Chapter.11 お風呂
それから家に帰ってきたのは夜八時ほどの時間帯。
女性に荷物を持たせるというのは忍びない話ではあるが、セシリアが進んで持ってくれたので甘える。
その隣で俺は玄関の鍵をいそいそと開けた。
「んん、っくー……つかれた……」
「お疲れ様です、タクヤ殿」
ぱちり、と部屋の電気を点けると小声で「わっ」と反応してたセシリアが、体を伸ばしている俺に対して労いの言葉を掛けてくれる。
流れるように振り返ってみると大量の荷物を抱えているのに涼しい顔のセシリアがそこにおり、「?」と不思議そうに首を傾げるもんで、この体力バカめ……と疲れ知らずな彼女に愛想笑いを向けた。
「……セシリアもおかえり」
「……おっ、おかえりなさい、タクヤ殿……!」
急に照れ照れするんじゃないよ。別にこれくらいなんでもないだろう。
荷物をリビングまで運び、俺は崩れ込むようにソファへ体を投げ出す。昨日今日は栄典で疲れ、帰ってきてからも一度も休まらず……。妹の相手や水瀬の相手、疲れないほうがおかしいと言うものだ。
「ちょっと休む」
「はい。……タクヤ殿」
「うん?」
「今日はありがとうございました」
「……………まだ今日は終わってないから。十分後に起こしてくれ」
「あっ、はい!」
目を閉じて体を休める。今日一日を思い返しても、感謝されるほどのことではない気がして、彼女の言葉は流しておいた。帰る手段やら状況が変わる何かが見つかったときにその言葉は貰おうと思う。
俺がソファで寝ていると、手持ち無沙汰そうなセシリアの気配を感じる。彼女は何も言うことなく、俺と近い距離の地べたに正座で座るとそこに落ち着いていた。
それから。
……――短めの休息も取り、残りの今日一日を過ごせるくらいの体力が回復出来たところ。目を覚ますと、まるで寄り添うようにソファの縁にもたれたセシリアを発見し、俺は寝起きながらぎょっとする。
すぅ、すぅと規則正しい寝息で座りながら眠る彼女に、お前も疲れてたんかいと、心のなかで苦笑して体を起こした。
睡眠の妨げにならないよう、慎重にその場から退き、俺は風呂の準備に取り掛かる。
三年ぶりのジャパニーズ浴室。もとい自宅の風呂場である。ついつい掃除には精が出た。異世界にも大浴場などはあったが、やはり清潔とは言えないしところどころ古びている。逆に、あまりにも高級すぎる風呂場は気を遣って仕方なかった。
自宅の風呂の安心感は凄まじい。
お湯を張るまでの間、時間があるので、久々にスマホを開いてみる。なおセシリアは起きる様子がないのでブランケットを上から掛けておいた。
物は試しということで、あちらの世界にあった固有名詞を聞き取ったままのカタカナで入力し、ブラウザ検索を図ってみる。
が、当然ながら異世界の情報と繋がるものはなさそうだ。アベリアは植物の名前でもあるらしいが、あの王国との関連性を見出すことも出来ず、異なる意味合いの固有名詞として成立している言葉を探すのは難しい。
帰る方法を探すとは言ったが、気休めにしても嘘に近い言葉だ。もちろん、出来ることはするつもりだけど、俺はトーキマス(※パーティーメンバーの一人。至高の魔術師)ほど賢くないし、才能があったわけでもない。この世界で魔術に関することをゼロから始められるとは思えない。本当に待ちと言える状況で、事前にタイミングが分かるわけでもない。
明日にはセシリアが消えるかもしれないし、いま振り向いた頃には忽然と消えている可能性だってある。
それならそれで、あいつが元の場所に帰れている証拠なのだから、良いことだ、と思い込むしか取り残された俺にはないわけだけど……。
不安を数えたらキリがない。もちろん、二度と帰れない可能性だってある。いつまで続くか分からないから、悔いのないようには日々を過ごしたい。
……明日に限り、バイトの予定があるのだが、不義理を働く覚悟をした。
そんなわけでお湯が沸き、寝ているセシリアをおいて先に入る。俺の肉体は三年前のもので、汚れていたりするわけじゃないのに、入念と、気持ちを一新するみたいに、異世界で得たあらゆるものを洗い落とすつもりで体を清めた。
湯船は、極楽浄土のように心地いいと感じられた。
このまま長風呂をしたいところだけど、リビングにいるセシリアがやはり気掛かりで、体が温まった頃にはすぐに浴槽から出てしまう。
水滴を拭い、髪を乾かし、着替えた俺が部屋に戻った頃、丁度目をこするセシリアがいた。
「ん……」
「おはよう」
「……あ、すみません……」
まだ眠たそうだ。風呂をおすすめしたいところだけど、二度寝するなら布団を譲りたい。立ちあがろうとするセシリアに、余りのコップに注いだ二リットルペットボトルのお茶を差し出して水分補給を促す。
「ありがとうございます……」と消え入りそうな声で感謝したセシリアがあまりにも寝起きの省エネモードで、つい笑えてしまった。
セシリアにじっと顔を見られる。
「なんか、めちゃくちゃいい匂いするんですけど……」
「風呂に入ってきたんだよ」
顔を寄せて嗅いでくるなバカ。
「へっ? ここお風呂もあるんですか?」
「あるよ。個人用。ゆっくり浸かれるぞ」
「えっ……!?」
「入るか?」
「いいんですか?」
「うん」
既に目は冴えているようだったのでセシリアを連れて風呂場へ案内する。
「すごっ……」
「自由に使っていいから」
現代人の感覚でいうと足も投げ出すことが出来ない、やや手狭な風呂場ではあるんだが、異世界人からすればそれさえ不思議な立方体空間にも思えるだろう。作りがぜんぜん違うわけだし、まず扉の密封性に驚いていたし。
開けた瞬間ぶわっと襲い来る湯気にセシリアが面食らっていた。古代ローマ人ほど感激しないのは教養というか文化の差だろうか。
「んじゃごゆっくり。脱いだ服は洗濯機に入れといて」
「は、はい……センタッキ……」
シャンプーやボディーソープの使い方から、一通り風呂場の説明をしたのち、洗面所から席を外す。大丈夫かな。不安そうだったが。
何かあったら呼んでくれとは言い残し、セシリアが風呂に入っている間、俺は先ほど買った洋服のタグを外す作業に勤しんだ。
普段着のセットが三枚ほど。下着を触るのは申し訳なくなってくる。別にこれは新品なわけなのだが、そこらへんのデリカシーやプライバシーは大事にしておきたいところだ。
どれだけ距離は近くても他人だ。特にセシリアにとっては、俺しか頼る相手がいないのだ。
俺の振る舞いが彼女を追い込むことに繋がる。そうはならないよう、細心の注意は払ってやりたい。
……いま「わきゃあ!」って変な悲鳴が聞こえたな。やめてほしい。たぶん、シャワーかなんかの温度か水量にびっくりしたんだろうが。
……………。
やめてほしい……。
それから、アパレルショップで買った外出着のほうも取り出す。丁寧に折り畳んで端のほうに置き、その上にぽふんとガブリガーを乗せておいた。鎮座。
適当な肌着を手にすると、ノックののちもう一度洗面所に入る。着替えを持ってきたのを伝える。
くぐもった風呂場のドア越しに、セシリアの声が聞こえてなんだかな、と妙な気分に頭を抱えた。
「タクヤ殿!」
「……なんだよ」
「大変心地いいです! お湯がやわらかいです!」
やわらかいってなんだ。水質? バ○ロマン? なんなんだ。どういう表現だ。
「……………感想は出てきてからにしてくれ」
この状況で話すのは色々つらい。
はあ、と今後を憂いるように、こめかみに手を当ててしまいながら、俺はリビングへと戻った……。
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