使用人との距離

 翌日私が目を覚ますと、もう既にベッドの中に旦那様の姿はなくなっていた。

 昨夜旦那様が転がっていた場所に手を当ててみると、もうすでに冷たくなっている。と言うことは、ここを出たのはかなり前だと言うことだ。

 そういえば今日から三日間視察に向かうと言っていた。


「もう朝食に行かれたのかしら?」

 名ばかりとはいえ一応立場的には妻だ。

 出張前の旦那様をきちんと送り出さねば。

 私はのっそりと身体を起こすと、続き扉から妻用の部屋へと移動し、手早く着替えを済ませる。


 昨日屋敷についてすぐに紹介された侍女のマゼラと執事のローグには私は自分で着替えをすることができるので着替えの手伝いなどは不要だと言うことは伝えてある。

 前世の記憶がある分、貴族女性にとって当たり前の着替えの手伝いや入浴後のボディケアは私にとっては恥ずかしいだけだ。前世の自分ではどうにもどうにもならないことが多かった分、自分でできることは極力自分でしたい。


 それに実家ではそういった着替え介助やケアなんて誰もしてくれなかった。

 使用人の皆も、家族ですら、私のことを不気味がって近寄ろうとはしなかったから。

 それでも、そんじょそこらの令嬢よりかは自分で着替えたりケアしたりはできるし、ドレスやケア用品だけは部屋に用意してあったから特段困ったことはないのだけれど。


 私は着替えを終えると、昨日案内された食事をする広間へと足を運んだ。

 にしてもさすが公爵家。

 広すぎる。


「えっと、ここは2階の奥の方だったから……こっち、かしら?」


 すぐそばの階段を降りてまた長い廊下を進んでいく。

 が、一向にそれらしい扉が見当たらない。

 それどころか全く見覚えのない絵画や花瓶が現れたんだけどこれ多分迷ってるわよね!?


「……」

 まずいわ。

 旦那様に屋敷の見取り図をもらうべきだったわね。

 とりあえず引き換えそう、そう考えきびすを返したその時──。


「奥様!!」

 私が来た方から紺色の長いスカートをつまみ上げ走ってくる女性の姿。

「マゼラ」

 ライトブラウンのウェーブのかかった髪を揺らしながら私のところまでかけてきたマゼラは、「探しました。なぜこちらに……!!」と怪訝そうに私を見た。


「旦那様が朝食に向かったのかと思って広間を探していたのだけれど、何だか違う場所に出てしまったの」

 私が言うと、はぁ、とため息を一つついてから、マゼラは呆れたように口を開いた。

「旦那様はすでに出発されました。広間はこことは正反対の場所です」

 え……。

 もう出発した?

 こことは正反対の場所?

 何だかどっと疲れが出てきた……!!


「さぁ、広間までご案内いたします。お食事をなさってください」

「えぇ。ありがとう」


 言葉こそ丁寧だけれどその表情は厳しく、嫌悪感があふれていて、言い方も抑揚がなくなんだか素っ気ない。

 昨日も感じたけれど、彼女は……いや、彼女も執事のローグも、おそらく私を歓迎してなどいない。

 表情は私に負けないくらいの無表情ながら、その奥からは嫌悪感が滲み出ているし、どの言葉も必要最低限だ。

 きっと他の使用人もそうなのだろう。

 先ほどから時々隅っこの方にメイドらしき人間もいるけれど、チラチラと様子を窺うだけでその表情からは話しかけてくれるなという、やはり嫌悪感がダダ漏れていた。


 まぁ、結婚前からそういう視線に晒され続けていた私には、どうってことはないのだけれど。

 むしろ話しかけてこない、空気のように思ってくれる、そんな環境は私にとってご褒美以外の何者でもない。


 静かにまったりと暮らすことができる。

 私はそれだけで大満足だ。


 無言のまま広間へと案内する彼女の後ろを、私はただひたすら廊下に響く靴音だけを聞きながらついていった。

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