魔女、決意を胸に秘める
徐々に覚醒する意識の中で目を開けると、目に見覚えのない天井がメリルの目に入った。部屋を見回し、メリルは、そこが前日に自分がとった宿の一室であることにやっと気づいた。
軽く身じろぎするだけで、体中がひどく痛む。
特にひどいお腹の痛みが、クローディアとその侍従に攫われ、デュークに炎の中から助け出された出来事を思い出させた。
(デュークはどうなったの!?)
がばりと起き上がるが、その瞬間体中に激痛が走り、ふらりと力が抜ける。
「サアヤさん、気が付いてよかったっす!」
隊の副官アランがちょうど部屋に入ってきて、ベッドに沈みかけたメリルの上半身を支えた。
「アラン! デュークは!? デュークは無事なの?」
「落ち着いてください。隊長はまだ寝てますけど、大丈夫です。もうちょっとしたら会いに行きましょう。あなたも今までずっと意識がなかったんっすよ。まずはこれを飲んで落ち着いて下さい。俺たちも今この街へ着いたばかりなんで、状況を教えてほしいっす」
メリルはデュークの無事の知らせを聞いて、ほっと胸をなでおろした。
よく見るとアランは、埃塗れの旅装のままだ。周りの明るさからすると、今はお昼を少し回った時間のようだ。この時間に街に着くということは、大分無理をしてかけつけたに違いない。
メリルは、差し出された水を飲みながら前日の状況をアランに話した。回復薬が混じっていたのか、体が徐々に楽になる。
クローディア嬢達はもうこの街を去ってしまっただろう。あの従者は、明らかに聖女の支配を受けていた。クローディア嬢の身が危ない状況なのに、メリルは助けることができなかったのだ。
そして、自分が捕まってしまったばかりに、アラン達の大事な隊長であるデュークに怪我を負わせてしまった。
メリルは、後悔に唇をかむ。
けれど、アランから返って来たのは予想外の言葉でメリルは一瞬面食らった。
「申し訳ありませんっ!」
「え? なんで」
「なんでじゃありませんよっ。あー、ほんっと、俺が馬鹿だったー。隊長の魔獣の刻印はいつ活性化してもおかしくなかったのに、隊長も俺も見込みが甘かったっす。いくら魔女だからってサアヤさんを隊長と二人だけで行かせるとかしちゃいけなかったっす。それに、サアヤさんを危険から守るために隊長が同行したのに、誘拐なんて目に合わせちゃって、ほんっと、騎士団の面目がないっす」
「違う。むしろ私が下手な聞き込みなんてしたせいで、捕まってデュークに迷惑を駆けて……」
「違いません。サアヤさんは、俺達が仕事を依頼した魔女様のお孫さんですけど、今回の件は、完全に善意で手伝ってくれてますよね。本当ならこれは騎士団の仕事っす」
考えてみたら、アランが言うのは当たり前のことだ。メリルは、彼らにとっては部外者で、騎士団にとって、この国の民は等しく守るべき人々で。
「でも、それじゃいやなの」
もう気づいてしまったメリルは割り切ることができなかった。
「私、デュークやアランの事、仲間だって思ってる。だから、守られたいんじゃなくって、――私が、役に立ちたいの」
自分は、デュークの側に――この人達の中に居場所が欲しくなってしまった。
王国を必死で守ろうとするこの人たちのために、メリルが、何かしたいのだ。
裏切られることは、今も少しだけ怖い。
でも、この人達は、前世でメリルを騙したあの男とは違う。
また、信じてみたいと思う人達だ。
じっと問うようにアランの顔を見上げると、アランは、顔を隠すように腕を上げた。
「サアヤさん、それやばいっす……これか、隊長もこれにやられたのか? それで俺達が一緒に行くのを拒否したのか?」
「ごめん、よく聞き取れなかったんだけど……ああ、やっぱり、一般人の私がこんなこと言うのはよくないかな。迷惑なら、」
「いや、そうじゃないっ。そうじゃないっす! すっげえ嬉しいっす。サアヤさんは、すっげえ役に立ってるっす」
「よかった! ありがとう。じゃあ、これからも手伝わせて」
自分の心の落ち着く先を見つけて、メリルは晴れやかな気持ちになり、自然に頬が緩む。
少し頬を赤くして首を縦にぶんぶんと振るアランを見て、メリルはこの人たちの力になりたい、と強く思った。
その時、隊のメンバーが部屋を尋ねてきて、アランははじかれたように席を立つ。応対するアランは厳しい顔になると、メリルの方に向き直った。
「クローディア嬢は、今朝、町の門兵に保護されてたそうっす。――侍従に襲われたところを門兵に助けられ、侍従の方はその場で切り捨てられたそうです」
「え?」
◇◇◇◇◇◇
クローディアは、宿場町の町長の自宅の客室で保護されていた。
目を覚まさないデュークは宿に残したまま、メリルとアランは町長宅へ向かう。公爵家の護衛騎士と使用人が令嬢を追って来たということにして、クローディアとの面会を申し入れた。
「お嬢様、無事でよかったっす」
「イアンはどこ!? 早く連れて来なさい。私を閉じ込めてイアンと引き離すつもりなのね!? そんなの許さないわ!」
アランとメリルを案内した町長によると、クローディアがあまりにもひどく取り乱しており、すぐにでもイアンを探しに飛び出そうとするため客室には鍵をかけているそうだ。
公爵家の高い身分の令嬢の扱いに困っていた町長は、さっさと引き取ってほしい(そしてお礼をたっぷりはずんでほしい)という態度で、疑いもせず二人を部屋に通してくれた。お家騒動には関わりたくないとでもいうように、そそくさと席を外す。
「イアン――侍従っすよね。彼はあなたの命を狙い、門兵に切られたと聞いたんっすけど」
「嘘、嘘よ。イアンがそんなことするわけないもの。だからあれは偽物よ!」
昨夜のクローディアは、イアンだけが唯一の味方と信じ、依存しきっているようだった。その人物に命を狙われたという事実がきっと認められないのだろう。
イアンは彼女の目の前で切られたと聞いているが、彼女の中で切られた人物は偽物にすり替わっていた。
「本当のイアンなら、そんなことはしなかったかもしれません。でも、あなたは気づいていたでしょう? 皆がおかしくなっていることに。昨日のイアンはすでに聖女に操られていました」
「せい……じょ……ひっ」
「クローディア嬢?」
「……いやああああ! やめて、来ないで。私は何も知らない。知らないのよ! だから、お願い? ねえ、もう見逃して。もう嫌、怖いの。もう嫌なのよ!」
「俺達は味方っす。あなたをお守りすることができます。だから」
「あなた達もあの女に操られているのね! 親切な振りをして、ここから出して私を殺すつもりなんでしょう! そうよ、あの女は、私の怯える様子を楽しむために、私にだけ魅了をかけなかったのよ。私の様子を見て笑ってるんでしょう! いやよ、行かないわ! 来ないで! イアン! イアン!!」
「ご安心ください。俺たちは、今、デューク殿下の元で動いています。クローディア嬢と幼馴染のデューク=シエル=アル=ルフト殿下です。デューク殿下は、聖女の力がきかないので、あなたを守ることができます」
「デューク……が? あの人が、来てくれたの?」
取り乱していたクローディアの瞳の焦点が合い、徐々に落ち着きを取り戻してきた。
(どういうこと? デュークは、クローディア嬢と知り合いだったの?)
けれど、高位貴族であるクローディアが同年代の王族と幼い頃から親交があったというのはよく考えるとなんら不思議のない話だった。
「デューク殿下は、この街に来ています。あなたの力になりたいとおっしゃってました。今は、体調を崩してここに来れないですけど、体調が戻ったらすぐにクローディア嬢に会いに来ますので、ご安心ください」
「デュークが……。あの優しいデュークが。ほんとに、来てくれたのね」
クローディアは、祈るように手を組むと、顔を歪ませる。
その顔は先ほどのように不安に歪むものではなく、安心に緩んでいた。
(そっか、それで、デュークは、同行したいって言ったんだ)
そういえば、と思い出す。デュークは初めから『公爵令嬢への応対も俺がした方がいい』と、そう言っていた。
部下を生贄にしないために自分が名乗り出たのも嘘ではないだろう。
ただ、それは目的の一つだったということ。
(幼馴染の公爵令嬢を助けたいと思うのは、人として当然だわ。そういう人だから、私はデュークを助けたいし、大切にしたいと思うの)
メリルは、デューク達のそばに居場所が欲しいし彼らを助けたいが、別にデュークの特別な一人になりたいわけではない。
少しもやもやした気持ちを感じてしまったけれど、大事な親友に対してだって人間は嫉妬するものなのだから、それは普通の感情だ。
「彼女の身柄は騎士団で預かることにします。王都の隠れ家へ連れて行きます」
「そうね。幼馴染なら、きっとデュークの側にいる方が心強いわよね」
アランの言葉に、メリルは力強く頷いた。
◇◇◇◇◇◇
デュークは、宿の一室で静かな眠りについていた。
傾きかけた日の光がデュークの横顔を照らしていた。
ベッドの上にうつぶせに横たわる彼の顔色は悪い。
あれだけ大きな梁が落ちてきたのだ、デュークの背中は、きっとひどいことになっているのだろう。
メリルは、薬草を煎じた回復薬や傷薬を作ることができても、怪我を直す治癒魔術を使うことができない。どうにもできない自分がひどくもどかしい。
「デューク、ありがとう。私を守ってくれて」
その頬に手を伸ばしかけた時、クローディアの安心に緩んだ顔が浮かんできて、メリルは手を引っ込めた。
意識がない時に、勝手に近づくのはよくないだろう。
デュークは治療が終わってすぐに活動を始めようとしたため、医者に強い睡眠薬が使われたらしいとアランに聞いた。骨に異常はなく、やけどと裂傷だという。隊長の回復力はすごいっすから心配ないっすよ、とアランは気軽に言っていたが、それは、今まで幾度となく部下の前で傷を負った証でもあるのだろう。
「いっぱい借りを作っちゃったなあ。――私も、精一杯やるよ」
借りは返す。
でも、もうそれだけではない気持ちで、メリルは前に進み始めた。
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