第43話 幼い兄弟

 アイルサを出発してから数日。

 昨日に引き続き、ベンゼル達は今日も次なる目的地を目指し、街道を進んでいた。


「――そこでフィリンナが言ったんだ。『ゼティアちゃんって味音痴なんですね!』ってな」

「へえ! それで言い争いに!」

「ああ。ゼティアがムキになってな。『それはフィリンナのほうでしょ! 生ハムとメロンは一緒に食べるものなの!』と、顔を真っ赤にしていた」

「あはは! それは確かにくだらないですね!」

「だろ? まったく、生ハムメロン一つであそこまで――」

「オロン! オローン!」

「「ん?」」


 突然聞こえてきた声に、二人は同時に前を向く。

 少し先のほうに馬車と、その前で辺りをキョロキョロ見回している赤髪の少年の姿があった。


「何かあったんでしょうか?」

「だろうな。とにかく話を聞いてみよう」


 近くまで行くと、こちらに気付いた少年が駆け寄ってきた。

 リディーよりも少し幼く見えることから、恐らく13、14歳といったところだろう。

 まだまだ幼いその顔つきには焦りの色が見えた。


「あの! 弟を見ませんでしたか!? 僕と同じ赤い髪で、身長はこのくらいなんですけど」

「いや、見てないな」

「……そうですか」

「もしかしてはぐれたのか?」


 少年はコクンと頷くと、両手で目を覆った。


「僕が……僕が、お前なんかどっか消えちゃえって言ったから……」

「そっか、喧嘩しちゃったんだね」


 リディーが泣きじゃくる少年をそっと抱きしめる。

「よしよし。大丈夫だよ」と声を掛けながら頭を撫でる彼女の姿を、ベンゼルは優しい顔で見つめていた。



 少年が泣き止んだところでリディーは抱擁を解き、真っ直ぐに彼を見つめた。


「君、名前は?」

「……ニルト、です」

「ニルト君ね! それでさっき、弟君にひどいこと言っちゃったって言ってたけど、本当はそんなこと思ってないんだよね?」

「はい。さっきはついカッとしちゃって、心にもないことを……」

「だよね! じゃあ、早く弟君に謝らないとだね!」

「……でも、どこを探しても弟がいなくて」

「それなら大丈夫! ね、ルゼフさん?」


 ベンゼルは笑みを向けてくるリディーに頷くと、しゃがんでニルトと目線の高さを合わせた。

 

「弟は俺達が探してくる。君は弟が戻ってきた時のために、ここで待っていてくれ」

「えっ? ……いいんですか?」

「もちろんだ。弟の特徴を教えてくれるか?」

「ありがとうございます! 弟はオロンといって――」



 ☆



 ニルトの話によれば、弟のオロンが居なくなったのはおよそ二時間前。

 つい心にもないことを言ってしまった後、馬を休ませるため道の脇に馬車を停め、水をあげている間に姿が見えなくなっていたらしい。


 オロンはまだ八歳ということなので、そう遠くには行っていないはず。

 だからシュライザーが引く馬車に乗って探せば、すぐに見つかると思っていたが、捜索開始から一時間が経っても二人はオロンを見つけられないでいた。


「ここまで探して居ないってことは、もしかして……」


 声を張り上げてオロンの名を呼んでいた先ほどとは一転して、リディーから弱々しい声が漏れる。

 口にはしないが、ベンゼルもリディーと同じことを考えて焦っていた。


 オロンはモンスター避けの効力範囲外に出てしまったのではないか、と。


 子供の足では考えにくいが、そうなってしまっていた場合、既にオロンの命はない。

 見つかるのはモンスターに食い荒らされた見るも無惨な亡骸だ。


 そんな想像を振り払うように、ベンゼルは首を左右に振った。


「……大丈夫だ。きっと――」

「ブルッ?」


 きっと見つかる、と根拠のない言葉を続けようとしたベンゼルを、愛馬が遮った。


「どうした?」


 シュライザーは問いには答えず、鼻をスンスンとさせる。

 ほどなく「ブルルッ!」と声を上げ、スピードを上げたかと思うと、大きな岩のところで停止した。


 何かあるのかとシュライザーの視線の先を見ると、大きな岩の影で赤毛の幼い男の子が寝息を立てていた。

 聞いていた特徴からして、間違いなくニルトの弟のオロンだ。

 二人は顔を見合わせると、同時に安堵の息を吐いた。


「よくやった、偉いぞ」

「さっすがシュライザー! ありがとっ!」


 岩に隠れてしまっているせいで、ベンゼルとリディーだけでは中々見つけられなかっただろう。

 こうして無事にオロンを発見できたのは、シュライザーのおかげだ。

 感謝の気持ちを込めて頭を撫でると、シュライザーは自慢げに鼻から息を吐いた。


 ベンゼルはフッと笑うと、「さて」と呟き、オロンの肩を優しく叩いた。


「……んんっ。……ん? お兄ちゃん達だあれー?」

「俺はルゼフ、こっちはリディーだ。君はオロンで間違いないな?」

「う、うん。僕がオロンだけど……」

「よかった! 私達はニルト君の知り合いでね。オロン君を探しに来たの!」


 兄の名前に安心したのか、オロンの顔がぱっと明るくなる。


「さっ、お兄ちゃんのところに戻ろ!」


 しかし、リディーが手を差し出すと、たちまちオロンの顔が暗くなってしまった。


「……やだ」

「えっ? ど、どうして?」

「だって……だって、お兄ちゃんは僕のこと嫌いなんだもん!」

「嫌い?」

「……うん。初めてのお使い、僕はすっごく楽しみにしてたのに、お兄ちゃんはすぐに怒るんだ。それに! 『お前なんか消えちゃえ』って!」


 オロンは声を荒らげるや否や、わんわんと泣き出してしまった。

 リディーはそんなオロンをすぐさま抱き締めると、先ほどニルトにしたように優しく頭を撫でた。


「それは辛かったね。でも、さっきニルト君から聞いたんだけどね。本当はそんなこと全く思ってないって! それどころか、オロン君のことが大好きで大好きで仕方ないって言ってたよ!」

「ほんと?」

「ほんとっ! だから、さっきひどいことを言っちゃったのを謝りたいんだって!」

「そっか……」

「うん! どう? お姉ちゃん達と一緒にニルト君のところに戻ってくれる?」


 ひと呼吸おいて、オロンは大きく頷いた。



 ☆



 ベンゼル達はオロンを連れて、ニルトのもとに戻ってきた。

 すると、こちらに気付いたニルトが不安そうな顔で駆け寄ってきた。


「お兄ちゃん!」


 オロンが嬉しそうに声を上げたのを受け、ベンゼルはシュライザーを停止させる。

 リディーが御者台からオロンを降ろすと、彼はニルトのところに走っていった。


「オロン! よかった! 無事で本当に……!」

「お兄ちゃん……!」


 幼い兄弟はお互いを抱き締めると、再び涙を流した。

 やがて抱擁を解くと、ニルトがオロンに深く頭を下げる。


「さっきはひどいこと言って本当にごめん! 本当はそんなこと少しも思ってないのに、僕ってば……」

「ううん。僕もわがままばっか言ってごめんね」


 兄の謝罪をオロンは受け入れ、そして自分の非を詫びた。


「ふふっ」


 二人を見つめるリディーはとても優しい表情だった。

 そんなリディーを見て、ベンゼルはとある日のルキウスの言葉を思い出した。



 ◆



 アイルサを発った翌日の夜。

 ベンゼル達は食事をとりながら、新たに仲間に加わったフィリンナにそれぞれ自分達のことを話していた。


「――へえ、ルキウスさんも妹が居るんですね! どんな方なんですか?」

「うーん、そうだなあ。寂しがり屋で泣き虫で、いつも僕の後ろにピッタリついてくる。そんな感じかな」

「甘えん坊さんなんですね! ふふっ、可愛らしいですね!」

「うん! 世界で一番可愛い自慢の妹なんだ! ……ただ」

「ただ?」

「妹のリディーは歳の割には少し子供っぽくてね。兄としては少し心配というか」


 そう言うと、ルキウスは困ったように笑った。


「何、お前の妹だ。きっと立派な大人に育つだろう」

「そだよ! 心配いらないって!」

「そうかな。そうだったらいいんだけど……」


 ルキウスが目を伏せる。

 よほど妹のことが気がかりのようだ。


「まあ、そんなに妹のことが心配なら、お前が導いてやればいいさ」

「僕が?」

「ああ。お前の背中を見てれば、間違いなくまともな大人になるからな」

「あはは、それは買いかぶり過ぎだよ。……まあ、でもそうだね。リディーのことは僕が導かないと」


 ルキウスが拳を握りしめる。


「そのためにも一刻も早く魔王を倒して、妹さんのところに帰らなきゃですね!」

「うん! みんな、頑張ろう!」



 ◆



 ベンゼルは空を見上げると、心の中で親友に語り掛けた。


(ルキウス、リディーはちゃんと立派な大人に育っている。だから心配するな)


『そっか、ならよかった』、そんな声が聞こえた気がした。



「――ありがとうございました!」


 顔を向ければ、ニルトがオロンと一緒に頭を下げてきていた。

 無事、仲直りできたようだ。


 これで気になっていたことが聞ける。


「どういたしまして。ところで、どうして子供だけでこんなところに居るんだ?」

「あっ、僕達はお父さんの代わりに仕事をしてて。アイルサからゴインに商品を届けてて、今はその帰りだったんです」

「お父さんの代わり?」

「はい。その、お父さんが怪我しちゃって今は安静にしてないといけないので」

「そうか、立派だな。しかし、子供達だけでは心配だな」


 街道沿いに進めば、モンスターに遭遇することはない。

 が、盗賊などに襲われる可能性は残ったままだ。


「ですね。私達がアイルサまで送ってあげたほうが」

「あっ、いえ、僕達だけで大丈夫です!」

「えっ、でも――」

「大丈夫です! というか、お父さんに仕事を任させてもいいって思ってもらうためにも、このお使いは僕達だけで済ませないといけないので!」

「……そうか。わかった。ただ、誰かに話し掛けられても、絶対に馬車を止めるんじゃないぞ」

「はい! 絶対に止めません! 今日は本当にありがとうございました!」

「ありがとーございました!」

「いえいえ! 気をつけてね!」

「うんっ! お姉ちゃん達も!」


 オロンがそう言うと、兄弟を乗せた馬車は去っていった。


「さあ、俺達も行こう」

「はいっ!」


 そしてベンゼル達もシュライザーを発進させた。

 次なる目的地はここから北、世界最大の歓楽街がある都市――ゴインだ。

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