第7話-3

 自分でも意識しないほどの瞬間に、フォルジナは両腕を胸の前で折り重ね身を守った。直後、城壁をも砕く様な衝撃でフォルジナの体は吹き飛ばされた。

「くぅ……あッ……何、が?!」

 煌めく宝石の山に叩きつけられ、フォルジナは全身の痛みをこらえながら体を起こす。何が起こったのか見えなかった。しかし、自分がいた場所を見て、状況を把握した。

 宝石が動いている……ジュエルビーストだった。恐らくは身を小さくして周囲の宝石の山に擬態していたのだろう。不用意にもそこに近づき、不意打ちを食らったのだ。

「擬態……考えておくべき可能性だったわね……!」

 キラースパイダーが動きを止めていたのは、フォルジナを恐れての事ではなかった。ここにジュエルビーストがいることを知っていて、それで近づこうとはしなかったのだ。

 体から宝石や水晶の欠片を振り落としながらフォルジナは立ち上がる。強烈な一撃だった……フォルジナの両腕は今もさっきの攻撃でジンジンと痛んでいた。いつぞやのロックリザードの骨球の数倍の威力だ。

「ようやく本物のおでましってわけか……さっきやっつけたのは幼体だったのかしら。どおりで背中の宝石も魔素も大したことなかった訳ねェ……」

 姿を現したジュエルビーストの体は大きかった。頭から尻までで五ターフ九mはある。まるで一軒の家が襲い掛かってくるような大きさだった。その分口も大きく牙もでかい。脚も長く丸太のように太く、蹴られればさっき吹き飛ばされたようにただではすまない。

 キラースパイダーはジュエルビーストとフォルジナを遠巻きに囲み、そこに干渉する気はないようだった。巻き込まれれば危険だという事が分かっているらしい。

「ま、やるしかないわねェ……!」

 フォルジナは帽子のつばを直し、痛みの残る両腕をさする。そしてジュエルビーストに向かって一気に加速した。

 ジュエルビーストが目を見開き、接近してくる小さな生き物、フォルジナを注視する。その瞬間、フォルジナは煌めくつぶてをジュエルモンスターに向けて投擲した。拳大の宝石の欠片だった。そして跳躍。

「はあぁッ!」

 ジュエルビーストは一瞬投げつけられた宝石の欠片で視界を奪われる。無防備になったその隙に、フォルジナは上空から奇襲を仕掛ける。

 真下に向かって打ち出される拳。ジュエルビーストの頭部に着地するように降り立ち、右の拳を頭骨に叩き込む。だが――。

 颶風ぐふうを巻きながらジュエルビーストの脚が跳ね上がり、頭部に乗っていたフォルジナの体を強く叩く。

 ジュエルビーストは威嚇するように高い声で鳴いた。フォルジナの拳は確実に当たっていたが、それはジュエルビーストに大きな打撃とはなっていないようだった。

 フォルジナは軽々と一〇ターフ一八mは吹き飛ばされ、しかし空中で回転し脚から壁に着地した。そして間髪入れず壁を蹴り、厚底ブーツで疾駆しながらジュエルビーストに再び挑みかかる。

 迎え撃つようにジュエルビーストの前二本の脚が振り上げられ、接近するフォルジナを踏みつける。一撃ごとに周囲の宝石の山が崩れ破片が舞い上がる。だが攻撃は当たらない。キラースパイダー相手にやって見せたように、フォルジナは軽い運足でかわしていく。帽子に蹴爪が掠めるが、ついにフォルジナはジュエルビーストに接近する。

「うりゃッ!」

 思い切り振りかぶり、フォルジナは右の拳をジュエルビーストの下顎に叩き込む。連撃。左右の拳で思い切り殴りつける。キラースパイダーならその一撃で倒すことが出来るが、しかしジュエルビーストは苦悶する様子を見せなかった。フォルジナの拳にも手ごたえは薄い。

 六発目の拳を叩き込んだところで、ジュエルビーストの前脚が飛んできた。首を刈るような一撃。大きな横薙ぎをフォルジナは後ろに跳躍して躱した。

「くそ……普通に殴ったんじゃ駄目か。やっぱりスキルを……?!」

 フォルジナは自分の消耗度合いを計る。食叉や食刃を使えるのは数度が限界だろう。それ以上は体力が底をついて満足に動くことさえできなくなる。

 だが、普通に殴ってもあのジュエルビーストの体には傷がつかない。何とか隙を見つけてスキルを叩き込むしか勝機はない。フォルジナはそう考えた。

 しかし、隙を作ると言っても出来ることは限られる。フォルジナは知恵を絞りながらジュエルビーストを睨みつけた。

 そして、案を思いつく。

「一回きりか……ライオネル、使わせてもらうわよォ……!」

 フォルジナは呟き、腰のベルトからライオネルのタリスマンを手に取る。そしてそれを思い切り握り砕いた。すると手の中のタリスマンが一気に周囲の魔素に反応し、緑色の冷炎れいえんを発する。それを思い切りジュエルビーストに向かって投げつけた

 ジュエルビーストの視界は白煙と冷炎で埋めつくされた。大きな目がぐりぐりと動きフォルジナを探すが、闇は見えても煙の中まで見通すことはできない。警戒しながら左右に首を振る。そこに、煙よりも低い位置から滑るようにフォルジナが現れた。

「もらった! 食叉フォークッ!」

 揃えられた左の指先から不可避のタイミングで攻撃が打ち出される。四本の杭がジュエルビーストの喉元に向かって伸びていく。

 乾いた金属音が響いた。それは、ジュエルビーストが生み出した結晶壁が立てた音、必殺の食叉が止められた音だった。

「なん、ですって……?!」

 食叉がこのような形で受けられたのは初めてだった。今までのどんな魔獣も完全食撃のスキルにかかれば大した敵ではなかった。ましてや、攻撃が防がれるなど皆無だった。一撃必殺。しかし、それが破られた。

 跳ね上がる蹴爪をフォルジナは回避し、再び一〇ターフ一八mの距離をおいて相対する。タリスマンから発生していた煙と冷炎は消失し、フォルジナとジュエルビーストを隔てているものは無くなっていた。

 残るのは左手の痛み……受けられた衝撃で左手の指が脱臼しているようだった。

「これはちょっと本気でやらないと駄目、みたいねェ……」

 左手の指を抑え、脱臼した骨をむりやり戻す。激痛が走るが、これでまた戦える。

 フォルジナは気息を整える。呼吸は全ての基本だ。呼吸が乱れれば動きも乱れる。精神を統一し、戦いに己の全力を注ぎ込む。

「行く、わよォ!」

 小細工は無し。フォルジナは正面からジュエルビーストに向かっていった。ジュエルビーストは待ち構えるように二本の前脚を振り上げた。そしてその背が発光する。魔術の発動の光だった。

 魔素の流れがフォルジナには見えた。ジュエルビーストの足元から這うようにフォルジナに忍び寄る。岩盤が割れ、そこから刃のように鋭い無数の水晶が伸びた。

 フォルジナはその刃の列を前転で躱し、そして右手に力を込めた。

食刃ナイフッ!」

 上から下への一直線の斬撃。魔獣をも切り殺す一撃。しかし、それは再び宙に浮いた結晶の壁に阻まれた。縦の亀裂が結晶に走るが割れることはなく、背後のジュエルビーストに斬撃は届いていない。

「まだまだッ!」

 フォルジナの右腕が閃く。高速の手刀が矢継ぎ早に繰り出され、そして結晶壁に攻撃が叩き込まれていく。一瞬二斬。その攻撃で、結晶壁はようやく割れた。硬くはじけるような音とともに六つに割れ、隙間からジュエルビーストの顔が姿を現す。

「おおぉぉッ!」

 大きく後ろに振りかぶり、渾身の力を体に込める。たわみが一気に放たれた。フォルジナの体は威力そのものとなり、食刃の一撃を放った。

 今までのものよりも巨大で強力な刃。それがジュエルビーストに襲い掛かる。今度こそ、フォルジナは勝ったと思った。

 だが――。

 受け止めたのは、これまでのものよりも強固で大きな結晶の壁だった。結晶の向こうが透けて見えないほどの厚さ……巌に砕け散る波濤の様に、フォルジナの放つ刃は無残にも砕かれる。

 ジュエルビーストの力にも、さらにその先があったのだ。そして空中で無防備になったフォルジナの体を、ジュエルビーストの二本の脚がしたたかに打ち据えた。強く肉を打つ音。まるで鞠の様に宙を飛び、フォルジナははるか後方の壁面に叩きつけられる。受け身を取る事さえかなわず、フォルジナは宝石の山に横たわった。

 ジュエルビーストが低い声で鳴き、ゆっくりと前進する。見据えるのはフォルジナの姿。警戒しつつ、しかし弱った姿にいくらか余裕を見せながら近づいていく。それは周囲のキラースパイダーも同様だった。日和見な魔獣たちもまたご相伴にあずかろうとその顎を鳴らしていた。

「くうっ……こりゃ、いよいよまずくなってきたわね……」

 フォルジナは落ちそうになっていた帽子を直しながら立ち上がる。息は切れ、手足は覚束ない。まっすぐ立っている事さえ苦痛だった。

 不意に、声に気付いた。弱々しく、しかし確かに人の声だった。聞き違えるはずもない。

「……げて……逃げてください、フォルジナさん……!」

 遥か頭上の蜘蛛の糸玉から叫ぶケンタウリの声だった。どうやってか蜘蛛の毒の麻痺から抜け出したらしい。

 ケンタウリが生きている。それは一瞬、フォルジナの心に力を与えた。しかし眼前にはジュエルビーストがいる。助けるためには、この魔獣を倒さなければならない。

「逃げるんだ、フォルジナさん……逃げて……」

「違うでしょ、ケンタウリ!」

 闇の中にフォルジナの声が響き渡る。その声に、ジュエルビーストたちも足を止める。

「美味しい料理を作るから任せて下さい、でしょ!」

 ケンタウリの返事は聞こえなかった。フォルジナにとっては、聞くまでもなかった。そうだ。魔獣を食らうという苦行のような宿命の中で、一つだけ灯った光……それが魔獣料理だった。自分の為に力を尽くしてくれるというのが、こんなにも救われることだとはついぞ思っていなかった。

 生きるのだ。そして、食らうのだ。ケンタウリの作る、魔獣料理を。

「食べ物を足蹴にしたくないから封印してたけど……そうね、下ごしらえって考えれば有りかも」

 フォルジナは唇を舐め、そして厚底ブーツの踵の留め金を外した。靴底の内部で金具が動き、そして厚底部分が離脱して普通のブーツになる。

「動きやすくなったところで、もう一回付き合ってもらうわよ、ジュエルビースト!」

 フォルジナの気迫に応えるように、ジュエルビーストが吠えた。次の一撃で雌雄を決する……それがこの魔獣にも理解できていた。その身に力をたぎらせ、六本の脚で強く地を踏みしめる。

「おおぉぉッ!」

 フォルジナの右手が手近な宝石の結晶を掴み、そして岩の基部から強引に引きはがされる。二デンス一二〇kgを超えるような塊が引きずり出され、そして勢いよく放り投げられた。

 破片をまき散らしながら飛んでいく宝石の塊は、しかしジュエルビーストの脚に容易く叩き落される。

 それは分かっていた。その一瞬の時間の間に、フォルジナは走りジュエルビーストに攻撃を仕掛ける。

「食刃ッ!」

 大振りの一撃が巨大な刃と化す。放たれた衝撃は放射状に広がりジュエルビーストの脚と顔を両断しようとする。しかし、その攻撃は読まれ展開された結晶壁にあえなく阻まれる。傷を受けたのは周囲にいたキラースパイダー。脚や胴を断たれ絶命していた。

「とっておきよォッ!」

 残った体力を振り絞り、フォルジナは全力で跳躍した。そして二十ターフ三六mはあろうかという高さの天井に逆さに着地する。生えている宝石を掴んでその身を固定し、両の脚に再び力を込める。

「これで最後……全部使うわよォ……!」

 完全食撃のスキルがもたらす力を、体力の全てを使って引き起こす。正真正銘、最後の一撃。

 狙うは、ジュエルビースト。ただ一点のみ。

「はぁッ!」

 弾かれるようにしてフォルジナの体が飛んだ。重力よりも速く、風よりも鋭く、フォルジナの体がジュエルビーストに襲い掛かる。

 ジュエルビーストが鳴いた。全ては無駄だと言うように、その背の宝石を光らせ、再び強固な結晶壁を展開する。自身の体全てを覆う大きさ……どのような攻撃が来ても通す余地はない。

 それを見てなお、フォルジナは笑みを消さなかった。見えているのは、ケンタウリの作る温かい料理だった。

 フォルジナの体が空中で反転し、揃えられた踵が真下に向かって突き出される。込められる力を全て。命を、燃やすように。

肉叩きパウンドッ!」

 一瞬、光が走った。それは実体となった結晶壁が砕ける際の冷炎だった。闇に満たされた空間が一瞬照らされ、直後、地を揺らすような衝撃が大気を震わせた。

 音が収まった後、フォルジナが踏みつけているのはジュエルビーストの頭だった。全力でスキルの力を開放し、結晶壁をぶち割った。その威力は留まらず、ジュエルビーストの頭をも地面にめり込ませていた。

 無防備な頭部がそこにあった。ジュエルビーストはもう、まな板の上だった。

食刃ナイフ!」

 揃えられた右手の刃が硬い頭骨を抉る。

食叉フォーク!」

 伸ばされた左手が、骨の抉れた部分を正確に貫き通す。

 硬い感触。そして、貫く音。衝撃が地面に伝わり、再び地が揺れそこかしこから石が舞い落ちる。

 荒く息をつく……途中で脱げた帽子が落ちてきて、フォルジナはそれに手を伸ばす。

「ぅ……あれ……?」

 力が抜ける、意に反して体が傾く。闇に倒れ込み、フォルジナの鼓動が止まろうとしていた。

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