chapter 1: NO PRAYER FOR THE DYING(2)










 市庁舎前の広場の一角。

 地面にを広げて商品を並べた売り手や、買い物客でにぎわっている。

 金髪の青年は、ろうそくを売っている農民と話し込んでいた。


「毎週、修道院に灯明を奉納してるんだ。これは、定期的に作ってもらえるか?」


「いんやぁ、そういうのは、ろうそく職人組合に、にらまれるんで勘弁してくんろ。家で作って余った分だけ、って取り決めなんでさぁ」


 そんな話をしている後ろから、ゲジゲジの少年が忍び寄った。

 手には、刃物というには貧相な金物を握っている。

 五寸釘を、河原の石で叩いたり磨いたりして作った物だ。

 左手で胴着の裾をまくり、腰紐から下がっている巾着袋を確認した。

 親指を立てて隠すように握り込んだ金物で、薄い革袋を吊るしている革紐を切った。

 そのまま革袋を自分の懐に入れる。

 はたから見る限り、少年の肩や腕はほとんど動いてない。

 手元も、隠されている。

 少年は、背を向けてその場を離れた。

 ホアキムが気付いた様子はない。

 周囲の買い物客も、誰も何も言ってこない。

 少年は、ゆっくりと歩き、広場を後にした。


 そのまま、東市門を抜け、橋を渡った。

 街道を外れて、ぶな林の中に足を踏み入れた

 枯れ枝や、小さな雑木を手折って集め始める。

 しかし、四半時しはんときもしないうちに、少年はぶなの根本に座り込んでしまった。

 こけした樹皮に背を預ける。

 顔色は青白く、目の下のくまが濃い。

 それでも少年は目を閉じず、神経質に周囲を伺っていた。


 やがて日が暮れ始めると、少年は東市門の方に戻っていった。

 少年は橋を渡らず、土手を降りて川面に近付く。


 傍の土手を降りて川面に近付く。

 橋脚の間の流れには、連結された二艇の舟が固定されている。

 船の間には水車が据え付けてある。

 片側の舟上には、水車の回転で石臼を回す水車小屋が建てられている。

 迫持せりもちが三つなので、同様の舟水車小屋も三つある。


 舟水車小屋で働く粉屋たちが、その日の仕事を終えて街の住まいに戻っていった。

 やがて晩鐘と共に市門が閉じられた。


 それを見届けた少年は、川岸から渡された板の上を歩いた。

 中央の舟水車小屋に向かった。

 左右の小屋と違って、中央の小屋には水車そのものが無かった。

 水車小屋の壁は、すすで黒く汚れている。

 扉は無いし、屋根板も一部無くなって骨組みの垂木たるきき出しになっている。

 一昨年、所有権を巡る争いがあり、焼け落ちたままなのだ。


 少年は四つん這いになって、河の流れに口をつけた。

 腹が膨れるまで、水で満たす。

 それから廃墟となった水車小屋に入り、床板を一つ外して持ち上げた。

 その下に銀貨を隠した。


 日が落ちると、騒々しい河の表面から冷たく湿った空気が流れ込んできた。

 少年は、手製の弓引き式の火起こし器で、火種を作った。

 薪に火を移そうとするが、上手くいかない。

 呼吸が荒くなり、怒りの声をあげる。

 最後には涙を流して、貴重な服から糸くずをむしった。

 それに火種を入れて、ようやく火を付ける事ができた。

 そして石を並べた手作りのかまどに、たき火を起こす

 少年は、ささやかなたき火のかたわらに横になった。

 身体を丸めて眠ろうとする。

 両隣の生きている水車のきしむ音には慣れたが、冷え込みが問題だった。

 集めた薪の量からして、たき火は長くは持たない事が少年には判っていた。

 おそらく夜半前に寒さで目が覚め、朝まで震えて過ごす事になるだろう。

 それまでに少しでも睡眠を取るため、少年は目を閉じた。


 少年は、夢を見た。

 故郷の農村の風景だ。

 自分が、流行り病で死んだ父親を引きずって歩いている。

 亡くなって日が経ち、蛙のような姿勢で固まった大人は、数えで十歳の自分には重すぎる。

 でも、誰も手伝ってくれない。病気がうつるから。

 そも、この冬は人が死に過ぎて、誰が、まだ生き残っているのかすら判らない。

 それでも、埋葬しない訳にはいかない。

 しかるべき所に弔われなかった魂は、天国に行けないからだ。少年はそう信じている。

 父親のき出しの手足には、黒い斑点が浮き出ている。

 その皮膚が、固い地面に擦られて、めくれ上がる。

 もうそんなに血は流れない。

 それでも、少年が父親を引きずった跡には、赤い物が混じった。

 地に伏せられた顔は、もう目鼻立ちが判らなくなっているかもしれない。

 少年は父親の亡骸なきがらをまともに見る事ができない。

 村はずれにたどり着くと、そこに大きな穴が掘られ大勢の遺体が投げ込まれていた。

 腐臭が少年の鼻を打つ。立ちすくむ。

 これはしかるべき所なのか? だが、墓地はとっくの昔にあふれている。

 少年は悩んだ末に、大穴に父を落とす。

 固まった身体は、ばたん、ばたんとゆっくりと転がりながら落ちる。

 途中で下着が外れて、くそで汚れた尻がき出しになる。

 穴の底に落ちた父は、少年を見上げて口を開いた。

 鼻や唇がげているので、聞き取りづらい。


「俺は、母さんと助たちを、きちんと葬ったぞ。なのにお前は、俺をこんな所に落とすのか? お前なんか、もう家族じゃない」


 父に責められ、少年は泣く。文字通り胸が痛くなり、耐えられない。


 突然、背中に衝撃を感じて、少年は目を覚ました。

 息ができない。苦しい。

 それでも少年は、ここでうずくまれば死ぬ、という危機感から身を起こした。

 たき火は消えている。灯りは金属製のろうそく行灯あんどん

 持っているのはイエルクリング。

 今にも怒鳴り始めそうな笑みを浮かべている。

 鮮やかに染めたあかね色の貫頭衣と、頭に巻く洒落た頭巾は、ヤーコブの物だ。

 そこまで見てとって、殺して奪ったのだと少年は確信した。

 面子を潰されたとか、そんなささいな理由で。

 少年は、緊張で身を固くした。

 その様子を見て、大男は笑みを深めた。

 彼は、対面する人間が萎縮しているかどうか、敏感に感じる事ができた。

 ゆっくりと、少年に見せつけるように短剣を抜く。

 大男が一歩踏み出した時、屋根板ががれた所から、ホアキムが飛び降りてきた。

 膝を使って巧みに衝撃を殺し、少年をかばうようにイエルクリングに立ちはだかる。

 ホアキムが短剣を抜いて下段に構えた。

 少年は、それが今朝見た構えと同じである事に気付く。

 イエルクリングは、意図を問いただす事も、威嚇する事もしなかった。

 ただ笑みを引っ込め、突然、けさがけに斬り付けた。

 弾かれるように左前方に右足を踏み込みながら、ホアキムが斬り上げた。

 交錯した瞬間、鈍い音がした。

 イエルクリングが短剣を取り落とす。

 彼は、右のてのひらの小指側、手首との境目辺りを左手で抑える。

 その抑えた指の間から、鮮やかな血が滴った。

 ホアキムが短剣を頭上に掲げて、一歩近寄った。

 イエルクリングは、驚くような大音声で悲鳴を上げ、ためらう事なく逃げ出した。  

 大声で命乞いをわめきながら走り去る大男に気をのまれて、ホアキムは追撃する機会を失う。

 仕方なく、ホアキムは短剣を鞘に納めて少年を振り返った。

 見つめられてなお、少年は固まっていた。

 ホアキムがどうやってここを突き止めたのか、何故ここでイエルクリングと闘ったのか判らない。

 何かうかつな事を言って、この腕が立つ若者を怒らせないか怖かった。

 その様子に、ホアキムは眉をしかめた。


「僕は、ホアキム・メイヤー。小刀こがたな職人だ。君は?」


 尋ねられて、少年は答えるべきか迷った。

 悩んだ末に、揺揺ようようと定まらぬ心のまま少年が答えた。


「ヨハンネス。ヨハンネス・レックヒナー」











※舟水車イメージです

https://en.wikipedia.org/wiki/Ship_mill#/media/File:Moulins_sous_pont_Paris.jpg


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