第11話

吉住はいつもの左から2つ目の席に座るとビールを注文し、花に声をかけた。

「花ちゃん、前にうちのバイトの話したの覚えてる?」

「なんとなくですけど」

「ここのお客さんに、牧原って男いない?」

「さー、名前がわかるお客さんそんなに多くないから」そういいながらハイネケンをコースターの上にすっと差し出す。


そもそもお客さんの情報を話すわけにもいかず言葉を濁していると、横から絹が

「吉住さんもバイトの人たちにここ知られたくないんですよね。皆さん匿名希望の方が多いですから」そう言って岩塩をかけた少量のナッツを小皿にのせてよかったらどうぞと差し出す。


「だよね。いやうちのバイトのサラリーマンがさ、何かここで飲んだことあるって休憩中に言ってたから」バイトのサラリーマン?花は一瞬理解できなかったが、確か仕事帰りの会社員もバイトしてるって言ってたと思い出し、あー言ってましたねとうなずく。


おいくつくらいの方ですかと花が興味を持つと吉住は「たしか25くらい。細身でちょっとかっこよさげなんだけど」

花は、そんなお客さんたくさんいますねと笑った。


「吉住さんはここの常連だって言ったんですか?」

「行ったことある程度って濁しちゃった」

「そんなやばいお店じゃないですからw」

「ここで酔って変なこと言ってないか不安だしな」

「大丈夫ですよ、さやかちゃんが好きだとか言いませんから」花は小声でにやにやしながら言った。

「まいりました。以後気を付けます」悪びれた様子もなくちょこっと頭を下げた吉住は、少し目じりが下がってきてナッツをほおばった。


そこへさやかが戻ってきた。

「いらっしゃいませ」

「あっ、どうもこんばんは」

視線をカウンター奥の酒瓶にうつしている吉住に花は「いま丁度さやかちゃんの事話してたんですよ。ねー」

「えーなんですか。また悪口でしょー」笑顔のさやかは小銭をレジにしまい、いったんエプロンを取りにバックルームに消えた。


横から絹さんが、あんまりいじめないでね、大事なお客さんなんだからと声をかけた。

「そうよね、さすが絹さん」吉住は酔うと言葉が柔らかくなるので、そろそろ帰りそうだ。頭の中で会計金額を計算する。


「花ちゃん、今日はそろそろ」そう言って顔の前で両手の人差し指を交差させる。


はいと言って小さい紙に書かれた会計金額を差し出すと、はやいねと言って笑顔で財布からお札を出す。

奥から出て来たさやかに「またね」と言って吉住は帰って行った。


「さっき吉住さんが言ってた牧原って人、あの人ですよね」眉間に少し皴を寄せて言った。

「多分ね、でもよく言わなかったわね。えらいわよ」

「でもほんともう来てほしくないかも」


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