第38話 ミートパイ

「よし。今日はここまでだな」


 日が落ちてきたところで、ベンゼルはシュライザーを停止させた。

 そうしてシュライザーに飼葉を与えるべく、その準備をしていると――


「あの、ルゼフさん。グレキンに着くのっていつ頃になりそうですかね?」


 リディーが魔法で水を用意しながら、そんなことを尋ねてきた。


「ん? あー、そうだな。大体二十日後くらいになると思うが」


 ここまでの道中、川に架けられていた橋が崩落してしまっており、そのせいでベンゼル達は迂回を余儀なくされた。

 それに伴い、予定していた進行速度よりもだいぶ遅れているが、ベンゼルは気にしていなかった。

 魔王討伐時とは異なり、今は時間に余裕があるからだ。


「二十日、ですか……」


 そんなベンゼルとは対照的に、リディーは俯いた。

 その様子にベンゼルは首を傾げる。


「どうした? 何かすぐに必要な物でもあるのか?」

「あっ、いえ! 別にそういう訳じゃなくて!」

「だったらなぜ浮かない顔をしていたんだ?」

「そ、それは!」


 リディーが突然あわあわとする。

 一体どうしたというのか。

 ベンゼルが不思議に思っていると、リディーは「あっ」と声を漏らした。


「その……実はスイーツが待ちきれなくて!」


(なんだ、そんなことか)


 えへへと笑うリディーに、ベンゼルは大きく溜め息を吐いた。

 理由によってはなるべく早くグレキンに着くよう、シュライザーに頑張ってもらうつもりでいたが、そんな理由では無理をさせる訳にはいかない。


「そうか。悪いがそれは我慢してくれ」

「はい、我慢します! あっ、私、魔法の練習してきますね!」



 そう言うと、リディーはタタタッと駆けていく。


(やはりリディーもまだまだ子供だな)


 ベンゼルはフッと笑うと、料理を作り始めた。



 ☆



 ちょうど十日後。

 いつも通り、辺りが暗くなってきたところで道の脇にシュライザーを停め、彼に飼葉と水を与えたところで。


「ルゼフさん!」


 リディーが明るい声で名前を呼んでくる。

 反射的にリディーのほうに顔を向けると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。


「ちょっと遅くなっちゃいましたけど、お誕生日おめでとうございます!」

「……誕生日?」


 ベンゼルは首を捻る。そして頭を働かせる。

 ナンデールを発つ前に確認した日付を思い出し、そこから夜を越した回数を計算する。


(そうか。今日は俺の)


 ベンゼルはリディーの誕生日こそ意識していたが、自分の誕生日は全く気にしていなかった。

 だから一瞬リディーの言葉の意味が理解できなかったが、言われてみれば確かに今日は自分の誕生日だ。


「ああ、そうだったな。ありがとう、リディー」


 自分の誕生日を祝ってくれたことが嬉しくて、ベンゼルは頬を緩めた。

 その直後、なぜかリディーが突然暗い顔をする。


「ただ、ごめんなさい。私、何も用意できてなくて。本当はグレキンでプレゼントを買うつもりだったんですけど……」


(……そうか。それでリディーは)


 リディーが早くグレキンに着きたがっていたのは、スイーツを食べたかったからではない。

 自分の誕生日までにプレゼントを用意したがっていたからだ。

 そのことに気付くと、ベンゼルは優しい笑みを浮かべる。


「リディー、プレゼントなら大丈夫だ。その気持ちだけで十分すぎるほど嬉しいからな」

「いえ、そういう訳にはいきません! 私はルゼフさんにこんなにも素敵なペンダントをもらいました! だから私もしっかりとお返ししたいんです!」


 リディーがグッと迫ってくる。

 こういう時の彼女は頑固だ。遠慮すれば却って話がややこしくなる。

 だからベンゼルはその厚意を素直に受け取らせてもらうことにした。


「そうか。ならばその言葉に甘えさせてもらおう」


 そう言うと、リディーは顔を明るくさせる。


「はいっ! 遅くなっちゃいますけど、絶対にグレキンで用意しますから!」

「ああ。楽しみにしている」

「ふふっ。それでルゼフさん、参考までにどんな物をもらったら嬉しいですか?」

「えっ? そ、そうだな……」


 正直、これといってほしい物は今はない。

 それでもリディーがくれるものならどんな物でも嬉しいが、そのまま伝えると彼女を悩ませてしまうだろう。

 ベンゼルは答えに窮し、頭を悩ませた。


 その後も必死に頭を働かせることしばし。


(……そうだ、誕生日といえば)


 ベンゼルはふと昔のことを思い出した。


「リディー、物でなくてもいいか?」

「ん? あっ、はい。大丈夫ですけど」

「そうか。ならいつでもいいから、俺にミートパイを作ってくれないか?」

「えっ、ミートパイですか?」


 目を丸くするリディーに、ベンゼルは大きく頷いた。


「ああ、ミートパイは俺の好物でな」

「そ、そうだったんですか! 初耳です! ……でも、ミートパイならプレゼントとはまた別にいつでも作りますけど」

「いや、ミートパイだけで本当に十分だ」

「そうですか。……わかりました! そんなに好きなんですね!」

「ああ、一番の好物だ。……それにミートパイには特別な思い出があってな」

「特別な思い出?」


 リディーが首を傾げる。

 ベンゼルは大きく頷くと、少しの間を置いて顔を綻ばせた。

 

「ルキウス達と旅をしていた時、俺の誕生日にあいつらはミートパイを作ってくれた。それが本当に嬉しくてな」



 ◆



 アメリオ共和国の領土に足を踏み入れてから五回目の夜。


「よし。じゃあ、飯にするか。お前達、今日は何が食いたい?」


 シュライザーに餌を与え終えたところで、ベンゼルがルキウスとゼティアに尋ねる。


「あっ、今日は僕とゼティアが二人で作るよ」

「ん? 今日の料理当番は俺だろう? お前達は休んで――」

「いいっていいって! できるまでちょっと時間掛かるから、それまでベンゼルは好きなことしてて!」


 ゼティアはそう言うと、自分を追いやるかのように両手で背中を押してくる。


 そこでベンゼルは察した。

 ルキウスとゼティアは互いに片思いをしている。

 だからどちらが言い出したかはわからないが、二人で料理を作ることで仲を深めたいと考えているのだと。


(だったら邪魔者は素直に去ることにするか)


 ベンゼルはフッと笑うと二人に料理を任せ、少し離れたところへ移動した。



「――ふんっ! はあっ! ……はぁはぁ」


 虚空に向かって一心不乱に大剣を振り回すことしばし。

 息が切れたところでベンゼルは二人に顔を向けた。


 すると、ルキウスとゼティアはまだ料理をしていた。

 正直、もう腹がぺこぺこで一刻も早く食事をしたいところだが、せっかくの二人の時間を邪魔するのも気が引ける。


(まあ、今日くらいは俺が我慢するか)


 ベンゼルは木に寄りかかると、大剣の手入れを始めた。



 さらに数十分が経ったところで――


「お待たせー! できたよー!」


 ゼティアが呼びにきた。


「ああ」


 ベンゼルは「よいしょ」と立ち上がると、ゼティアと一緒にルキウスのもとに向かう。


「あっ、ベンゼル。遅くなってごめんね。ちょっと手間が掛かる料理だったから」

「そうか。それで一体何を……」


 ベンゼルは言葉を失った。

 皿の上にあったのはミートパイ。

 手間と時間が掛かることで、旅に出てからというもの、作ることも作ってもらうこともなかった自分の大好物だ。


「さっ、座って座って!」

「あ、ああ……」


 動揺しつつも、ゼティアに促されるままに腰を下ろす。

 すると、ルキウスとゼティアは顔を見合わせ、「せーの」と声を上げた。


「「誕生日おめでとう、ベンゼル!」」


 予期せぬ事態にベンゼルは目を瞬く。

 ややあってふと我に返ると、今日が自分の誕生日であることにようやく気が付いた。


「……そういえば今日は俺の誕生日だったな。ありがとう、二人とも」


 ベンゼルは二人に向かって頭を下げた。

 その瞬間、美味そうなミートパイが再び目に入る。

 そこでベンゼルは顔をハッとさせた。


「もしかしてミートパイを作ったのは」

「うん。前にミートパイが好きだって言ってたからさ。本当だったらプレゼントも用意したかったんだけど、それはちょっと難しいから、せめて好きな料理だけでもと思って!」


 その言葉と気持ちにベンゼルの胸が熱くなる。

 思わず涙がこぼれそうになるのをグッと我慢して口を開く。


「そう、か。……本当にありがとう」

「うん、どういたしまして!」

「ほら、ベンゼル! あったかいうちに食べて!」

「ああ、頂こう」


 ミートパイにフォークを突き刺すと、サクッと心地よい音が鳴った。

 これだ、この感触がベンゼルは好きなのだ。


 期待に胸を膨らませ、三角形に切り分けられたミートパイを丸ごと持ち上げる。

 喉を鳴らすと、そのままかぶりついた。


「これは……!」


 サクサクとした食感に、肉の旨みとトマトソースが調和した絶妙な味わい。

 これは美味い。


「ど、どうかな?」

「あ、あたし的には結構美味しく作れたと思うんだけど?」


 ルキウスとゼティアが不安そうに尋ねてくる。

 ベンゼルはごくりと飲み込むと、満面の笑みを浮かべた。


「美味い。今までに食べたどのミートパイよりも美味い」


 そう言うと、二人はほっと息を吐いた。


「よかった! そう言ってもらえて僕も嬉しいよ」

「ねっ! まだまだあるから、どんどん食べてね!」

「ああ、ありがとう。じゃあ、さっそくもらおう」


(フッ。二人のおかげで最高の誕生日になったな。……よし。ルキウスとゼティアの誕生日には、今度は俺が腕を振るおう)


 それから仲間の誰かが誕生日を迎えた時は、その他のメンバーで好物を作ってあげるのが恒例となったのだった。



 ◆



「なるほど、だからその時みたいに私にミートパイを作ってほしいって!」

「ああ。できたらで構わないんだが」

「できます! それにミートパイなら今ある食材で作れるので、これからさっそく作りますね!」

「いいのか?」

「もちろんです! じゃあ出来上がったらまた呼ぶので、それまでルゼフさんはゆっくりしててください!」

「そうか。わかった、ありがとう。楽しみにしている」


 ベンゼルはそう言い残して、リディーから少し離れる。

 そうして大きな岩に腰を下ろすと、ナンデールで買った小説を読み始めた。



 それから数十分後。


「ルゼフさーん! できましたー!」


 リディーの声が耳に届いた。

 ベンゼルは小説にしおりを挟むと、リディーのもとに戻る。

 彼女の目の前に置かれた大皿の上には、大きなミートパイがあった。


「おお! これは美味そうだ」


 嬉しそうに言いながら、リディーの向かい側に腰を下ろす。

 するとリディーはミートパイを切り分け、ニッコリと笑いながら皿を差し出してきた。


「ルゼフさん、改めてお誕生日おめでとうございます! はい、どうぞ!」

「ありがとう。じゃあ、さっそく」


 フォークを手に取り、ミートパイに突き刺す。

 サクッとパイが崩れる音が聞こえ、思わず口元が緩む。

 口を大きく開けて豪快に食らいつく。


「…………」


 美味い。それに懐かしい。

 ルキウスとゼティアが作ってくれたのと同じ味だ。

 あの幸せな時間が脳裏に蘇る。


「……ど、どうですか?」


 あの時のルキウスと同じように、リディーが不安そうな顔で尋ねてくる。

 ベンゼルはミートパイを飲み込むと、歯を見せて笑った。


「最高に美味い。こんなに美味いミートパイは、ルキウスとゼティアに作ってもらった時以来だ」


 リディーが安堵の息を吐く。

 そしてニッコリと微笑んだ。


「よかった! まだまだたくさんあるので、いっぱい食べてくださいね!」

「ありがとう。なら、さっそくお代わりをもらおう」

「あっ、はい!」


 それからベンゼルはリディーとの会話を楽しみながら、美味しいミートパイを腹いっぱいになるまで味わった。

 その間、ベンゼルはいつにも増して幸せそうな顔をしていた。

 ルキウスとゼティアに祝ってもらった誕生日と同じように。

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