第15話


 高校の写真部の活動は基本的に個人の自由で、集団行動が苦手な羽鳥には合っていたように思う。部活の先輩が真面目に活動を続けてくれたおかげで、機材や暗室などの設備も整っていて、それらを部員が好きに使えた。

 だから人付き合いの面倒臭さはあっても、羽鳥に入らない理由はなかったし、羽鳥は、年に数回の他校との合同撮影会や、講評会、文化祭の展示くらいは我慢した。何より好きな写真を自由に撮ることができる環境は有難かった。

 部に入るまで羽鳥は、人を撮影したことがなかった。大人ばかりの写真コンテストだと、羽鳥の写真に違和感はないが、高校の写真コンテストで提出される作品となると羽鳥の作風は一際目立つ。

 中学、高校の写真コンテストは「友達」とか「両親」っていうような人物写真がとにかく多い。上位に入賞するとなると、ほぼモチーフは人間になる。何故なら、一番身近で、撮影者が興味が持てる対象で、なおかつ、見た人にドラマを感じさせることが出来る題材だからだ。

 けれど、羽鳥には一番縁遠かった。

 長い間、身内からまるで透明人間のように扱われ続けたことで、人に興味が持てなかった。羽鳥の携帯の写真フォルダは、いつも空とか建物ばかりだったし、人や、ましてや家族の写真なんて一枚もなかった。

 羽鳥は、あの親なら人に興味が持てなくても、仕方がないと、どこか諦めがあった。

 優しい祖父とカメラがなければ、全く社会と関わりあえない引きこもり人間に育っただろう。考えただけで、ぞっとする。

 そんな羽鳥は部活に入っても、やっぱり、人間を撮りたいとも、被写体として面白いとも思えなかったので、かたくなに風景や動物の写真ばかり撮っていた。 

 それでも、部活の先輩は羽鳥の作風を否定せずに尊重してくれたし、自由にやらせてくれたので、面倒だと思っていた部での付き合いもある程度はこなしていた。

 一番面倒だと思ったのは、秋の文化祭の記録係だった。

 文化祭の準備期間から当日まで担当になった部活に張り付いて活動内容を写真で記録し、後日、掲示したり生徒向けに販売したりする。

 その日は、いつも使っている、自分のカメラの他に、壁への掲示物用に使うためのインスタントカメラも手渡された。

 ――演劇部はね、照明とかあって撮るの難しいし、是非、羽鳥くんにお願いしたいな。

 人物撮影なんて、全くもって趣味じゃないと思いながらも、羽鳥の扱いをすでに心得ている先輩に手のひらの上で転がされ、文句も言えないまま、準備期間中の演劇ホールへ向かった。

 羽鳥は知らなかったが、自分が通う高校の演劇部は、結構な大所帯で、学内に専用の小さなホールまで持っていた。

 中に入れば、衣装や大道具の準備をしている人たち、舞台上で演技の練習をしている人たちで、雑然としていた。その様子を見ても、普段と勝手が違い、撮影したいイメージなんて全然わかない。

 かといって適当な写真を撮って帰るというのも、羽鳥のプライドが許さなかった。

 ほんと面倒な性格だよな、と自嘲する。

 いちいち部員に声をかけて回るのも面倒だと思いながら、入り口に突っ立っていると、唐突に声をかけられる。

 同じクラスの高瀬だと気づくまで少し時間がかかった。

「え、もしかして、羽鳥がうちの部の記録係なのか!」

 興奮気味な声。

「ぁ……あぁ、そうだけど」

「なんでも、言って! 俺、大道具やってるんだけど、撮影協力するから。部員呼んできて並んでもらったらいいか?」

 自分より、頭半分くらい低い身長が、犬っころみたいに、楽しそうに自分を見上げている。話しながら、ぐいぐい距離を詰められる。

 多分、人間じゃなくて、犬に見えたから、その強引さに、あまり不快さを感じなかったのかもしれない。

「いや……勝手に撮らせてもらうけど、集合写真じゃねぇんだから」

「じゃ、案内する! こっち」

 そう言って、シャツの袖を掴まれる。

 なんだ、この生き物って思った。

 羽鳥自身、いつも一匹オオカミで、大抵のことは自分一人で出来た。こんなふうに人にあれこれ世話を焼かれた経験がない。もとより、これほど他人に対して、分かりやすい好意丸出しの犬っころみたいな人間を相手にしたことがなかった。

 自分は、そんなに高瀬に好かれるようなことをしていただろうか、と普段の自分のクラスでの振る舞いを思い出してみたが、高瀬とは天気の話と、部活どう? とか聞かれて「普通に楽しいけど」って答えた程度の交流しかない。

 羽鳥は、いつもクラス全員に対して、それくらいの距離感だったし、高瀬から特別に好かれる要素は見つからなかった。

 半ば強引にホールの中を案内され「写真部の羽鳥、今日から写真たくさん撮ってくれるよ」って、よくわからない挨拶回りに連れ回された。なんだこいつと思いながらも、高瀬のおかげか全く撮りたいものがなかったのに、少しずつ演劇部で撮りたいものが浮かんできた。

 そして部のメンバーを紹介されているうちに、気がついた。

 高瀬は誰にでも同じように、人懐っこくて優しく頼りにされていた。

 いろんなところから「ちー」って呼ばれて、にこにこしてその場に駆けていく。そして、自分と違って本当によく笑う。

 最初は「ちー」が何のことか分からなかったが、しばらくして「千影」だからかと分かった。

 クラスでは、高瀬と呼ばれているので高瀬の下の名前がなかなか思い出せなかった。本当に子犬みたいだなと思って笑えた。

 羽鳥も部活のメンバーと同じように呼んでみたら、あんな感じで奔放に笑って自分の元まで走ってきてくれるのだろうか? そんなことを考えていた。

 再び舞台上に呼ばれて、自分のそばから走って行ってしまった高瀬を見ていた。

 あの笑顔は、自分だけのものじゃないし、特別じゃない。

 そう思った瞬間、無意識に、高瀬に向けて舞台の下からシャッターを切っていた。

 本当に無意識で、自分のカメラじゃなくて、部のインスタントカメラの方で撮影してしまった。

 高瀬の裏表のない、まっすぐで、温かい笑顔に目を奪われていた。この日まで、人に興味がなくて、撮りたいとも思わなかったのに。その瞬間は撮りたいと思った。

 人間が持つ、心が写せたら面白いのにと思った。今この瞬間を永遠に残したい。

 高瀬が自分の方へ駆けて戻ってくる。

「羽鳥、お待たせ、次、上にある照明とか見る?」

「あのなぁ、お前も部員なんだし、俺のことはいいから、ちゃんと活動しろよ。撮影の邪魔」

「そうか……。でも、なんかあったら、言えよ?」

 そう言って自分のそばから追い払ったら、高瀬は、また犬っころみたいに残念そうな顔をした。本当に表情がころころとよく変わる。

 さっき撮ったインスタントカメラの写真がじわじわと浮かんできた。ちゃんと撮れているとは思えなかったが、思ったよりも鮮明に高瀬が写っていた。

 ――明日好きになる人。

 写真の裏に、鉛筆でタイトルを走り書きする。どうせ自分で糊付けして、模造紙に貼るから、誰も見ることはない。


 結局、羽鳥が恋に落ちたのは、明日なんかじゃなくて、その日の帰り道、部室棟の掲示板の前に佇む高瀬の姿を見た時だった。

 ――お前、絶対、俺のこと大好きだろ。

 そう言えたのは、それから八年も後だなんて、この時は思いもしなかった。


                 終わり                    

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