第12話アギレラ・権左麗須。1992

「本気かね、新川くん!」

「いくら結果を残しているとはいえ……」

「中学生を全日本に選ぶだなんて!」


 日本サッカー協会の事務室で、罵倒とも言えそうな怒号が鳴り響く。


「本気ですよ」

 罵りを受け取った人物は、新川昭三。

 書買ヴィクトリー監督兼日本代表コーチ。


 すでに6名の日本代表を賄う川崎から、さらに日本代表を出すというのは、ほかのチームにとってバツが悪い。

 書買グループが日本代表を、寡占しているようなものだ。

 

 否定的な声が上がるのは新川もわかっている。

 だが、私事だけではない、公のためにもここで千反田大治ちたんだだいじを日本代表にねじ込まなければならない。

 彼を日本代表に入れることによって生じる化学反応で何かが起きるかもしれない、いや起こさなければならないのだから。


「ダイナスティカップ、アジアカップで日本は優勝している。このまま行けば、初のワールドカップ出場が見えてくるのだぞ!?」

「このまま行けば、研究され尽くした日本は負けますよ」

 

 そう、新川は説明を始めた。


「幸いなことに、千反田大治という少年が注目され始めたのは、ここ最近。数か月のことです。敵チームのビデオカメラはあまり・・・入ってない。彼に対する知識もない。ましてや、15歳がこのタイミングで全日本に入って来るとは考えていない。チャンスなんですよ、今は!」


「ここにあるデータがある」

 大治の選出に否を唱える幹部が、発言した。


「アギレラ・権左麗須ゴンザレスが、試合中に千反田へ出したパスはわずか3本。途中出場が主とはいえ、11試合でわずかに3本なのだ。確執があるといっても過言ではない。全日本の司令塔からパスを受け取れない秘密兵器など意味があるか?」


「要するに、ブラジル代表級の少年が今、急に日本に帰化すると思えば良いんじゃないんですか。それでもあなたたち、代表に呼びませんか?」

 万宮須剛まんぐうすつよしが、新川を援護射撃する。

 これによって、アジア予選に向けた代表選考は、ますます混乱に陥った。




※※※※※



 結局、千反田大治は、全日本に選出されなかった。


『新たな代表のエース』

『ネクスト・タカ』

『新時代のドリブル・キング』




『なぜ、次世代エースは選出されなかったのか?』




 飽きれるほど、テレビ・新聞各社は大治を持て囃しはじめる。

 スター・システム。

 プロスポーツの興行分野において、高い人気を持つ人物を起用し、その人物がいることを前提としたやチーム編成、宣伝、集客プランの立案などを行っていく方式の呼称。

 マスコミを利用した宣伝の反復によって、その様な花形的人物を企画的に作り出すシステム。

 

――それがひっくり返ることも早い


 大治は理解している。

 マスコミの過度の報道によって潰された選手のなんと多いことか。

 少し活躍しただけでも、そこをダイジェストで切り取られてテレビで流されることによって、一般大衆は『この選手はスーパースターなのだ』と勘違いしてしまう。

 テレビ局や新聞社を傘下に置く、書買グループなら容易いことだ。

 だが、わかっている人はわかっているものだ。

 結果を残せなければ、その手のひらの回転すること速いこと、速いこと。


 さらに、前世のようにインターネットはない。

 一度、ネガティブな報道が過熱してしまえば、自ら発信してその非を覆すことは難しい。


 批判は慣れている。

 むしろ逆境こそ燃えてきたはずだ。

 だからこそのバロンドール受賞。


 そして強くてニューゲームを地でやっている。

 勝つ自信はある。

 たとえ、己のちからひとつでも。


「そういうところが気に入らないんだよね」

 自動販売機の後方で、訛りのある声が聴こえた。


「全部自分ひとりでやってやる、って思ってるようで」

 カーリーヘアの180cmを越える偉丈夫、アギレラ・権左麗須だった。


「自分のためだけにやっているような気がするね、僕には」


「アギレラさん……」


『おまえ、観客がいるのが当たり前のような気がしている。違うか?』

『観客がいない。数えられるほど。そういう冬の時代を過ごしてきた人たちの気持ち、わかるか?』

『今の与えられた環境は普通じゃない。積み重ねてきた人たちの気持ち、わかるか?』


 矢継ぎ早にそう問われる。


 大治は答えに窮する。

 最悪の場合は、己一人の個人技だけで日本をワールドカップに連れて行く気持ちでいたからだ。


「まるでワールドカップに出るのは当然という顔をしている」

 

 図星であった。

 全盛期の自分のテクニックに、若い身体と、充分なフィジカル。それがあれば可能であろうと思っていたからだ。

 

『海外でプロだったタカがどんな気持ちで帰国したか、わかるか?』

『日本をワールドカップに出場させるために、故国を捨てた人間の気持ちがわかるか?』

『サッカーで飯を食っていくって覚悟が足りないよ』


 意外なことを言う。

 大治は目を瞬かせた。


 サッカーで飯を食っていくというのはプロであるということだ。

 誰よりもプロフェッショナルであったからこそ、西片大治という男は、前世で世界最優秀選手であったはずだ。

 それを侮辱されるのは許せない。

 だいたい、味方に露骨にパスを出さない、あんたの意固地のせいでは……


「今までサッカーをして来た人たちの想いを、受け継ぐ気持ちはあるのか? 敷かれたレールの上じゃなく、日本のサッカーの歴史を作って、紡いでいく覚悟はあるのか!?」


 盲点だった。

 自分が日本サッカーのパイオニアになる要素はない。

 大治がバロンドールに輝いたのも、メキシコ五輪でメダルを獲得した者、実業団に所属しJSLで冬の時代をすごした者、Jリーグ開幕で活躍した者、ドーハで涙を流した者、ジョホールバルで奇跡を起こした者、日韓ワールドカップで国民総立ちにさせた者。

 そういうものの成果を、結果をまとめたものが、西片大治なのだ。


 日本サッカーの集大成の結実として、西片大治は生まれたのだ。


「おまえは何人の想いを受け継いでいる? こちとら1億3000万の想いを背中にしょってるんだ。おまえの気持ちは、まだまだ軽いんだよ!」


 千反田大治は戸惑いから揺れ動き、心に震えを起こす。

 目の前の36歳は背負っているものが違い過ぎる。

 故郷を捨て、日本人のため、120年の歴史を誇る日本サッカーのため、すべてをこの1年に賭けているのだ。

 

「それがわからないやつに、サッカーへの想いで負けるわけにはいかないんだよ」

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