21.謎の振り込み

 家賃の三万五千円と、前月分の水道光熱費の半分をテッペイに渡したのは、三月の初めのこと。


 しかし、テッペイは通帳に入れるのを忘れていたようで、三月も下旬になろうとしているのに、まだ入金していないようだ。


「やべーな、今日は忘れずに入金してこねーと」

「テッペイ、バイトでしょ? 私行ってこようか? 入れるだけなら暗証番号は必要ないし」

「お、マジで? サンキュ、頼む! 再立さいりつフィールド銀行な!」


 テッペイは、ルリカに銀行の通帳とお金を渡してくれた。

 暗証番号を聞くわけではないとはいえ、こうやって任せてくれるのは、信頼してくれている証のような気がして少し嬉しい。

 通帳を受け取ると、テッペイは「行ってくる」と出かけていく。手揉みのアルバイトは続いていて、ちょっと固定客もついたようだ。女性の体もたまに触れるらしく、本人はなかなか機嫌がいい。

 セクハラ行為をしていないか心配ではあるが、そこはまぁ上手く誤魔化しているのだろう。

 このまま長く続けてくれればいいのだが。


 ルリカは着替えて軽く化粧をすると、渡された通帳とお金を持って、再立フィールド銀行へと向かった。

 通帳を開いてATMに挿入し、渡されたお金を入れると、ツルルーと印字される音が何度か聞こえる。そして『ありがとうございました』という声と共に通帳が排出された。

 ちゃんと入金できているか、残高はいくらになっているか、それらを確認するために、印字された部分を視認する。

 月末の引き落としに十分なお金が入っているのか、確認したかっただけだ。他意は、なかった。


「え……家賃の引き落とし、十万五千円……?」


 その印字を見てしまって、ルリカの目は点になる。

 家賃は、七万円だとテッペイは言っていた。確かに安いとは少し思ったが、鳥白の物価がよくわからなかったのもあって、こんなものかと納得していたのだ。

 混乱して突っ立っていると、後ろの人に「もういいですか?」と問われて慌ててその場から去る。

 買い物をしようと思っていたがすぐに家に帰り、もう一度通帳を確認した。


 家賃の引き落とし、十万五千円。何度見ても間違いない。

 他の印字された部分を見てみると、今月初めに、三万五千円の振り込みがされてあるのに気が付いた。


 振り込み人の名前は……イサキ シオリ。


「……詩織さん……?」


 それ以上見るのは悪いかと思ったが、たまらずルリカは通帳を遡って確かめる。

 月初めには、必ず詩織から三万五千円が振り込まれているのが確認できた。どうやら振り込みが始まったのは、テッペイがこの家に住み始めてからのようだ。

 詩織からの振り込みと、ルリカとテッペイが三万五千円ずつで、ちょうど十万五千円。

 一体どういうことなのか。

 養育費ということなら、テッペイの方が支払わなければいけないだろう。貰う道理などないはずである。


 やはりテッペイは、ヒモなやつだったのだろうか。

 あの男なら、さもありなん。


 その日ルリカは、テッペイが帰ってくるまで悶々として過ごした。聞かないでおくという選択肢もあったが、このまま悶々とするくらいなら聞いてしまった方がいい。

 聞いた時にテッペイが答えたくなさそうならば、その時には事情を知るのは諦めると決めた。

 テッペイが帰ってきて、それぞれが買ってきた夕飯を一緒に食べる。

 今日は木曜でバレーの練習がないため、のんびりできる日だ。


「ルリカ、食べ終わったら一緒にゲームやろうぜ!」

「うん、いいけど……その前にちょっと話があるんだ。いい?」

「話?」


 肉とサラダをもしゃもしゃ食べながら、テッペイは首を捻らせている。

 夕飯を食べ終えてテーブルを綺麗に片付けた後、ルリカは通帳をテッペイに差し出した。


「お金、入れてきたよ」

「おー、サンキュー」

「で、ごめん、その時に見ちゃったんだけど……ここの家賃の引き落としは十万五千円になってるよね? 七万円じゃなかったの?」


 テッペイはどんな反応をするだろうか。嫌な顔をしたら、すぐさま追求するのはやめるつもりだった。そこまで立ち入る権利は自分にないと、わかっていたから。


「ああ、本当なら十万五千円なんだよなー。けど、ここに入居して二年間は七万円にしてもらってんだ」

「七万円にしてもらってるって、引き落としされてるのは十万五千円じゃない」

「残りの三万五千円を、詩織が払ってくれてんだよ」

「なんで、詩織さんが?!」


 わかっていたのに、思わず声をあげてしまう。

 別れているはずの女が関わっていることに、どうにも苛立ってしまって仕方ないのだ。ルリカはテッペイの彼女でもなんでもないのだから、怒る権利などないというのに。


「色々と、ややこしーんだよ」


 テッペイは少し面倒臭そうにそう言った。けれど、話すのが嫌というわけでもなさそうである。


「詩織さんからお金もらって、大丈夫なの? むしろテッペイが養育費を払わなきゃいけない立場だよね?」

「は? 養育費?」

「やっぱり払ってないよね……」

「払うわけねーだろ。俺に子どもなんていないっつの!」


 プンスカと口を尖らせるテッペイに、嘘をついている様子はない。


「子どもいないの? でも、詩織さんを妊娠させたって……」

「流れたんだよ。初期流産ってやつ?」

「あ、そうなんだ……」


 悪いとは思いつつも、思わず息を吐いてしまった。詩織が子どもを産んでいたわけでも、テッペイが堕胎をさせたわけでもないことにほっとして。


「もし……もし、流れなかったら……テッペイは詩織さんと結婚してた?」

「いや、してねーよ」


 そこは、キッパリと答えが返ってきた。詩織を選ばなかった安堵と、責任も取らない奴なのかという幻滅が入り交じる。

 詩織が妊娠した時、テッペイは逃げ回ったと言っていたことを思い出し、胸はモヤがかかったように落ち着かない。


「どうしてか、聞いていい?」

「うーん、あいつのお腹の子なぁ……俺の子かどうか、あやしかったんだよな」


 帰ってきた予想外に答えに、ルリカは目を広げた。

 ルリカの想像する詩織は、優しくてふわふわしていて清楚で真面目で、そんなことをするような人とは思えない。


「だってよー、絶対生でさせてくれなかったんだぜ?! 毎回ご丁寧にコンドームつけさせられてよ。なのに妊娠ってありえねーだろ?」

「どうなんだろね……コンドームも百パーセントの避妊率じゃないらしいから、わかんないけど」


 確かに、毎回ちゃんと避妊具をつけていたなら、妊娠の可能性は低いだろう。

 しかし不良品が入っていないと言い切れないわけではないし、二人がどんなセックスをしていたのかも知らないのだから、ルリカにはなんとも判別がつかない。


「それに詩織は、妊娠したからって結婚の話を持ち出してくるでもなかったしなー」

「その時、テッペイは働いてなかったからでしょ? あんたと結婚したら、子どもが増えるようなもんじゃない。詩織さんも結婚を迫れなかったんだと思うけど」

「だよなー。俺と結婚しても、苦労するのは目に見えてるもんな」

「そこは自覚あるんだ?!」

「まぁな!」

「威張るんじゃないっ! 就職しなさいっ!」

「えー、面倒くせぇ」


 彼女が妊娠しても逃げ回って就職もしなかった男だ。この先も望みが薄いと思われて、ルリカは溜め息をついた。

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