魔女、王子の理由を知る

 王宮からの出入口を抜け、隠し通路の中に入り、追手が来ないのを確認した後、デュークは、抱え上げたメリルをそっとおろした。


「ここまで来れば大丈夫だろう。怪我はないな?」

「あたしは大丈夫さ」


 デュークは、メリルのじっと見る視線に気づいたのか、一瞬眉をしかめると、肌を這う「それ」を、破れた上着で覆い隠した。


「見苦しいものを見せたな」

「それは、『魔獣の刻印』じゃな」

「……ああ。魔女に隠しても仕方がなかったな」


 デュークは、そう言うと、上着とシャツを脱ぎ、上半身をさらした。

 メリルはぐっと唇を噛みしめた。

 左半身全面に及ぶ、紫と黒とが混ざり合った蔦のような文様は、物理的につけられた心臓部の爪痕を中心に広がっている。爪痕から入り込んだ魔力が毒素となって体を汚染しているのだ。そして、その毒素は広がりは、ある一定に達すると熟し、芳香を発し、爪痕をつけた主を呼び寄せる。


 魔獣の刻印――それは、高位の魔獣に刻み付けられた爪痕。徐々に広がる死ぬまで消えないそれは、魔獣の狩りの獲物として刻み付けられた、死を象徴する刻印なのだ。


 メリルは、その文様の中心、デュークの心臓の位置にそっと手を重ねた。


(心臓の位置の爪痕。深い。ここまで癒着してたらもう剝がせない。つけられてすぐなら、魔獣の魔力を剥がすか、薄くするぐらいできたのに!)


「だいぶ痛むじゃろう」

「昔は。今では、耐えられるレベルの発作が時々来る程度だ」


(そんなことない。このレベルの魔獣の刻印がそんな生半可な痛みの訳ない)


「あなたが疑問に思っていた、聖女の悪しき力が俺にきかなった理由は、おそらくこれだ」


 魔獣に付けられた刻印。それは、魔獣が餌にする時まで、他の魔に属するものから守る働きを持つ――悪しき魔法からも。


「今となってはこの傷に感謝すらしている」

「それは、結果にすぎぬじゃろう! なぜ、このような傷が放っておかれた!? 魔塔や神殿は何をしておった? 何故、魔女に連絡を取らんかったのだ?」

「……魔塔や神殿にも得手不得手があるようだ。魔獣の力が強く、彼らでは対応出来なかった」


 それでも、魔女に治癒を求めれば。辺境に多く生息する魔獣に関わることは、山野に住まう魔女の得意分野である。

 メリルならばできた。先代メリルも。


(待って。こんな大変な状態だもの。王家からメリルに依頼が来なかったはずない)


「いつ、じゃ……この傷をつけられたのはいつじゃ?」

「……」

「言え、デューク!!」

「十年前、だ」


 メリルは、目見開くとその場に座り込んだ。


が、王家からの依頼を断ったのじゃな」

「――ああ、その様子だと、あなたに依頼の内容は知らされていなかったのだな。あの誓文はその時、あなたが依頼を断る代わりに使者に持たせたものだと聞いている」


(多分違う、おばあちゃんは知ってたんだと思う。王子の魔獣の刻印の治療を断って、おばあちゃんは、私の側にいることを選んだ……それほどの内容だったからこそ、誠意の証として魔女の誓文を返したんだ)

 

 十年前。あの時、自分がしでかしたことをメリルは後悔していない。

 多くを救えたあの時の選択は間違っていなかったと思う。

 あの時、メリルは力を使い果たして生死の境をさまよった。メリルをつきっきりで看病してくれた先代は、メリルの側から離れられる状態ではなかったのだろう。

 でも、あの時、別の犠牲が生まれていたなんて思いもしなかった。


(デュークのこの傷は、私のせいだ)


「すまなかった……」

「らしくないな。相応の理由があったのだろう。だからこそ魔女の誓文をよこしたと理解している。今更謝ることに益はない」


 既に手打ちにし、終わったことだと告げるデュークの言葉は、切り捨てているような口調だが、とても優しかった。

 それに、メリルが謝ることは、王家の依頼を断るという決断をした先代の思いをも否定することだ。


「そうさな。これは、あたしが謝っちゃならないことじゃった」


(――でも、私にとっては、謝って、許されて終わりにしていいことじゃない)


 メリルは再び唇をかみしめる。

 魔獣の刻印は本人に肉体的な苦痛をもたらすだけではない。

 いつ、体に刻まれた刻印が熟するかわからないのだ。魔獣の刻印の持ち主はいつ魔獣に襲われるか分からないという恐怖に絶えず苛まれるのだ。

 そして、それだけではない。

 魔獣の刻印は、人々に忌避される。魔獣に襲われる可能性があるものをどうして傍におきたいと思うだろう? 特に、守る力を持たない小さな村落などでは迫害の対象とすらなる。

 これらの精神的苦痛に耐えられず心を病む者もいる。

 王子であるデュークも、周囲から何らかの差別を受けてきたに違いないのだ。

 彼の心の傷は、計り知れない。


「この傷があったからこそ、俺は聖女の悪しき力を防げた。この傷があったからこそ、魔女の元へ助けを求めに来ることができた。――この命に価値が与えられたんだ。この命を、魔獣にくれてやるためではなく、王国の、民のために使うことができる」


『生贄は、確かに俺こそがふさわしいな』


(だから、魔女の生贄になることを、喜んでいたの?)


「俺は、この命の使い方を、案外気に入っている」


 デュークの不遜な笑みが、メリルを見下ろす。


(そんなのって!)


 デュークの不遜な眼差しは、愛され、慈しまれて培われた強さではなかった。つらい経験が糧となった、悲しみと絶望の中で形作られてきたものだった。

 自分に価値が与えられたと喜ぶのは、今まで価値がなかったということの裏返しなのだ。

 メリルは、あふれそうになる涙をぐっとこらえた。

 そんなのおかしい。そう言って叫びたかったが、そうなった原因を作った自分に何が言えるのだろうか。

 メリルはデュークの心臓の傷に触れる。

 静かに、体中に張り巡らされた刻印の広がりに沿って魔力を流す。

 強い力を流したら魅了の魔術と同じようにはじかれてしまうのだろう。

 弱く、本当に弱く。寄り添うように。

 半身に広がり切った魔獣の刻印にとって、こんなの気休めにもならない。ほんの少し、痛みが緩和される程度だろう。

 それでもメリルは、その指先に感じる鼓動に、何かをせずにはいられなかった。



「もういい。十分だ。メリル殿。こんなに体が楽になったのは久しぶりだ」


 デュークは、心臓に触れていたメリルの手をやんわりと引き離すと、いつかと同じようにメリルの指先にキスをした。

 メリルは、そんなデュークに語る言葉を、何も持たなかった。


 メリルはそれからデュークに、帰る道すがら、今までの生い立ちを尋ねた。

 デュークも予言の魔術に必要な対象者なのだと語ると、しぶしぶ話してくれた。

 第三王子を傷つけた魔獣は、大型の古代種と推測されたが、誰も見たことがない種のため系統は不明。その場にいて応戦した近衛騎士団も討伐することが叶わず行方をくらました。魔獣の襲撃に備え王子を守れる場所は、近衛に守られた王宮か屈強な辺境騎士団を有する辺境の要塞しかなかった。

 デュークは、国の中枢である王都へ魔獣を呼び込むことを良しとせず、辺境に行くことを決めた。王と王妃は当初難色を示したが、王子の決意は固く、とうとう王子を辺境伯へ預けることに同意した。辺境は魔獣も多く、魔獣の刻印に対して抱く恐怖心も王都の民ほどではない。十二歳の王子の周囲から受ける心の負担も考えてのことだった。

 デュークは、辺境の地で騎士団に入り、己を磨いた。

 当初、王都から強大な魔獣の恐怖と共に押し付けられた王子に対し、辺境と言えども騎士たちの当たりは厳しかった。しかし、デュークのひたむきに努力する姿を見てからは、彼らは徐々にデュークを受け入れてくれるようになった。

 鍛錬の過程で、魔獣の刻印についていくつかのこともわかった。

 魔獣の刻印は、刻印を受けた宿主を他の魔から守る働きがある。魔法もはじくし、強い魔獣のつけた刻印には、たいていの魔獣は怯え逃げていく。しかし、例外的に子供を守る母親の魔獣は、半狂乱になって襲ってくる場合がある。

 デュークは語らないが、きっとメリルの庵の裏でも子供連れの魔獣に襲われたのだろう。


 また、デュークは自分が、女子供が苦手なことも少しだけ語った。

 いつ魔物が現れ、自分の周りの者が犠牲になるかわからないという緊張状態の中、自分の周りにか弱い女子供がいることをきっと恐れたのだろう。

 強さの裏にある、デュークの負った心の傷に心が痛んだ。


(この人の心に傷をつけたのは、私だ。この人の運命を変えてしまったのも、きっと私なんだ)


 自分の人生に負った大きな借りをメリルはかみしめる。


 ――借りは返す。それがメリルの信条だ。

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