02:情けは人の為にはならないんだよ、じゃなくてね

 一九年前 一九九九年四月

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 喫茶店 vultureヴォルチャー


『悪いわね、こんなこと頼めた義理じゃないんだけど……』

 電話の相手はThe Guardian's Blueガーディアンズブルー時代に所属していた音楽事務所、Sounpsyzerサウンサイザー株式会社の統括マネジャー、高城礼美たかしろあやみさんだ。当時はThe Guardian's Blueのゼネラルマネジャーでもあった人で、本当に世話になった恩人の一人。

「いやいや、こんなあたくしでも頼って頂けるとはありがたいこってす」

 冗談めかして応える。もちろん諧謔かいぎゃくが判る信頼関係あっての対応だ。話が判らない人間にはそれなりの対応だって当然にしてやる。

『じゃ、今度ゴハンでも行きましょ』

「なら涼子りょうこの店でランチでも食べてってよ」

 我が最愛の妻、涼子さんは一人で喫茶店を切り盛りしているオーナー兼ウェイトレスだ。娘のみふゆがもうすぐ五歳、年長さんになり、送り迎えはあるものの、多くの人に協力してもらいながら中々の繁盛ぶりを誇っている。勿論おれが動けるときは最優先で娘の送り迎えに行くし、こう見えてちゃんとお父さんだってやっている。まぁおれのことはともかく、忙しくしているとはいえ知った顔が店に来れば涼子も喜ぶ。

『そうさせてもらうわ。じゃあ後でファックス入れておくから宜しくね』

「あらほらさっさー」



 さて、今回の依頼はレコーディングだ。こんなこともまぁない訳じゃないので、ベースの練習は怠ってはいない。ソロアーティスト早宮響はやみやひびきの新曲らしく、響本人からのたってのお願いなんだそうだ。

 響はThe Guardian's Blue時代に一緒に仕事をしている。それはそれは、とてもとても色々な面倒があって、当時アイドルとして売り出され、鳴かず飛ばずの歌しか提供されなかった響は、元いた事務所からSounpsyzerに移籍した。それからはシンガーソングライターになって、僅か四年足らずで押しも押されぬ大人気シンガーだ。ちなみに自慢じゃない(ちょっと自慢だ)が響の移籍第一弾シングルのカップリング曲はおれが作曲したものだ。そんな経緯もあって響とは浅からぬ関係なので、その響のたってのお願いとあらば、それは聞かない訳にはいかないのである。

 なんつったって水沢貴之みずさわたかゆきは仁義の男なんだから。



 数日後、プリプロを頭に叩き込んで大体のイメージも創り終えたおれは飯田橋にあるレコーディングスタジオへ向かった。

「あ、貴さんちーす」

「あー!隼人はやとじゃん!久しぶりー」

 防音ドアを開けたとたんに声をかけてきたのはThe Guardian's Blue時代に散々世話になったスタッフの一人、鹿島かしま隼人だった。おれよりも一つ年下で当時は下っぱだったけれど、下っぱだった故におれとはうまも合った。

 おれはThe Guardian's Blueに誘われる前はいわゆるビデオ業界にいて、カラオケのバックに流れる映像の撮影と編集をする製作会社に勤めていた。平たく言えばアシスタントディレクターという仕事をしていて、映像業界と音楽業界の差異はあれど、下っぱの辛さを良く知っていたから。

「今日はオケ録りっすけど、ドラムはもう終わってるんで貴さんなら楽勝っす」

「あんまプレッシャーかけんなよなー」

 かの早宮響嬢の曲のベースが楽勝な訳ないでしょうが。


 頭に叩き込んだプリプロと現場独特の雰囲気で思い付いたあれこれをちょっとだけ試行錯誤しながら、ベース録りを何とかかんとか終える。

 The Guardian's Blueの時代からレコーディングは好きじゃなかったし苦手だったけれど、早宮響の新曲とあらばそうも言ってはいられない。どうにか乗り切ってロビーで一服と相成った。

「ぜんぜんブランクとか無さそうじゃないっすか」

「ま、練習はしてるからさ。あとは響がどう判断するかだなぁ」

 響が楽曲を創った時の感じ、響が好きそうなベースライン、一度それだけで頭の中を一杯にしてから、おれのイメージと演奏を重ね合わせた。ここに響がいれば即判断してもらえるのだが、歌録りは最後だ。移籍してからずっと忙しそうにしているし、態々ベース録りの時に立ち会う訳もないことは判っている。

 響の性格からすると、立ち会わないことは主義に反するだろうことも想像に難くないけれど、中々簡単には時間は作れまい。それに響はプロデューサーを立てず、自身で曲を創る。おれのベースの成否は後日、響の判断に委ねられるといったところだ。何パターンかは録ったけど、もちろん響のお眼鏡に叶わなければ後日録り直し、なんてこともある訳で。

「やぁもう一発OKですよ、あれなら」

「あれ?響!なにしてんの?」

 来たよ。ていうかいたのかよ。

「せっかく貴さんが私の曲にベースつけてくれるのに挨拶もしないなんて私の主義に反しますから!」

 予想通りの台詞を言いながら響はにっこりと笑った。さすがは元アイドル。久しぶりに会えたけれど、やっぱり素晴らしく可愛い。それにやっぱり律儀だし義理堅い子だ。

「でもお前さん随分忙しそうじゃないの。もうドラマは出ないのかい?」

「いやぁ!止めてくださいその話は!」

 響は数ヵ月前にオンエアされた、自身の曲がタイアップに使われているドラマにゲスト出演していた。それはそれは、とてもとても大根で、見ているこっちが身内の恥を晒されているような気がして、そのドラマを心底楽しみにしていたおれと涼子は曰く言いがたい感情に身悶えしたものだった。

「やっぱり私はみーさんみたいにはできないんで、音楽一直線です!」

 ちなみにみーさんというのは同じくシンガーソングライターで女優業までこなす岬野美樹さきのみきさんのことだ。出す曲すべてがミリオンセラーのトップシンガー。響がSounpsyzerに移籍してきたばかりの頃から響の面倒も良く見てくれている、響のお姉ちゃんみたいな存在だ。

 おれもThe Guardian's Blueに入ったばかりの頃に作曲で行き詰まって、とても世話になった、やっぱり恩人の一人でもある。

「それは何より。あの時の恥ずかしさったら筆舌尽くしがたいくらいだったからなぁ」

「一番恥ずかしいのは私ですよ!以前からお世話になってるプロデューサーさんにどうしても、ってお願いされたから出たのに、最終的に向こうが謝ってきたんですよ!」

「向いてないこと無理矢理やらせて申し訳ない、って?」

 義理堅い性格が仇になったな。お世話になったスタッフのたってのお願いとあらば、それを無碍に断る訳にもいかず、とは言え誰が見たって大根役者だったことを思い知らされ、挙げ句向いていないことをやらせてしまった、と謝罪までされたら、確かに怒りの矛先は行方を失って、憤りたくもなるか。

「そう!完全に私だけVIP待遇の素人!みたいな現場の空気……。怖かったなぁ」

 音楽シーンでは響は一流のアーティストだ。当然そのドラマの主題歌を手掛けているのだから、下っ端のエキストラは勿論のこと、メインキャストともまた扱いは違っただろうし、響本人も、スタッフも地獄の苦しみだったに違いない。

「想像するだけでも恐ろしい!」

 ぶるる、と身震いする。おれもドラマではないけれどテレビに出ることはあった。歌番組なんかがそうだ。大体はバンドの顔が喋るからおれは黙っていれば良いのだが、怖いものと常識と世間を知らない大御所MC等はおれがテレビで喋るのが苦手なことを見抜いた上で喋らせようと仕掛けてきたりもする。芸能界なんぞくそ食らえだったけど、世話になっているスタッフの顔に泥を塗る訳にもいかない。はらわたが煮え繰り返りそうなほどの怒りを我慢したことなど一度や二度じゃあない。

「失敗しました。そんなに儲けたい?とか言われちゃうし」

 それは心ない言葉だなぁ。とはいえ、だ。

「弁明したところで逆効果だろうし……」

 ただでさえアイドルからの転向、事務所移籍で多少なりとも業界を騒がせてしまったことのある響だ。世話になったプロデューサーの希望に沿うためとはいえ、結果的にはどちらもあまり良い思いはできなかったようだし、結果としても良い結果には繋がらなかったみたいだ。

「向こうのプロデューサーさんも、ワタシが無理矢理やらせちゃったんで、ってアチコチで言ってくれてるんですけどね」

「ま、それだけでも良かったじゃん」

 そのプロデューサーは良い奴らしいな。それだけでも安心だ。それに何やらあの大根役者っぷりが逆に可愛いかったとかで、ほんの少しばかりCDの売り上げも上がったらしいし。悪いことだけではないとは言え、怪我の功名で片付けるには聊か気の毒な気もするけれど。

「それに貴さんがあんな素敵なベースつけてくれたことだし、やなことはパパっと忘れます!」

 嬉しいことを言ってくれる。響はシンガーソングライターだ。今は殆どの曲を自作しているし、他アーティストにも楽曲提供をしているほどだ。そんな響にそこまで言われるとベーシスト冥利につきるってもんだね。今まで頑張ってきたことも、練習だけは怠らないようにしていたことも、その響の言葉で報われる。

(もしかして……)

 一瞬、ほんの一瞬だけ、いや、止めておこう。自分の首がしまるだけかもしれない。折角の響のお言葉には素直に乗っかっておくことにする。

「そいつぁ嬉しいね。……いやぁしかし響の演技があれほどとは」

 しつこくドラマの話題を引きずってやる。いや何しろ慌てふためいて赤面する響が可愛いの何のって。あと正直なところ、誉めちぎられると照れ臭い。

「んもう!せっかく差し入れ持ってきたのに貴さんにはあげないんだから!」

 ぷい、とそっぽを向いて響は言った。こんな仕草もまた可愛い。ひとしきり満足したおれは響のフォローに走る。

「うそうそ!冗談だって!ロハで受けてんだから勘弁して!」

 ロハっていうのはいわゆる業界用語でただ、無料ということだ。只という漢字をばらしてカタカナのロとハに見立てている。

「え!ロハはダメって礼美さんにも言っておいたのにもぉー!何で貴さんはいつもタダ働きしてるの!」

 あらら、こんなしがないアルバイトにもギャランティの準備をしてくれていたとは。流石は早宮響さん。でもね。

「いやぁ流石に響から金、取れないでしょ」

 浅からぬ関係、だしね。それに本来音楽なんてものは私利私欲のためにするもんじゃなく、自由であるべきなんだ。欲望と希望は違うものだから。とは言えこんな曲を創りたい、聞いて欲しいって衝動は正直私欲である、とも判っちゃいるんだけどもね。

「判りました、もう、身体で払うしかないですね」

「人聞き悪い!」

 いやぁ響も逞しくなったものだなぁ。移籍してきたばかりの頃は自分で歌う曲のことですらはっきりとは意見できないくらい内気な子だったのに。

「え、ちょ、ひ、響さん?」

 今まで黙って成り行きを見ていただけの隼人が慌てふためく。もう三年以上もこの業界にいるとは思えないなぁ。

「涼子さんを裏切りたくないので絶対にナイショですよ」

「そ、そんな関係を……」

 とんでもない秘密を知ってしまった、と顔に書いてある。こいつまじ大丈夫かな。後輩とかにばかにされてはいないだろうか。

「かの元The Guardian's Blueのベーシストに弾いてもらってるんです。私なんかの身体で満足してもらえるかどうか……」

 ノリノリですな、響さん。

「お、俺、聞いてませんから!何も聞いてませんから!」

 ちょいちょいちょーっ!馬鹿隼人!

 冗談も判らないというか響の方が年下なのにこんな単純なネタでからかわれて真に受けすぎなんだよ。

「マジならこんなところであけっぴろげに言う訳ないでしょうが!」

「……え?あ、そ、そか、そうっすよね」

 おれもこの業界に身を置いてそこそこ経つけれど、枕営業なんて言葉を時々耳にすることがある。中々陽の目を見ることができない女性アイドルやアーティストが有名プロデューサーと寝ることによって大きな仕事を振ってもらったり、有名な作曲家に曲を書かせたりという、とにかく女性が身体も心も犠牲にしてビジネスチャンスを掴む、といういわゆるこの業界の最も仄暗い闇だ。

 今ではGRAMグラムのスタッフとしてバリバリ働いている一人の女性がそんなことに巻き込まれ、自殺未遂にまで追い込まれ、それが表沙汰になることもなく、闇に葬られた事例があった。

 他にもおれが知らないだけでこうした業界の闇はいくらでもあるのだろうけれど、響がおれにベースをつけさせた程度で身体を売り物にされては堪ったもんじゃない。

「もう!隼人さんも年上で先輩なんですから敬語やめてって言ってるじゃないですか!」

 世は平成。昭和魂の悪しき風習という名の化物が産み出した、良くも悪くも年功序列。年下が年上を敬うのは勝手にすれば良いけれど、年上が年下を従わせようとしたり、その逆の年下があきらかに年上を頭から舐めてかかるのは、個人的には宜しくないと思っている。響にもそうした思いがあるようで、中々に古風な考え方をする子だ。

「演者と裏方じゃ身分が違うんですよ」

 そして無用にへりくだるのも宜しくない。このご時世、身分の違いなんてものはありはしない。それこそ男尊女卑、年功序列なんて化け物が跳梁跋扈していた時代ならばともかく、世は平成。区別や役割分担ですら差別と勘違いされるような時代だ。言葉も場所も慎重に選ばないとあらぬ誤解を簡単に生んでしまう。

「そんな訳ないじゃないですか。みなさんがいなかったらCDだって出せないんですよ」

 響はとっても良い子だ。伊達に辛い思いをしてきた訳じゃあない。ミュージシャンが自身の曲をより多くの人達に聞いてもらいたいと思えば、こうした隼人達のようなスタッフがいなければ成り立たない事など、誰に言われるでもなく理解してるんだ。

「ま、どうしても、ってんなら代取に言ってくれ」

 おれは話を戻して響に言う。別におれは金はいらないけれど、社事として不都合があるのならば、社同士のやり取りで。とどのつまり代表取締役社長、谷崎諒たにざきりょうに話してもらえればそれで手打ちだ。

「諒さん?」

「そ」

「諒さんに言ったって結局同じじゃないですか!」

 良く判ってらっしゃる。諒だって礼美さんと響のたってのお願いとあらば、ビジネスなんぞくそ食らえだ。組織のトップとしちゃその裁量はどうなんだ、と思わない訳でもないのだが、実際に動くのはおれ一人だ。金銭が動くとしたってアルバイトの人件費なんてお安いものだろうし、自分で言うのも気は引けるが費用対効果も相当高い。それにGRAMのスタッフなら誰一人としてそんなことで文句など言わないし、気にもしない。

 渡世とは、義理と人情、仁義なのだよ、何事も。と一句心の中で詠んでみたくもなるものさ。

「まぁそうだなぁ。じゃ、涼子さんのお店でランチでも食べてってよ」

 ついこの間礼美さんに言った言葉をそのまま響にも言う。

「それは極力時間の許す限りさせてもらってますぅ!」

 そうなんだよなぁ。響は涼子の作るものが大好物だから、時間を見つけちゃ足しげく通ってくれている。しかもおれがいない時に限って響は店に来るんだ。

「んじゃあそれでいいじゃん」

「良くないから言ってるんです!今回だってクレジットすらさせてくれないじゃないですか!」

 つまりは響のCDのライナーノーツにおれの名前を出さない、ってことね。

「売名はおれにも響にも良くない」

 それこそ、元The Guardian's Blueのベーシストに弾かせてるなんて、というくだらないことを抜かす奴や、引退したくせに何出張ってんだ、とか言い出す奴が必ずいる。別にそれがおれ一人だけの事ならば、そんなくだらないことなど構いやしないが、響にまで悪影響を及ぼすのは望むところじゃあない。

「これのどこが売名なんですか!コラボレーションって言うんです!」

 難しい言葉を知ってるなぁ……。ま、確かに響の言うことはごもっともなのだけれども。

「よし響、じゃあ一つだけ言っておこう」

「はい?」

「情けは人のためならず、だ」

 ふふん、とおれは言ってやる。

 や、今この時に使う言葉じゃなかったわ。

「多分違いますし、そもそもそんな大業なこと言う前にきちんと正当な労働の対価を貰えば良いだけなのでは……?」

「それもそうだなぁ」

 響の言うことは一々ごもっともだ。久しぶりに響に会えて何だか心が和んだ。必死に、一生懸命にやるべきことに向き合っている響を見ていると、おれもそろそろ立ち止まっている場合ではないのかもしれないな。

「まったくもう」

 本当に世話の焼ける大人だこと、おれってやつは。



 二〇一八年八月二〇日 

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 バー Ranunculusラナンキュラス


「早宮響さんて今でも凄くご活躍されてますよね」

 コカレロのソーダ割を飲みながら六花りっかは言う。流石にバーのオーナー兼バーテンダーだけあってか、酒には強い。おれは六花が酔ったところを見たことがないかもしれない。コカレロは最近になって良く聞くようになった、いわゆるパリピと呼ばれる無節操な若者の間で流行っている酒でもあるが、そもそもがハーブ酒でかき氷のシロップのような強烈な甘みのある酒だから、ソーダ割が旨い。

「あぁ。チャリティーやボランティアにも力入れててホンットに凄い子だわ」

 響とは今でももちろん付き合いはあるし、うちの店にはちょくちょく顔を出してくれている。まったく律儀だし、義理堅い子だ。あれ以降ドラマの登場はないが、その代わりにチャリティーイベントをしたり、ボランティア活動に参加したり、と公的な動きも活発だ。いつでも忙しくしている感じはするが、SNSなどを見るとそれなりに息抜きもしているようなので、ひとまずは安心しているが、あんまり頑張りすぎると貰い手がいなくなりそうな気がしなくもない。それだけが心配だ。

 そう言えば来週、中央公園でGRAMとEDITIONが協同で主宰するイベントにシークレットで出てくれるんだった。明日にでもwireワイヤーでメッセージを入れておこう。

「でも、バンドとして活動はしていない時期でもやっぱりこうして誰かのために動いてきたんですね。なんだか貴さんらしいです」

 むず痒いな。座りが悪い。そういうことじゃないんだよ、六花さん。

「あーはは、そう言われちゃうと随分聞こえが良くなっちゃうよなぁ」

「というと?」

 まぁ実際に事実でもある。

「誰かのために動いてるオレ、エライ、みたいなのあるでしょ。結局は自分のためにやってたことでさ。ホントは感謝される謂れもねえ、っつーか……」

 いやまぁ、それであの時、響が喜んでくれたのは重々判っているし、あの時の曲もたいそう売れたらしいから、客観的に見ても感謝されて然るべきことをしたのは判る。だけれど、響を助けたい気持ちは勿論あったし、響を喜ばせたい気持ちもあった。でもそれも、自分自身を満足させるため、というのはへそ曲がりの考えることなんだろうか。響が喜んでくれるのはおれも嬉しい。つまりは自分のためにしたこと、ということにはならないのだろうか。

「それはまた自虐に過ぎますね」

「良く言われるよ」

 そういうおれの面倒臭いところをすべて見抜いた上で依頼をかけてきた元上司、高城礼美さんもまた食えない人なのだけれどもね。

「自覚がないのは可愛くないらしいですよ」

「そうかね」

 それも良く言われることではあるけれども。何というかね、企業が自社の利益のために動くことは当たり前であって、それを個人に置き換えるのであれば、確かにおれ個人も自分の満足度のために動いて当たり前で。だからこうして今も色々なことに首を突っ込んでいる訳だけれども。

「えぇ。貴さん本人の気持ちはどうあれ、響さんが貴さんにベースを弾いてほしい、と思ったものが叶えられたら、それは嬉しいですよね」

「……まぁ」

 それも判っちゃいるんだけれども、どうにもすっきりしないというか。だとするならば、何が理想形なのかはおれにも皆目見当がつかないのがまた質が悪い。

「あまり好きな言葉ではありませんが、世の中にはWIN-WINという言葉もありますから」

「おれが満足で、響も満足ならそれでいいってこと?」

「ま、あけっぴろげに言うのであれば、そうです」

「そんなもんですかねぇ……」

 ま、そんなものなんだろうな。そもそも音楽をやることだって、あえて狭義的な見方をしてしまえば、究極の自己満足だ。その自己満足が、誰かの好きに刺さり、やっている側も聞いてくれた側も満足する。これがあるからミュージシャンの商売というものは成り立っている。おれ個人としては、音楽で世界に平和を、なんて考えちゃいないし、それができるとも思えないし、そもそも一度も考えたことがない。おれ自身がこれは良い、と思えたものを曲という形で発表して、それを聞いてくれた誰かが評価をしてくれる。おれにとって、誰かの評価は後付けだ。もちろん良い評価の方が嬉しいし、悪い評価を下されればモチベーションも下がるだろうけれど。

 しかしそれはバンドとしておれが曲を創ることに於いてだ。おれが響に協力したことはそれとは少し異なる。

 まずは早宮響という人間との関係性が最初に立つ訳だし、もちろん親しい友人から協力を頼まれれば、それができる力を持っているおれに断る選択肢はない。久しぶりに響に会えるかもしれないということや、大好きな響の曲にまた関わることができるという嬉しさもある。響が喜んでくれたのは、響が満足するだけのものをおれが持っていて、それを遺憾なく発揮できたからであって、そこには、ある事象に対しての対価、という感覚はおれにはない。

「ちなみになんて曲なんですか?」

「え、まさか今聞く気?」

 聞けば店内に流れている曲はすべて六花の好みであるらしく、酒とは違い音楽は広く浅くの雑食で、ジャンル問わず、気に入ったものがあればその場でダウンロードして買ってしまうというのだから驚きだ。

「えぇ、早宮響さんの曲ならこの店にも合うでしょうし」

 まぁ確かに。そもそも響の曲は弾き語りから創られることが多く、ライブでもギター一本、シンセサイザー一台で弾き語りを披露することも多い。それゆえ、フルバンドのアレンジでもきらびやかで派手派手しい曲はそれほど多くはない。

「ごりごりのロックバンドのベーシストがベース弾いてんのに?」

 とは言いはしたが、あの時の曲も落ち着いた曲調で派手さはない。しっとりと、そう、こんな雰囲気で聞くにはもってこいの曲だった。

「そもそもそれが聞くに堪えない曲なら、貴さんは私にその話をしなかった訳で……」

「参ったねどうも」

 一回り以上も年が離れている娘にすべてを見透かされているのも、ま、悪くはないか。

(……)

 あの時は無理矢理考えることを止めたけれど、あの一件はおれを表舞台に引っ張り出すために、響か礼美さんか、何だったら諒までもが結託して考えた依頼だったんだろうな……。


 02:情けは人の為にはならないんだよ、じゃなくてね 終り

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