天道 3
鏡子は敷かれた布団の上で体育座りをしながら酒、ではなく冷たい水をチビチビと飲む。その隣には閻魔大王が胡坐を掻いて酒を飲んでいた。
「大丈夫か」
閻魔大王が声をかける。
「ちょっと……ダメですね」
そう返した鏡子の顔は青ざめている。
先程の天道から地獄への急降下で、げっそりと疲れてしまっていた。
こんな急降下する乗り物があるって知っていたら、地獄で裁判なんてしなかった……と心の中で毒を吐く。
そんなこと思っても今さら意味もない、ということは十分に分かっているのだけれど。それにもし時間が巻き戻ったとしても、結局はこの場所を選ぶことになると思うし。
脅されてここにいるというのもあるけれど。なんだかんだ言って――この場所が気に入ってきてしまっている。
鏡子はもう一口水を飲んでから「だいぶ落ち着いてきました」と声をかける。
「そうか。ならよかった。司命と司録も心配していたからな。後で顔を見せてやれ」
「はい」
天道から戻ったら余程顔色が悪いのか司命には「大丈夫~?」ときつく抱き締められ、司録には何杯も水を飲まされた。
やり過ぎのような気もするけれど、彼らなりに心配してくれているのだろう。
閻魔大王は「さて」と鏡子に自分の飲んでいる酒を差し出す。
「妻も飲むか?」
「いえ、さすがに今日は遠慮しておきます……」
「そうか」
閻魔大王がひっそりと肩を落としているところに、今度は鏡子から声をかける。
「そういえばさっき私の部屋で話そうで言っていたことって」
「ああ、そうだったな。さっき妻は天道の女性を気味が悪いと言っただろう」
「はい。どうも笑顔が気味悪くて」
「それは妻が今まで人道にいたからだろうな」
人道にいたから?
鏡子はよく分からないと閻魔大王に目で訴える。すると突然、閻魔大王は「ガハハハハハ」と少し下品に笑い始めた。
急にどうしたの!?
鏡子は目をまん丸にしている。と閻魔大王は「いや、突然笑いだしてすまない」と話し始めた。
「天道にいると今のように笑えなくなるからな」
「笑えなくなる? どういうことですか」
「妻よ。仏が大口を開けて笑っているところを想像できるか?」
「……」
そういえば……。仏様にそのイメージはない。どちらかというと天道の女性のように微笑みを浮かべているイメージだ。
それに仏様だけでなくてキリストみたいな神様も。あの有名なモナリザも微笑みを浮かべているし。大口を開けているイメージはない。
むしろ大口を開けて笑うのは悪魔のような……悪いモノのイメージがある。
「もしかして神様って笑わないんですか」
「まぁ、似たようなものだ」
「?」
「むしろ天道の人から言えば口を開けて笑う必要がないんだ」
どういうことだろう……と思うのと同時に鏡子はどんどん閻魔大王の話にのめり込んでいく。
「『笑う』ということは最大の防御だからな」
「笑うことが防御ですか……」
「ああ。人道では嫌なことから逃れるために無意識に笑ってしまうことがあるだろう」
確かに。いくつか裁判を見に行った時、被告人が笑っているところを見たことがある。
「辛いことも悲しいこともない天道では泣くことはない。辛いことも悲しいこともないのだから笑って防御する意味もない。おそらく妻が気味が悪いといったのはそこだろう。――あの女性に感情が無いように見えて嫌だったのではないか」
「!」
言われてみれば確かにと納得する。
鏡子は閻魔大王にコクリと頷く。
閻魔大王は一気に酒を飲んでから後ろへ倒れ込んだ。ポフンと布団から音が鳴る。
それ私の布団なんだけどな~と思いながらも、鏡子は口にすることなくジッと閻魔大王を見つめた。
閻魔大王は軽く目を閉じてからまた目を開ける。鏡子と目が合う。
「まぁ、天道といっても最後には輪廻転生が待っているからな」
「え? そうなんですか?」
「ああ。そう考えると転生するまでの間、何も考えず伸び伸びと過ごせるんだ。一番いいだろう」
「……なんだか納得できない」
やっぱり笑う必要がないというところが妙に納得できない。
そんな鏡子に閻魔大王はガハハハと笑う。
「いやぁ、妻は手厳しいなぁ」
「はぁ」
鏡子は曖昧な返事を返す。
「妻は現代に生きていたからな。こちらの考え方は納得がいかない方が多いだろう」
「そりゃたくさん」
地獄に来てからいきなり殺されそうになるわ、妻になれと脅されそうになるわ。地獄に来てからちょっとしか経っていないのに、納得のいかないことばかりだ。
しかもその納得がいかないことに慣れてきてしまっている……。
鏡子はジッと布団に転がっている閻魔大王を恨めしそうに見つめる。と、閻魔大王はニヤリと笑って鏡子の腕を思いきり引っ張った。思わず鏡子は布団に仰向けで倒れてしまう。
「なっ! いきなり何するんですか」
「ちょっとした意地悪だ。それに妻も転がっていた方が楽だろう」
「……」
「それにまだ病み上がりのようだしな」
そう言って閻魔大王はゴロリと鏡子の方を向く。
閻魔大王とまた目が合った。思わず鏡子はドキッとしてしまう。
「?」
どうしてドキッとしたのか鏡子自身はよく分かっていない。
また意地悪されると思ったとか?
鏡子が首を傾げていると、閻魔大王はそっと鏡子の髪を撫でる。
「! また意地悪ですか!?」
「いや、今のはスキンシップというやつだな。余の妻には苦労をかけているなと思ってな」
「……そう思うなら気を付けて下さいよ」
「それもそうだなぁ~」
閻魔大王の気の抜けた返事を聞いて思わず鏡子はため息を吐いた。
こりゃ、これからも苦労するな。
そんな鏡子をよそに閻魔大王はいつの間にか人の布団で寝息を立てていた。
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