明けない夜

「じゃ、お先に帰るね」


俺はその言葉を聞いて首を傾げた。

彼女とは大学で知り合った。

お互いに惹かれ、恋に落ち、結ばれた。

そこら中にいるカップルと同じで、平凡だ。

その平凡こそが幸せであると俺は思っている。

そんな彼女との電話中、彼女が唐突に言った。


何か言い間違えたのだろうか。

帰るね、じゃなくて寝るね、とか。

もう夜遅いから切るね、と言おうとしたのかもしれない。


深く考えず、俺は「わかった。おやすみ。」と言った。

「……うん」と返され電話を切った後、ふいに欠伸が出た。


俺も眠いな……

いつもより少し早いが、そろそろ寝るとするか。


そう思いベッドに入る。


ミーンミーンミンミン……


ここは東京。都会のはずだが、セミの声が聞こえる。

暑いな、と思い窓をぴしゃりと閉め、冷房をつけた。

現代は便利だな、と少々じじくさいことを考えながらベッドに潜る。



さあ寝よう、そう思い目を閉じてどれくらい経っただろうか。

なぜだか俺は寝れずにいた。

夏のお盆、せっかく大学も休みだというのに睡眠できないなどもってのほか。

目を閉じ、寝よう寝ようと思えば思うほど目が覚める。

だが欠伸は出るのだから不思議でたまらない。

結局、一睡もできずに夜は明けてしまった。


もちろんここは東京、鶏がいるはずもない。

すずめのチュンチュンという可愛らしい鳴き声を聞き、あぁもう朝かとため息をつく。

気分はどんよりと落ち込んでいるが、いまさら寝ようとしてもかえって不健康になると考え、重い身を起こした。

ひとつ大きな欠伸をしてから、顔を洗い、パンを焼く。

バターと牛乳を用意して食べ、また小さく欠伸をして、テレビでも観ようとリモコンを取った。

なんてことない日の一日のはずだった。


ピンポーン


突如不穏なインターホンの音が鳴るまでは。


「はいー」


とりあえず出てみると、知らない男がいた。


「警察です。

 本日八月十六日0時に、△△さんが重症の状態で、ご自宅付近で発見されました。

 自殺未遂とみられますが、詳しいことは捜査中でして、一度事情聴取にお付き合い

 いただいてもかまいませんか。」


警察手帳を見せ、そう言う男に俺はしばし言葉を失った。

それから、ひゅっと息をのんで一息に言った。


「な、何かの冗談ですよね。

 あ、ドッキリ!?何かの撮影ですか。

 嫌だなあ、そんなことあるわけないのに」


ははは、と笑った。

頬が引きつっているのを感じながら。

声が震えた。

視界がにじむ。

熱いものが、頬を伝う。

気まずそうに男が目をそらした。

その行動がかえって話に現実味をもたらす。


「それで、彼女は……」


「現在、□□病院にて懸命に治療していますが……」


そこまで言って、警察官の男は顔をうつむけた。


事情聴取の前に、彼女のそばに行かなければ。

手を握って、それで、ちゃんと治るまでそばに、俺が彼女のそばにいなければ。

支えなければ。

死ぬなと、応援しなければ。


自然と俺の視線は下がっていた。

どうしよう、どうにかして助けなければ……!

頭がぐるぐるして、うまく考えがまとまらない。



「はい、こちら◇◇……え……」






結局、俺の最愛の彼女は、その日のうちに亡くなった。


葬式も通夜も終わり、家に帰ってからベランダに立つ。

夏の涼しい夜風に当たりながら、酒を片手に星を見上げた。



「……そうかぁ、八月十六日かぁ……

 おまえ、この前本当は電話で、先に還るって言ってたんだなぁ……

 そうだよな、その日は送り火の日だもんなぁ……

 おまえ、先祖様と一緒に、先に帰るって……

 天国に帰るって、言いたかったんだなぁ……」



そうかそうかぁ……嗚咽をこぼして星空に語り掛ける。

泣いたら彼女が悲しむ。そんなことわかっていても、涙は目からあふれる。


あのとき止めてれば、お前はいなくならなかったのか……

なんで死んじまったんだ……

俺を置いて、なんで何も言わずに先に死んじまったんだよ……



きらりと流れ星がひとつ落ちた。

気持ちは晴れない。




今夜もまた、眠れそうになかった。

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