第2話 イインチョ

 初恋の相手、チイちゃんにバケモノ呼ばわりされてから8年後。

 俺は高校1年で、未だ彼女なし。

 いいな、と思う人は何人かいたし、気の合う女友達だっていたし、なんなら俺に気がありそうな奴だっていたけど、また『バケモノ』と呼ばれてしまうかも、と思うともう、どうしても怖くて。

 男女問わず、家族以外には誰にも、俺は満月の光を浴びた自分の姿を見せる事ができずにいた。


 好きな相手になら、俺の全部を知ってほしい。 

 どんな俺でも好きでいてほしい。


 なんて思う俺は、もしかしたら甘いのかもしれない。

 でも、どうしたってそう望んでしまうから。

 もしかしたら、このまま一生、彼女なんてできないかもしれない。

 家族以外の誰にも、俺の全部を見せることなんて無いのかもしれない。

 …心から信頼できる人になんて、出会えないかもしれない。


 そんな諦めのような覚悟さえ、俺はしていたんだ。

 


「あ~…やっぱ綺麗だなぁ、満月」


 久しぶりの皆既月食の始まりを、俺は近所の公園でひとり待っていた。

 パーカーのフードをしっかりと被って。

 それほど人通りは多くない公園だが、誰が通るかは分からない。用心するに越したことは無いだろう。


 チイちゃんは、満月の光を浴びた俺の姿がよほどショックだったのか、翌日から学校に来なくなり、いつの間にか転校していた。だから、あの日以来会っていない。

 あの日の出来事は、俺の中でくすぶり続けたまま。

 大好きな人に『バケモノ』と呼ばれた心の傷は、今でも時折思い出したように疼く。


「おっ、始まったか?」


 真ん丸の月の一端が、黒く欠け始めた。

 僅かずつ、その黒い部分が広がってゆく。

 やがて。

 全てを影に覆われた満月は、仄かな赤い光を放ち始める。

 金色に輝く満月も俺は好きだが、滅多にお目にかかれないこの赤い月もお気に入りだ。


「綺麗だなぁ」

「そうね」


 うんうんと頷きながら、暫くの間その赤い月を俺は眺めていたのだが。


 ・・・・えっ、誰っ?!


 だいぶ遅ればせながらも、返って来た相槌に気づいた俺は、何気なく隣を見て…


「なっ?!イインチョ、なんだよっ、なんでいんだよこんなとこにっ!」


 情けない事に、俺はその場で飛び上がって驚いた。

 いつからそこに居たのか、俺のすぐ隣に、同じクラスの学級委員長が立っていた。

 長い髪の毛をキッチリ三つ編みにして、デコ丸出しで、黒縁メガネを掛けている。


「別にいいでしょ?塾の帰りに公園に立ち寄って皆既月食を堪能しても」


 月を見上げていた顔を俺に向けたイインチョが、無表情なまま俺を見る。


 いや、そうだけど。

 そうなんだけどっ!

 俺、狼人間のハーフだからか、結構耳もいいはずなんだぞ?

 なのに、全然足音にも気づかないなんて・・・・


「こっ、声くらい掛けろよな」

「邪魔したら悪いと思って」


 ニコリともせず無表情のままそう言うと、イインチョはまた月へと視線を戻した。


 イインチョは、いつもそうだ。誰に対しても。

 クソ真面目で無表情。

 周りに人を寄せ付けない雰囲気を纏わせて。


 そういや、イインチョの名前って、なんだっけな?


 俺もつられて月を見上げながら、ふとそんなことを思った。

 イインチョのことは、大抵みんなイインチョとしか呼ばない。彼女もそれを望んでいるようだった。教師でさえ、委員長、と彼女を呼ぶ。

 教師に対してでさえ、彼女は必要以上の接触を避けているように見えた。


「終わったわね」


 皆既月食という天体ショーを、予想外に自分以外の誰かと眺めることになった俺は、きっとこの時気が緩んでいたのだろう。

 突然のイインチョの登場に飛び上がった拍子に、パーカーのフードは頭からすっかりずり落ち、頭が露出した状態で気づけば俺は満月の光を浴びていた。

 月から俺へと視線を移したイインチョの目が、眼鏡越しでもはっきりと分かるほどに見開かれる。


 しまった!


 慌ててフードを被り直そうとした俺だったが。

 信じられない光景を目の当たりにし、俺はそのまま固まってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る