ですか?」

「はい。ですが……この皇女宮にはいまだ第二王子派の密偵が紛れ込んでいます。貴方がここに来たこともすぐに伝わるでしょう」

「ああ、それなら問題ありません」


 問題ないとは? と首を傾げる。


「私がここに来たのは『母の件でお礼を言いに来ただけ』ですから」


 アリアドネを見下すように顎をしゃくった。いかにも面倒くさそうな口調。それも、少し離れた場所にいる侍女や護衛に聞こえるようなボリューム。


(そういう名目にしておく、ということね)


「お気遣いに感謝いたします」


 小声で告げれば、アルノルトは分かってくれて嬉しいと言いたげに目を輝かせた。


(気まずい。すごく気まずいわ)


 回帰前のアリアドネは、アルノルトを毒殺しているのだ。そんな相手に笑顔を向けられて、一体どんな顔をすればいいのか――と目を伏せる。


「それで、ここに来た本当の用件ですが……アリアドネ皇女殿下?」

「あ、はい。用件ですよね?」

「ええ。一つ目は例の件です。ジークベルト殿下を牽制しました。侍女の任命権で口を出してくることはないでしょう」

「感謝いたします。アメリア前王妃にも私が感謝していたとお伝えください」


 後は既に紛れ込んでいる密偵を排除すればこの件は終わりだ。

 アリアドネは安堵の息を吐く。


「それと、今度式典があるのを知っていますか?」

「……ええ、建国記念式典ですよね」

「はい。その式典のパートナーを務めさせてくださいませんか?」

「それは……」


 アルノルトをパートナーに伴えば第一王子派だと見なされる。婚約者になるのなら、それでも問題ない。けれど、そうじゃないのなら、身を危険に晒すリスクが高すぎる。


「せっかくですが……」

「待ってください。建国記念式典で、貴女のプティデビュタントの面倒を見てはどうかと、母上からの提案があったんです」

「プティデビュタントですか?」


 デビュタントが、一人前の女性として社交界デビューする行事なら、プティデビュタントはそのまえ段階。子供として、社交界に顔を出す程度の教養を身に付けたと示す行事だ。

 前者は大半の女性がおこなう行事だが、後者は省略することも珍しくない。


「慣例でいえば、アリアドネ皇女殿下のプティデビュタントは先日の夜会となります。ですが、それはあまりにも不憫。という理由により私が面倒を見る、という名目です」

「……ああ、なるほど」


 アリアドネがパーティーに出席したのは先日の夜会が初めてだ。つまり、あれがプティデビュタントだった、ということになる。

 だが、アリアドネはあの夜会に出席するやいなや、アメリアの毒殺騒ぎで拘束されている。


 それをプティデビュタントとするのはあまりに不憫。そう思ったアメリアが、アリアドネのプティデビュタントの面倒を見るよう、息子に申しつけた。

 ――という筋書き。


(それなら、第一王子派が私に興味を示しているだけというふうに、第二王子派をしばらく欺くことは出来るわね。だけど、そんなリスクを冒す意味はあるかしら?)


「アリアドネ皇女殿下、このまま誰の力も借りずに自らの身を護れるとお思いですか?」

「それは……無理ですね」


 ジークベルトは復讐すべき相手だ。ならば、いつか必ず、第二王子派とぶつかり合うことになる。そのとき、後ろ盾の一つもなければ簡単に潰されてしまう。

 そう考えれば、アルノルトのパートナーになるのは悪い選択ではない。婚約者ほど安全ではないけれど、少なくとも安易に手を出していい相手とは見られなくなるだろう。


(これを考えたのはアメリア前王妃かしら? さすが、ウォルター陛下亡き後、第一王子派を率いて第二王子派に対抗した女傑ね。敵に回すと厄介だったけど、味方にすると頼もしいわ)


 だけど、これは取引ではない。アルノルトの好意によるものだ。

 それが分からないアリアドネではない。

 だからこそ迷っていた。

 なぜなら――


(回帰前の私はアルノルト殿下を毒殺したのよ?)


 その事実を忘れ、彼らの好意を利用することには抵抗がある。


「……すみません。ご迷惑でしたね。さきほどの提案は忘れてください」


 アルノルトが寂しげに笑って席を立つ。そうして、なにかを諦めるような顔で立ち去ろうとする。その横顔を目にした瞬間、アリアドネは胸が締め付けられるように苦しくなった。


(私はアルノルト殿下に罪悪感を抱いてる。でも、その罪悪感を理由にして、彼を悲しませることが、彼に対する罪滅ぼしになるの?)


 なるはずがない。

 そう思った瞬間、アルノルトの袖を摑んでいた。


「……アリアドネ皇女殿下?」

「待ってください。まだお断りしていませんわ」

「……では、受けてくれるのですか?」

「その……ご迷惑でなければ」


 アリアドネが不器用に笑えば、アルノルトが心から嬉しそうな顔をした。


(もう、そんな顔をして……仕方ないなぁ)


 自らが陥れた善良な人々には償いを。そして、自らを利用した悪辣な人々には復讐を。アリアドネは第一王子派に与し、第二王子派を敵に回す切っ掛けの一歩を踏み出した。

 

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