第6話 白い部屋で目覚めた私は

「…………さん。東雲さん」

 どれほど時間が経ったのだろうか、ぼんやりと頭に霞が掛かった様な感覚の中、私は誰かの呼び声に目を覚ました。

「ん、んんん……。あ、あれ?」

 呻きつつ、私は目を開けるが一瞬自分がどこにいるのか把握できずに困惑する。記憶では教室にいた筈だが。いつのまにやら白いベッドの上で身体を横たえている事に気づいたからだ。

「大丈夫かい?」

 目の前には私と同年代の男の子が心配顔で覗き込んでいた。細面の顔に小さめの鼻と薄い唇。目は糸の様に細く、その真上には太く大きな眉毛がアクセントのように鎮座している。 

 先ほどのエリナと話していた中にも登場した熊谷優斗君だ。    

 その彼がかけているブルーフレームのメガネが灯りに反射してキラ付く光が目に入り、私の意識は完全に覚醒した。

「く、熊谷君? あれ、えっと私、どうして……」

 辺りを見渡すと彼の後ろには清潔感のある白で統一された机や棚が並んでいた。更に独特の消毒液の様な匂いが鼻を刺激してくる。

 そうかここは保健室だと気づいた。でも、なんで私がここで寝ているんだろう。記憶では確か教室に居た筈だ。

「ああ、良かった。文化祭実行委員の会議が終わって教室に戻ってみたら君が倒れていたんだ。驚いていると降矢先生も丁度やってきたんでね、二人で保健室に運んだのさ」

「そっか。私、帰ろうとしたら……」

 と、そこで言葉が詰まってしまう。倒れる前に見たモノの記憶。とても非現実的な記憶だった。あんな体験、現実だったと思いたくない。ひょっとして夢ではないのかと想おうとしたが、窓の外に見える光景がそれを否定する。

 ここから全てが見えるわけではないが、もう薄暗くなっている窓の外には人だかりがある。そして、更に白衣を着た救急隊員らしき人の姿も目に入ってきていた。

「えりなが……落ちた。飛び降りたらしい」

 私が躊躇している事に気付いたのだろう。また、その言葉を私が吐かないで済むように気を使ってくれたのかも知れない。彼は単刀直入にその事実を口にした。

「そ……う」

 対して私もそれしか返すことが出来ない。

 彼の言葉はとてもショッキングだったし哀しかった。そして教室でエリナと会った時の事が思い起こされてしまう。同時に、その直後に起きたあの恐ろしい光景まで呼び起こされそうで、それを必死に押し止めようという意識も重なった。

 更に言えば目の前に居るこの男の子は彼女の幼馴染だという事も知ってしまっている。彼にどう言葉を掛ければいいのかも分からなず沈黙の時が訪れる。が、

「君は……、えりなに会ったんだよね」

 先にそれを破ったのは彼の方だった。

「うん、そうなの。教室で日誌書いてたら入って来てさ」

「ああ、知ってるよ実は僕もその後えりなにあったんだ。で、君が教室にまだ残っていたことを聞いてね。ひょっとしたら、まだいるんじゃないかと思って覗いてみたんだ」

「熊谷君、鞄は持ってってたんでしょ。そのまま帰っていてくれれば良かったのに」

「いや、もし居たなら大分暗くなってたからね、途中まで送って行こうかと思っていたんだよ」

 少し柔和に微笑みながらいう彼のそんな言葉に人の好さが表れている事を感じて少し気持ちが暖かくなりながら返事をする。

「大丈夫だよ。そんなに家遠くないし。そういえばエリナにもそんな事言われたんだよね」

「ああ、僕も実は言われたんだよ。『もう、遅い時間なんだから、あんたが送ってってあげなさいよ』って、もし、こんな時間まで残ってたら元よりそうするつもりだったけどね」

 あんな事になった彼女の話題。それがこの場に相応しいのか分からない。でも本題に入るのは心苦しいというのもありポツポツと話のラリーを続けていく。

「え、そんな事頼んでたの。全くお節介、なんだから……」

 他人にはそれだけお節介を焼いてそれなのになんで……。そんな事をついつい考えながら放った言葉。

 それに対して熊谷君はそれまでと少し違う様な慌てた口調で返事を返す。

「いや。まあ、その、頼んでいたのは寧ろこっちの方でさ……」

「え? 何を頼んでいたの?」

 そんな彼の態度と言葉の意味を量りかねて私は不思議そうな顔を彼に向けた。

「それは……」

 彼が何か言いかけた時ガラガラガラと扉が開いた。反射的に私も彼もそちらに目を向けると、白衣を着た二十代くらいの女性が入室してきた。それを見て熊谷君が声を上げる。

「あ、姉ちゃん」

 顔を覗かせたのは、この保健室の主。熊谷しおり先生だった。立場上恐らくエリナがどうなっているかも確認しているのだろう。気丈を装っているが普段の明るい表情に反して憔悴しているのが判る。その白い肌は一層凄みを増していて青白い程にすら見えた。

「目を覚ましたんだね、東雲さん。具合を悪くしていたみたいだけど、大丈夫かな。もし、必要なら救急の方に病院へ運んでもらった方がいいかとも思ったんだけど」

 言って彼女は手にもっていたピンク色のスマホを机の引き出しに押し込んだ後、私の傍にやってきた。代わりに優斗君が場所を変えた。

「だ、大丈夫です。多分、軽い貧血だと想うんですけど、大分良くなりました」

 実際、私は軽く体を捻ったり頭を軽く回したりしてみるが肉体的には問題なさそうだった。

「そう。意識はしっかりしてるみたいね。どこか悪いところはない? 頭が痛いとか、気持ちが悪いとか」

 そのどちらも大丈夫そうだった。精神的にはまだ相当疲弊しているがそれはこの場にいる誰もが同じだろう。

「はい。もう、全然意識はしっかりしてます。この通り身体もピンピンとしてますよ。で、先生。その、二見、えりなさんなんですけど」

 彼女がどうなったのかストレートに聞くのも憚られた為そこで言葉を切ってしまった。が、察したてくれたらしく彼女は言葉少なく答えてくれた。

「彼女は……亡くなりました。先ほど病院から連絡があって死亡が確認されたとの事です」

 その言葉には私も、優斗君も返事をすることすら出来なかった。

 勿論、想像は出来ていた。私の教室は三階だ。そして、その教室の窓を上から下に落ちる場面を私自身が見てしまっている。ということは少なくとも四階以上から落ちたことになる。しかも地面に落下したその姿も目に焼き付いているのだ。 

 その時点で助かる見込みなどないことは予想済みだ。それでも、言葉で言われた衝撃は強かった。その沈黙を優斗君が破る。

「東雲さん、君も見たんだよね。その地面に落ちているのエリナの姿」

 やはり、彼も気になっていたのだろう。何故私が教室で倒れていたのか。恐らく、外で騒ぎが起きたので彼女が地面に倒れている所を目撃してショックを受けたと思っているのだ。それは、半分正しいが正確には違う。

「うん。それどころか、私、その。見ちゃったの。教室の窓の外をえりなが丁度飛び降りる所」

「え? じゃ、じゃあ、あなたが生きているあの娘を見た最後の人って事?」

 しおり先生が声を上げる。

「ええ。多分、そういうことだと思います」

 その様子に少し驚きながらも私はそう答えたのだが、

「あら、これはこれは中々興味深いことをお話されてますね。よろしければ詳しくお聞かせ願いませんか」

 聞きなれぬ女性の声がふいに耳に飛び込んでき。私は驚いてそちらに顔を向ける。すると、保健室の中へ白いパンツスーツに黒いブラウスを纏った小柄な女性が入って来たのが目に入る。

 若いという程ではないが、それほど歳をとっているようにも見えない。更にその後ろには茶がかったスーツ姿の年配の男が控えている。

「えっと……。どちらさま?」

 想わぬ闖入者に戸惑いながら尋ねると、その後ろから知った顔が割って入ってくる事に気が付いた。それは我らが担任のフル先こと降矢先生だった。

 彼はまず二人の闖入者に「ちょ、ちょっと。生徒に直接声をかける前にこちらに話を通してくださいよ」と言った後、私に「ああ、こちら警察の方だ。東雲、お前大丈夫か? 具合悪いんだろ」と心配気に顔を向けてくる。

 その表情でそれを聞かれるのも三人目だ。なんだか申し訳なくなってしまいながらも、私は、「いえ。大丈夫です。それより、先生も私を運んでくれたんですよね。ありがとうございました」と返事をした。

 すると彼も、「いやいや、問題なければいいんだ」と言ってほっとした顔で返してきた後「彼女は少し調子を悪くしてるようなんですよ。余り無理はさせたくないんですけど」と女性達に向かって言った。

「あら、そうなんですか。うーん、そうですね。なら明日改めてお話を聞かせて貰いましょうか」頬に手を当ててこちらに目を向けながら女性は年配の男性に顔を向けて言う。

 状況が段々のみこめてきた。この人たちはえりなの件を調べにやって来た警察の刑事さん。それで私の話が聞きたいのだろう。状況から見て彼女がああなる直前に接触したのは私という事になる。だから、警察が話を聞きたいといってきているのだ。恐らく拒否はできまい。

 それでもフル先は私の様子を見て気を利かせて日延べさせることを提案したつもりなのだろう。でも、冗談じゃない。明日はお休みの日。ただでさえ気が滅入る事が起きたというのに、せっかくの休みに警察と話をして潰すなんていうのは更に気が乗らない。それに自分が知っている事なんて多寡が知れているのだ。どうせ話さなければならないなら、今日済ませた方が良い。

「いえ、お気遣いなく。知っている事ならお話します」

「あら、本当に? 嬉しいわ。ご協力感謝します。私、月ヶ瀬警察署刑事課の滝田です」

 女性の方が先に名乗ると年配の男性も「品川です」と続けて頭を下げた。

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