Chapter.10 焼肉②

 俺はさっそく、ほいほいっと網のなかに肉を投入する。


「これっ……すごく、持ちづらいですね……」


 サラダを食べようとしたセシリアが割り箸を手に取る。使い方は教えたが、やはり慣れていない食器なので、割るのも不恰好、持つのも不恰好で不満げなセシリアに苦笑する。

 店員さんにフォークをお願いさせてもらったが、焼肉では食べづらいかもしれないな。


「こんな感じで持ってるんだけどどうだ?」


 かくいう俺も、正しい持ち方がちゃんと出来ているわけではないが、知識としては身に付けている。上の箸は人差し指と中指と親指で支え、下の箸は中指と薬指の間に入れて固定する。

 俺は指先に力を入れてしまいがちで、上の箸を人差し指と親指だけで持ってしまうクセが昔からあった。


 セシリアにレクチャーしながら俺も一緒になって矯正する。とはいえ、箸の文化がない外国人が箸を使えないのもごく自然で、別によくあることだと思うし、セシリアに強要するつもりもない。

 ただ、思わぬ部分で苦労を強いてしまったのは申し訳ないなと思った。


 フォークが届くと、喜んでサラダをもりもりと食べてくれるセシリアに俺はほっとした。


 そんなこんなで肉も焼き上がる。厚みのあるロースやハラミはまだ時間が掛かりそうだが、牛タンはいまぐらいが一番美味しい。


「お上がりよ」

「これは何のお肉でしょう?」

「牛。……の、」


 ベロと言ったら気分を害するか……? 言葉に詰まる俺をセシリアが「?」と見る。散々言葉を選んでみたが、結局「……舌だよ」と多少マシな言い換えしか出来なかった。

 セシリアが驚いたような顔をする。


「でも美味いぞ。俺が一番好きな部位だ」

「なるほど……」


 ぎこちない箸で皿の上のタンをつまむ。これはネギタン塩なのだが、俺がトングで持ち運ぶときにネギを落とさないよう両端をつまんで包んでいたのを意識してか、ぺらりぺらりとめくって箸先をもぐり込ませようとするセシリアを温かく見守る。


「ほっ」

「上手い上手い」


 しかしこの女騎士、慣れない環境なのもあるが、異世界にいた頃とはまるで振る舞いが違って面白い。逆に言うと異世界では俺がいまのセシリアのようであった、ということなんだろうけども、文化の違いに苦戦するさまは微笑ましいと感じるものがある。


 異世界では本当に世話になった。先ほどの言語能力の話に戻るが、文字が読めない俺の代わりにセシリアは快く何度も読み上げてくれたし、寄り添ってくれたし、助けてくれた。

 この世界では俺がその恩を返していきたい。


 ただ、ちょっと行儀が悪い。いや仕方ないことなんだが。せっかく箸に挑戦してくれている手前、別に文句も言わないのだが、舌先を突き出して出迎えようとするのはやめなさい。

 美人が台無しすぎるぞセシリア。


「ん!」


 カッと目を開く。服毒でもしたようなリアクションで笑う。なまじ顔が真剣だから、余計におかしい反応だ。


「えっ、うまッ……!?」


 すると、口許に指先を当てて目をぱちくりとさせる。その反応はちょっと過剰にも思えるが、まあ、セシリアだからなあ……。

 本当に幸せそうでいい。


「なんですかこれ……ネギが最高です」

「分かる」


 弾力性のあるタンが薄切りになることによる丁度よい口溶け感とネギの歯応え。塩味。抜群。猛烈に食べたくなる味で、これを食べるために帰ってきたと言ってもいい。

 悪い、それはちょっと過言。


 ネギタン塩はひっくり返して焼かない分、表面に肉汁が溜まりやすく、それらがネギと絡み合って新鮮な辛味を中和する。適度に柔らかく熱が通ったネギは、微かな食感と染み込んだ風味でタン塩を一段上の領域へ押し上げ……こんなの、美味しくないわけがない。


「美味しい……」


 まだ浸ってやがる。至福そうでとてもいい。

 目の前にまだ肉はあるし、食べ放題なのでどんどん食べさせよう。


「レモンダレを垂らすのもありだ」


 そう言ってタレの種類を解説する。残念ながらラベルの表記でしか見分ける手段がなかったので、右に置いたのを甘口、左に置いたのを辛口の焼肉ダレと教える。そのほか、白いキャップのボトルが塩ダレで、同じく白キャップだが中身の色が半透明なほうをレモンダレであると伝えた。

 俺のおすすめに従って、セシリアは素直にレモンダレを取り、ネギタン塩の上に二滴ほどを垂らす。


「けっこう匂いますね」


 二回目は、フォークでタンを掬うように食べていた。

 ネギはこぼれるがやはり食べやすいのだろう、皿に落ちたネギも簡単に回収すると、咀嚼した瞬間にジワァ、と感じるレモンの酸味にきゅっとした顔をする。

 分かりやすく身を縮こませるので、こっちまで酸っぱくなってくる。


「いや、でも慣れると確かに、美味しい」

「味変にちょうどいいんだよな」


 焼肉屋で提供されているタレ皿は三つの口があるので楽しみ甲斐がある。だんだん勝手が分かってきたセシリアも、「では次はこちらを……」と様々な組み合わせで味見する遊びを発見していた。


 ぼちぼちロースやハラミも食べ頃だ。

 美味しそうに食べてくれるセシリアを見るのがとても面白くて、じゃんじゃん皿に盛っていってしまうと、見かねたセシリアが食べるのを中断して「タクヤ殿も食べてください! 私がやります!」と役割を引き継がれてしまう。

 別に気にしなくてもよかったんだけど、トングを手に肉を一枚一枚網の上に置いていく姿は楽しそうなので、それならいいかと素直に甘えた。


 じゃあ俺も焼肉を堪能することにしよう。

 都合よく届いたユッケを喜んで受け取り、新しい割り箸で卵黄を割って混ぜる。興味津々なセシリアがいたので「一口食べるか?」と取り分ける。こちらは生肉の状態で食べるので、セシリアには嫌遠される要素があると思っていたが、意外と好感触なようだ。


 生卵も初体験なはずだが、味付けが強いせいかこちらも「美味しい!」と言ってくれた。


 そうやって焼肉を楽しんでいると、セシリアの食い付きがもっともいいのはタレのカルビだと判明する。それがもう、すごくよく食べる。パクパク食べる。

 脂に強いなお前?


 第一陣は種類豊富に各部位を注文していたわけだが、結果として追加注文ではカルビとタンばかりになった。生卵も、美味しいと分かってくれたようなので、すき焼きカルビも注文出来る。


「これ、ものすごく美味しいですね……!」

「楽しんでくれてるなら何よりだよ。まだ一時間もあるからゆっくり食べろ」

「まだ一時間もあるんですか!?」


 どうしようー、と幸せな悩みを抱えていやがる。頬を紅潮とさせるセシリアは心の底から楽しそうで、良かったな、とちびちび黒烏龍茶を飲んだ。

 そんな俺の顔をじっと見ていたセシリア(なんだよ)が、同じようにコップを取って炭酸のオレンジジュースに初めて口を付ける。


「ん!」


 カッと目を開く。

 世界の真理にでも辿り着いたみたいな顔をする。


「いっ、いたっ、ちょ、なんですか、これ……」


 そしてすごい落ち込んだ顔をした。

 どうやら炭酸は合わなかったらしい。

 先ほどまでの上機嫌が嘘のようにしわしわ顔となったセシリアに、声を出して笑ってしまった。


「どんまいどんまい……まあ飲めない人も多いよ、炭酸は」


 ちなみに俺は好きなほうだ。しかしそうなると、炭酸系はどれも勧められなくなるな、と残念な気持ちにもなりながら、彼女からオレンジソーダを受け取る。


「普通の持っておいで」

「……。タクヤ殿のそれ飲んでもいいですか?」

「黒烏龍茶? いいけど」


 物欲しそうにそう言われて、まあいいかとセシリアにコップを手渡す。

 こういう機会でもなきゃセシリアのレパートリーも増えないだろうし、飲めないかもしれないのに何度も挑戦するつもりはきっとないのだろうし。


 手渡された黒烏龍茶を一口、ちびりと嗜むように飲んだセシリアが、小さく頷く。笑顔で言う。


「苦いです」

「だろうな」


 そう言うと思った。


「でも美味しいですね。お肉と相性がいいかも」

「うむ。……えっと、ドリンクバーの一番左下のボタン」

「分かりました」


 一人で行かせるのは心配だが、追加で肉を焼きはじめたところなので留守にも出来ずに彼女を見送る。見たところ平気そうだったし、さすがにもう今日は誰にも絡まれたくない。


 ……本来なら、こういう一人焼肉を俺はきっとしていたわけだ。

 別に名残惜しいとは思わない。

 環境適応能力の高いセシリアを見ていると、一緒にいることを面倒とも思わないしな。

 むしろ楽しめている気はする。


 なお、飲み物の共有とかはいまさら意識するような仲ではないのである。悲しいことに、旅の間の極限状態ではウサギ肉を回し食べしたこともあるし……俺、まじで頑張ったと思うよ。


「分からなかったので結局オレンジジュースにしました」

「そうか」


 帰ってきたセシリアを出迎える。


「またあとで一緒に行こう」

「ぜひ!」


 そうやって、現実世界では久々、セシリアにとっては初となる晩餐を二人で楽しみ尽くしたのだった。

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