第四四話 ネゲイション(否定)

 ——喫茶店のカウンターに座っていたネゲイションがふと、腕時計を軽く確認した後音もなく立ち上がる……。


「さて、そろそろ出かけますかね」


「ん? どこへ行くんだ?」

 クレバスは広げていた新聞を畳むと、彼に出していたコーヒーカップをカウンターから洗い場へと移動させながら彼に問いかけた。

 それを見て薄く笑ったネゲイションが口元に指を当てて、秘密です、と言わんばかりのジェスチャーを見せる……優雅だが無駄に芝居ががった仕草に、面白くなさそうな表情を浮かべたクレバスがふうっ、とため息をつく。

 こういう仕草をするということは、ネクサスの首領であるネゲイションは意図を語ることは絶対にない。

「……ったく、今度はちゃんと教えてくれよな」


「努力はしますよ」

 笑顔のまま扉を開けたネゲイションはひらひらと手を振ってクレバスに応える……彼はほとんど自分の考えを伝えることはしない、さらに目的も正確には伝えることはしようとしない。


『好きなように、思いのままに、そして生きて死ぬ、それだけを求めるよ、よろしくね』


 簡潔だが突き放したかのような言葉。

 だがヴィランは元々個人個人での活動が多く、このくらいの緩さでいいのかもしれないな……とクレバスは少しだけ考えている。

 今日もまたモン・ブランは少しだけ静かになっている……ヴィランの活動が活発化したことで、一カ所に集まることなく地下に潜伏しろ、というネゲイションの言葉があったからだ。


 そのため今日店の中にいるのは、不気味な白いペストマスクの男……ナイトマスターだけだ。

 彼はマスクの口元だけを開いてストローを使ってアイスコーヒーを飲み、何かの書籍を開いており読書に励んでいるようにも見えるがその目は決して本の中身を見ているわけではない。

 目の中にある光は空虚で、感情を全く映していない……不気味すぎる存在だ、まったく気持ちが悪いったらありゃしない……。

「……お前は正直だな」


「は? え?」


「私のことを不気味だと素直に思っている、それが通常の反応だ……むしろネゲイションが異端だと思うべきだな」

 ナイトマスターはクスクス笑うとペストマスクの開いた部分を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。

 どうして心の中をクレバスが理解できずに呆然としていると、ナイトマスターは懐からアイスコーヒーの代金を現金でカウンターの上に置き、クレバスに空虚な赤い目を向ける。

 慣れない……この目は何かおかしな光を帯びている気がする……クレバスはサッと目を逸らすと、興味を失ったのかフン、と軽く鼻を鳴らすと扉を開ける。

「さて……辺りにいるネズミを始末せんとな……クレバス、今日は外に出ない方が良い。お前は計画の要だからな……」




「さて、病院へ行かないとね……」

 ネゲイションは目的地である都内にある市民病院の最寄駅へと降り立つと、先ほどまで画面を見ていたスマートフォンを懐に仕舞い込む。

 猫のような目をした異様な外見ではあるが、彼自身が表立って行動していないため、彼がヴィランであるとは全く知られていない。今歩いている商店街にも多数の一般人が彼の横を通り過ぎていく。

 本来であれば、ヴィランというだけで慌てふためいて逃げる人たちばかりだろうに、顔を知らないが故に彼のことを認識できておらず、ヴィランは悠々と商店街の中を通り過ぎていく。


 ネゲイションには目的がある……ヴィランの王を復活させるという建前と、その実日本におけるヴィランを中心とした新しい社会を作るという崇高なる目的がある。

 王などいなくても良いが、ヴィランの王というカリスマの存在は死して尚この社会の裏側に住むヴィラン達に強い影響を与えている。


『……彼が、彼がいてさえくれれば……俺たちはこんな場所で隠れずに……』


 ふと何年も前に仲間が零した言葉……それを思い出す。

 居ない者を求めても仕方がないのに、それでも求めてしまうのはヴィランですら一人の人間でしかないからだろう……それゆえに立ち上がらなければならなかった。

 大義というのだろうか? ヴィランが掲げる大義などたいした者ではないかもしれない、彼自身をリーダーとして認めないヴィランも数多く存在している。

 それらを糾合するにはまだまだ時間とヴィランの数が足りない。

「時間か……」


 思考は次に先日の出来事に移っていく。

 ナイトマスターが重傷のヘヴィメタルを連れて帰ってきた……ポイズンクローは警察により捕獲されたと話をしていたが、おそらく面倒になって放り出したに違いない。

 ナイトマスターは味方……というよりは彼なりの目的があってネクサス、ひいてはネゲイションに協力しているだけで、正直なことを言えばネゲイションの命令すら拒否する可能性が高い。


 ヘヴィメタルのように忠誠を捧げてくれるヴィランは貴重なのだ……正直いうのであればヘヴィメタルの感情は少し鬱陶しいものではあるが……それでも役に立つ間はうまく対応をしなければいけない。

 現在ヘヴィメタルはネゲイションが裏で手を回した市民病院に入院している……もちろん面会謝絶の上、協力者以外が触れることすらできないヴィラン用の特別な病室に入っているのだ。

 ふと、周りの異変に気がついて左右を見渡すが、それまで数多く歩いていたはずの人の姿が消え去っている……ふむ、誘われたということだろうか?

「……光が強いほど影はまた濃く映る……そうじゃないですかね?」


「知らないですよ……護衛もつけずに随分と悠々と歩きますね」

 緋色のスーツを着た女性がそこには立っている……髪の毛はゆらりとまるで焚き火の炎のように瞬いており、その才能タレントが炎系の何かであることは一目瞭然だったからだ。

 確か……イグニス、そう一級ヒーローの一人……超級になるのもすぐとまで言われた逸材が彼の前数メートル先に立っている。

「……一般人相手に随分と仰々しいですね」


「一般人は自分のことを一般人とは言わないわ……少し前、とある駅の近くで若者の腕を切断した犯人がまだ捕まっていないの、犯行現場の近くにあるカメラにあなたのことが写っていてね……」


「はあ……それで私が容疑者になってるんですか? 人違いですよ」


「ネゲイション、本名は疫病草 零えやみぐさ れい……お名前は合っていますか?」

 その名前を聞いて、ネゲイションはニヤリと笑う……そうか、誰かはわからないが裏社会の誰かが自分の情報を売り払ったということか。

 愚かな……なんて愚かな連中なのだ……ヴィランの数が増えるに従って、自分たちの領域が侵されるとでも思ったのだろう……しかし一度受け入れたものを簡単に売り払えるとは、なんて度し難い。

 急に笑みを浮かべたネゲイションにイグニスはギョッとした顔を浮かべるが、すぐに両手に炎を纏わせると、彼に向かって叫ぶ。

「ネゲイション! 大人しく……ッ!」


「黙れ、俺はお前の炎を

 その言葉と同時に、イグニスの瞬いていたはずの髪の毛も、両手に纏わせた炎も黒い煙をあげて消失してしまう……なんだこれは……?

 次の瞬間、いきなり離れていたはずの距離を潰してイグニスの目の前に現れたネゲイションは彼女の腹部に拳を叩き込む……が咄嗟の判断で肘を使ってブロックしたイグニスは混乱する思考の中、ほぼ無心で反撃の拳を振るう。

「くあああっ!」


「……弱いなお前、一級ヒーローと聞いているがそんなものか?」

 イグニスの顔に苦痛の色が浮かぶ……反撃の拳はネゲイションの肘によって阻まれ、全力で奮った拳はヒビでも入ったのか激痛を伝えてくる。

 ネゲイションはすぐにイグニスの髪の毛をぐいっと掴むとそのまま振り回すように彼女を投げ飛ばす。

 受け身も取れないまま地面に転がるイグニスだが、何度か回転したのち飛び上がるように姿勢を整えて立ち上がる……だが彼女の代名詞である炎はいまだに復活しない。

 ネゲイションはゆっくりと路地裏に向かう少し薄暗い通路へと歩いていく……だが、イグニスの能力が復活していない今、彼を押し留めるものが存在していない。

「……せっかくお見舞いにでも行こうかと思ったのに、ヒーローは無粋だな。まあいい……俺を捉えるなら龍使いロンマスターでも連れてくるんだな」


「……な、逃げる気か?!」

 だが次の瞬間イグニスの才能である炎が復活する……それと同時にネゲイションの姿がまるで闇の中へと溶け込むように消えていく……慌てて走ってヴィランの消えていった場所へと向かうが、その通路にも、路地裏にもヴィランの姿は見当たらない。

 近くの壁を軽く殴り飛ばすと、イグニスは黙って地面を見てしまう……一級ヒーローと持て囃されて油断していたのか? それともネゲイションがあまりに強すぎたのかもしれないが、それにしても……。


「未熟すぎる……こんなことだから先日も学生をうまく誘導できなくて……私は……何をしているんだ……」

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