裸のサイコロ

裸のプラントエンジニア

第1話『裸のサイコロ』

「あと少しで現実とエーテル(非現実的な表面を形成するシュール正体、つまるところ未確認実在集合体、が支配的なる無制限領域でございます)のちょうど境目です」

 漆黒の蒸気機関車に似ている例の長列従属型の走行機械が少しずつ高度を上げる。まわりには、意志のない原始体の集合体がとり囲むように存在している。


シュルレリロリロシュルレリロラロ。


車両フレームの隙間へ意志のない原始体は吸いこまれてゆく。アレらがぶつかり、反作用で燕尾服のコートがバッサバサと強めになびく。意志のない原始体のほかには、音の残骸、時空間の雛がた、光子の末裔が在る。多様な振動数を感じる。時間や音や思考のフォームが崩れてゆく。


「私は比較的、乗り物の運転が好きなのです」


 その紅く大きな鼻がモノ悲しい、白くテカテカの顔をした男は、燕尾服の胸ポケットから薄い金属製の小型計算器のようなものをとりだし、それを車両に固定されている制御盤のスリットにすっと挿入して、制御盤をしばらく操作している。走行機械のスピードが上がってゆく。意志のない原始体の群れを突き破りながら蒸気機関車が灰煙を勢いよくフキあげて右にまがる。もしくはまげられている。どちらなのかわからない。レールがない。蒸気機関車が新しい「みち」をつくってゆく。蒸気機関車の下では多数の手足が百足のようにランダムにうごめいている。掻いているわけでもなく、引っぱっているわけでもない。回転しているわけでもなく、跳ねているわけでもない。暴れているわけでもなく、疲れているわけでもない。無造作だが統制がとれている。


 蒸気機関車のずっと下、さらに、意志のない原始体のはるか下には親愛なる地上が広がっている。砂や水は、どこまでもいつでもそばにいて全てのものを愛しつづけている。永遠に。砂や水として、使い古された音や時空間を受けいれ、あふれることなく蓄えていく。永遠に。地上では、そのいわば永遠の砂漠をつっきるように、皮をかぶった男たちが砂煙を巻きあがらせて走行機械を走らせている。例の独載型の走行機械。


 蒸気機関車の向かう先に塔のようなものが見える。現実とエーテルの境界を下から上にまっすぐ貫いて、エーテル側に頭を出している迫力のある一本の構造体。根元が比較的細く、エーテルに近づくほど太くなっている。


「月から見える唯一の建造物、形而上学的なヒューマンビーイングです。まだまだ成長しています」


 塔のまわりには無数のこまやかな突起がある。何かの装飾物のようだ。圧倒的な時間が歴史が脳裏を激しく攻撃する(存在を肯定せよ)。遙か塔上のエーテルに、青くて四角い月がじっと浮かんでいる。塔がちかづいてくる。突起の正体は機械にんぎょうたちだ。彼らは柱を柱に固定している。下にいる彼が、自分のところにある柱を工具で取りはずして上にいる彼に渡す。下にいる彼は更に下にいる彼から柱をもらい、自分のところに工具で固定する。単純にその行為をミスなく繰り返している。人類に見えなくもない。だが明らかに機械仕掛けだ。


 遙か永遠の彼方に、同じ塔が見える。永遠の砂漠の中心には、おびただしい数の丸い煙突がそびえている。それらの煙突からはき出される煙の下には、二十四万を越すカジノ、歓楽街、酒場、監獄、慈愛病院、見本市、慈善学校、法学院がある。


「工場は工場独自のやり方で動いているのです。世界は普遍的なものではありません。たった一度大昔に、工場は世界をひっくりかえしたそうです。くるっとさかさまにして。なにもかもをです。理由は分かりません。きいた話で恐縮ですが」


 蒸気機関車とピエロ顔の男が透け始める。たった今、現実をつくりだしているのだ。


 神話的に語り出す。


「そのとき海には、神話から出て来たような大渦巻きができたそうです。そしてバッコス・ガリオレリスが大量発生したようです。湖にも山にも谷にも。そして、すべてを切り刻んだそうです。そのあと漆黒の大蟹が切り刻んだ物をすくいあげました。そして逆さまにすると永遠の無が垣間見えたそうです。永遠の無は永遠の有と同義だそうです。その場所では時間が止まっているからです。森羅万象が絶対的に永久冷凍のようなものです。ですから永遠の無でもあり、永遠の有でもあるのです。お判りいただけますでしょうか?」


 ピエロ男は永遠に続ける。


「私は工場の命により、この蒸気機関車で工場が造った”或る22:41”と 同じく工場が造った”或る22:41”とを丁寧に繋ぎあわせています。このチャックみたいに。境界がどろどろの場合はしばらく待って冷やします」


 首の後ろの金具をスライドさせてチャックを開ける。チャックの中身は空っぽだ。


「指でつまむ金具が蒸気機関車で、凸凹した歯型の連続が“22:41の一団(のっぺりとした四角い地上表面)”と隣の“22:41の一団(同じくのっぺりとした四角い地上表面)”の境界みたいなものです。隣あわせの四角い22:41がおうよそ六片つながることで”22:41”が完結されます。たとえるならば無限の六面体を工場が蒸気機関車を使って一筆書きしているようなものです。もうしばらくしたら、中身が丸見えの六面体に換わります。いわば『裸の六面体』です。私たちは、それら、つまり工場がつくった22:41に含まれております。もちろん、そのことを拒絶できるわけはありません。遠い昔、地上ができたころ、まだ時の流れが非常に穏やかだったころ、地上には工場だけがポツンとありました。それ以来、工場独自のやり方で森羅万象を時代を紡ぎ続けてきたのです(形あるもの、形ないもの、生かされているもの、生かされなきもの、それら全てをです)。永遠の無、つまり世界の終わりが来れば工場を休ませてあげられるのです」


 ピエロ男は永遠に続ける。


「現実上の形而上学的な全ての粒子の位置と速度は工場が把握しています。近年の文明による物理法則にのっとって工場がシミュレーションをしたそうです。ことの発端は想像力の創造です。想像力で裸の六面体が膨れ上がってきているのです。何事もほどほどがよいようです。工場は想像力を抑え込むことにしました。人類はしょせん人類です。逸脱してはなりません。バランスが大事です。工場はこのままでは永遠の無には辿りつけないと判断したのです」


 ピエロ男は永遠に続ける。


「私としては、どうせなら角をとっぱらってしまえばよいと考えています。膨らんでも圧力を拡散できるため、まだある程度もちそうです。できれば徐々に六面体の角を取ってゆき、ひと続きの球面にしたいと考えています。でも、工場はおもしろくなさそうです。まやかしだからです。まやかしは悪なのです。地上ができたころと同じひと平面に戻したいのです。故郷に戻りたいのです。生まれ育った片田舎が恋しくなるものです。気持ちはわかるでしょう?」


 ピエロ男は永遠に続ける。


「どこに針をさすのかはわかりません。針をさすことによる影響は計り知れません。工場のシミュレーションでは、針をさした地上面のみ残り、それ以外の面は粉々に消え去るそうです。そうすることで永遠の無にたどり着くわけです。そこまで工場は追いつめられているのです。規正の概念を捨ててみようと工場は思っていると思うのです。工場は遠くないうちに決断すると思います。永遠の無は、わが世界に何をもたらすのでしょうね」


 ツナギを着た男には全てが心地よく感じられる。

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