第30話 藤原紗菜全開

 彼女はカバンの中を引っかき回し、そこから薄くて青い手帳を取り出した。それを開いて、中を俺に見せる。


 まず彼女の顔写真があった。髪は今よりもだいぶ短いショートボブで、顔も幼い。制服を着ているが今の高校のものではなかった。


 氏名 藤原紗奈

 生年月日 平成20年3月31日

 障害等級 二級


 俺がそこまで読めたところで、彼女は手帳を閉じてその表紙を見せた。


『精神障害者手帳』


 俺はチケット売り場に掲示してある料金表を見た。俺が買おうと思っていた1日チケットは1人9,500円だったが、障害者割引なら4,200円ということだった。


「これ、私だけじゃなくて橋下も半額以下になるんだよ。 障害者割引は付き添い1名まで適用されるから」


「あー、俺が介助者っていう位置付けか」


「そうだね。それじゃ、いこ!」


 俺は藤原と一緒に受付の列に並び、カバンから財布を引っ張り出す。その時、どこからともなく俺の足元に一枚の5,000円札がひらひらと舞い落ちた。


「お札落ちたよ」


「あぁ、ありがとう」


 俺はそれを拾ったが、来る前に財布の中に5,000円札は入れていなかった。万札を2枚と2,000円ほどの小銭だけだ。おそらく元からカバンに入っていたのに気づかなかったのだろう。何はともあれ俺はそれでチケットを買うことにした。


「藤原、俺がスタッフさんに見せるから手帳貸して」


「え? あぁ、うん」


 彼女は俺に手帳を手渡した後、自分の財布の中身からチケットの代金を数え始める。そうしているうちに、受付の順番が回ってきた。


「一日チケットを二枚お願いします。あと、この子の障害者手帳です」


 俺は彼女の肩に手を回してそう言い、障害者手帳を台に置いた。彼女は手元でお金を数えなおしていたところ、肩に俺の手が触れると、ひょこっと顔を上げてから俺の方を見る。


 受付の人は台の上で手帳を開き、中の写真と彼女とを見てから「ひとり4,200円です」と。俺たちは代金を払っておつりを受け取った。それから手荷物検査を済ませて、ついに2人で園内に入った。


「すごい、こんな楽しそうなところ初めて」


 遠目に見えるジェットコースターや、アトラクションの方角を示す色とりどりの標識、大きな園内マップ。人も多く、コスプレをしている人もいる。


「今日は遊びに来たんだ。めいっぱい楽しもう」


 俺はそう言って、さっき抱いた不快感を心の奥底へ押し込む。それからふと彼女の方を見ると、彼女は消えていた。


「あれ、藤原?」


 辺りを見回すと、園内マップの大きな看板の方にぴょこぴょこと弾んでいく彼女を見つけた。歩いているのでも走っているのでもない。弾んでいる。彼女の大きな横縞のあるラガーシャツは遠くからでも見つけやすかった。俺は後から小走りで彼女を追いかける。


 忘れていた。彼女は高校の入学式ですらすぐどっか行ってしまう子なのだ。それを遊園地などに連れてくれば、目を離せばすぐに消えるだろう。体が小さくて軽いからなのかは分からないが、意外な事に彼女は足音をはじめとした動作音が小さい。というかほとんど無い。落ち着きはないがそこは徹底されていた。


「なんか面白そうなのある?」


「これ行きたい! プテラノドンのジェットコースター」


「よし、じゃ行こう。でも藤原、ちょっとお願いがある」


 俺が「じゃ行こう」と言った瞬間に弾みだした彼女の肩を持つと、またぴょこっとこちらを振り返った。見つけ次第、猫耳カチューシャを買って強制的に着用させよう。


「前にカフェ行った時、俺たち迷子になったじゃん」


「あ~、なってたねぇ」


「すごい方向音痴なんだよ俺。だから、ひとりになったらまたこの遊園地で迷子になる」


「おぅ......」


「だから、藤原がどっか行くときはちゃんと俺がついてきてるか確認してほしいんだ。というかそのときはちゃんと俺も一緒に連れて行って欲しい」


 そう言うと、彼女はぷぷっと笑った。


「橋下もそんなところあるんだね。いいよ! 迷子にならないように見ててあげる」


「ありがとう、助かる」


 前に迷子になったのは自分が原因だということは全く忘れてしまっているらしい。だがまぁ思惑通りなのでここでは言及しないことにした。


 そんなやりとりをしてから俺たちはそのジェットコースターへ向かい始める。


「プテラノドン、写真のじゃよく分からなかったんだよね。すごく楽しみ」


「ああ、あれ乗ったことあるけどすごく良いよ」


「へ~、どんななの?」


「ジェットコースターが飛んでるプテラノドンに空を引っ張りまわされる感じでさ、発進する瞬間に座席が水平になるんだよ。それでそのままって感じ。まぁ行ってみてのお楽しみだよ」


 俺がそう言って彼女の方を見ると、彼女は消えていた。

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