chapter 6: BLOOD BROTHERS(2)

 






 近づいてくる小舟の上には、幽鬼のような人影が二つ。

 迫持せりもちの下に入った小舟は、舟水車小屋に横付けした。

 橋の下はもう真っ暗で、人影はろうそく行灯あんどんに火をともした。

 行灯あんどんの光に照らし出されたのは、右手を背に隠したヨハンネス少年。

 左手を眼の辺りにかざして、視線をらしている。

 行灯あんどんを掲げたのと別の人影が、船端を越えて舟水車に飛び乗った。 

 そして少年にメッサーを叩き付けてきたのは、イエルクリングだった。


 吊り構えで刃を受けようと、ヨハンネスは一瞬考えた。

 しかしそこで、普段と逆側から攻撃されているのに突然気付いた。

 イエルクリングは右腕を失っているので左手でメッサ―を扱っている。

 このままでは右拳に切りつけられてしまう。

 慌てて手を引き、後ろパスで逃げる。

 しかし、船底の横木に足を取られて、ひっくり返ってしまった。

 あばらが痛むが、無視をした。

 勢いのまま後転して立ち上がった。

 イエルクリングの追撃。突き。

 ロングエッジのベッカーで反らし、ショートエッジのエントースハウで反撃した。

 すぐさまイエルクリングの剣先が、外旋する前腕を刃で抑えた。

 そのまま、刃を当ててたまま押し斬ろうとしてくる。

 慌てて手を引きながら、後ろステップ二発で飛び離れた。

 かかとが何か当たる痛みは無視。

 前腕は浅く斬られたが、動く。


 ――今のは”アップシュナイデン”という技だった。イエルクリングは、つかう。罠にかける。


 手の内をハンマーグリップに変え、真横から斬り付けた。

 ただし正対するイエルクリングに向けてではなく、一人分ぐらい右に向けてメッサ―を振り出す。

 これは見分けが付かないはず。

 予想通りイエルクリングはメッサ―の刃を立てて、横斬りを受けようとした。

 刃がつかる直前に、ベッカーの要領で前腕を内旋させる。

 すると立てた刃の外側から包み込むように、ヨハンネスの刃のショートエッジがつかる。

 切っ先はイエルクリングの喉元を向いてる。

 そのまま、右前にパスしてイエルクリングを突こうとした。

 しかし突然あばらが痛み、それを無視できずにヨハンネスは動きを止めてしまった。

 その隙に、イエルクリングはヨハンネスの腹を蹴った。

 少年は、身体ごと河面に投げ出される。

 イエルクリングは後を追って飛び込もうとしたが、自らの隻腕に気付いて舌打ちした。


「おい、止めを刺せ」


 行灯あんどんをかざしている男に命じる。

 しかし彼は、それどころではない、という様子で河岸を指さした。

 河岸に、松明たいまつを持った男たちが集まってきていた。

 イエルクリングは怒りの声を上げたが、結局は下流へ舟を向け、逃亡した。


 暗い水中に落ちたヨハンネスは、恐慌に陥って水を飲んでしまった。

 無我夢中で手足を振り回した。

 時間の感覚が無くなり、どれくらいそうしていたのか思い出せない。

 何か柔らかい物が腕に絡まった。

 それに必死でしがみついた所、ぐいと引っ張られた。

 これも言葉にできないほど長く感じられた。

 唐突に、顔に空気が触れた。

 肺に吸い込んだ。

 咳をして水を吐き出そうとするが上手く行かず、胸が焼き付くような苦しさに耐える。

 少年は気付くと河岸に倒れていて、太い綱にしがみついていた。

 綱の先にパン職人たちがいる。

 ルールマン氏が、ヨハンネスの背中を叩いてくれた。

 ようやく咳き込みが収まり、水を吐き出したヨハンネスは仰向けになった。

 パン職人たちが、ヨハンネスの頭を撫でたり肩を叩いた。


「最後の“シュトルツハウ”、惜しかったらしいな」 


 警吏のピータ―が、まるで見ていた誰かから聞いたような事を言った。

 そのピーターの背後に、例の男装の従者が現れ何か耳打ちをした。

 警吏はうなずくと、パン職人たちに呼びかけた。


「賊は、北門の橋で舟を捨て、六白牛村の方に向かった。俺の手の者が追っている。俺たちも極力目立たないように移動するぞ」


 ピーターの指示を受けて、ルールマンはパン職人たちに指示を出した。


「松明たいまつは捨てろ! 行灯は覆って、足元だけを照らせ。私語は慎んでくれ! 行くぞ!」


 警吏とパン職人たちが、河原から走り去った。


 

 

 一方、ヨハンネスは横たわったまま、起き上がれずにいた。

 死ぬ所だったという認識が、足元が崩れるような感覚をもたらした。

 そのヨハンネスの足元に、ホアキム・メイヤーが立った。


「大丈夫か?」


 青年の表情と声音に、少年は目にあふれる物をこらえきれなくなった。

 少年は前腕を上げて眼を隠すが、しゃくり上げる声は隠せない。


「遅ぇんスよ、アニキ」


「すまん」


 青年は詫びると、腰を下ろした。

 少年が落ち着くまで、待つ。


「アニキ、俺、もう耐えらんねぇよ」


 少年は、弱音を吐いた。


「俺ぁ、多分ずっと、こんなだ。必死こいてやってきたけど、もうウンザリだ」


 せきを切ったように、言葉があふれた。


「死にかけて、分かったッス。俺は独りなんスよ。独りでおっんで、葬式もされずに腐ってくんス。寂しいってのが、こんなに怖ぇ気分だと知らなかったっス」


 少年の独白に、青年は苦い顔になり立ち上がった。


「……追跡者が、イエルクリングの後を追っている。これから奴を追い詰め、パン屋の娘も取り戻す。お前も来い」


「無理だ。次はもうねぇ。くたばっちまう」


「そうしたら、僕がお前を埋葬してやる」


 そう言って、ホアキムはヨハンネスに手を差し出した。

 一拍の間が空いて、ヨハンネスはゆっくりその手を握った。

 ホアキムは、引っ張りあげるようにヨハンネスを立たせる。


「今日からは、僕たちは兄弟だ。聖ヘアーツ様の名の元に、誓う」


 空いた腕でヨハンネスの肩を抱いて、ホアキムが言った。

 少年は、額をホアキムの胸に預けしばらくそのままでいた。


「施療院の兄弟団に入れてもらえるって事スか? 俺、村抜け百姓っスよ?」


 やがて、少年は尋ねた。


「“都市の空気は自由にする” 都市法の不文律だ。街に一年以上いて、市参事会が承認すれば、その時点で市民だ。ピーター様がお前に偉く感心していたから、力添えしてくれるだろう」


 ホアキム青年は、そう答え、そして唇の端を持ち上げて笑みを見せた。


「それに、僕らが兄弟になる事に、他の奴らにどうこう言われる筋合いはないさ」


 そう言われてしまえば、ヨハンネスはまた目頭が熱くなってしまうのだった。









※……Sturtzhauw

https://youtu.be/RBSD1R5lals

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