第18話 春過ぎて

 恋とは恐ろしいものだ。特定の人に執着し、自らによって自らの日常が破壊される。もし俺が彼女に出会わなければどんな学校生活を送っていただろうか?


 幼い頃から運動が出来、勉強もまぁまぁ出来、友達も多かった。中学の時には、それはもう中学生レベルのかわいいものだが、彼女もいたりもした。それから受験勉強にいそしんで府内でもそれなりの高校に入学した。


 あいにく中学時代の友達とは離れ離れになったがすぐに新しい友達が出来た。でも、もうその時には狂い始めていた。それが決定的になったのは、やはりあの文化祭の日だろう。


 火曜日──テスト最終日の前夜、母が言った。


「アクア、まだ起きてるの? ......というか、ちょっと痩せすぎじゃない? ちゃんと食べてる?」


 迂闊だった。風呂で寝落ちしてからどれくらい経っただろうか? 目が覚め、ボクサーパンツ一枚で家の中をうろついていたらパートから帰ってきた母に出会でくわした。


「ああ、おかえり。食べてるよ、ちゃんと」


 俺は咄嗟にうそぶく。それから、今しがた直接口をつけて飲んでいた牛乳パックを冷蔵庫に戻し、テーブルのスマホを持って階段を上がった。ギシギシと不快な音の響く中スマホ画面を開くと、ポテトを食べる藤原の写真の上に2:25と表示されている。写真は遠くから撮って拡大したものだったため、画質が荒い。


「あれ、そんなのいつの間に?」


「ついさっき、ゴミ箱の方行った時」


「普通に近くで撮れば良いのに」


「これで良いよ」


 学食でそんな会話をしたのを覚えている。まさか数十秒も経たないうちに見つかるとは思わなかった。別に、1週間誰にも見られなかったら〜みたいなおまじないをしたかった訳では無いが。


 ところが、俺たちはあまり学食に行かなくなった。というか、正確には俺が行くのをやめたんだ。彼女曰く、コンサータが効いている間は全く食欲が湧かないのだと。それどころか、一人前の食事でもした時には吐き気をもよおすのだそうだ。


 ポテトも食べたいから食べていた訳ではなく、俺と一緒に学食に入ったから仕方なく一番安いポテトを頼んでいたらしい。


「どうして言ってくれなかったんだよ?」


「聞かれなかったから」


 それだけだった。いつもどうでも良いことを長々と話す癖に。俺はそこで話を終わらせ、その日から学食に行くのをやめた。テストが終われば、彼女と一緒にそのまま自習室に向かう事にしたのだ。俺は以前から朝ごはんを抜きがちだったから、一日の食事がほぼ夜だけになったのだ。


 部屋に入って服を着ようとした時、窓に自分の体が映った。気味悪ささえ﹅﹅ある浮いたあばらと、薄いゴム膜のような皮膚が張り付いた腹筋。前から割れてはいたが、こんな薄っぺらい筋肉では無かった。俺は窓のカーテンを閉めてから寝支度を済ませた。


 そしてテスト最終日、彼女は例のごとくクマのある虚ろな目をしていた。だが互いに協力し、なんとか一学期の期末テストを終わらせた。前の席の野田がスパイクを持って部活に向かうのを横目に、俺は藤原に話しかけた。


「はぁー、やっと終わったな。頭使うの疲れるわ~。藤原、チョコ持ってない?」


「えっ」


 テストの問題用紙をぐしゃぐしゃとリュックに突っ込む藤原の手が止まった。その目線はリュックの中のどことも言えぬ一点を見つめる。


「藤原?」


「あぁ、こっなごなの紗々ならあるよ」


「それで良いよ」


 彼女はボックス型リュックの蓋の裏のポケットからパリパリした小さな袋のチョコを取り出した。中身は本当に粉々で、俺は袋を裂くと口の真上まで持ってきてパシャパシャとその中身を口の中に落とした。


「ありがと」


「うん」


 彼女に初めて会った日に貰ったのと同じものだ。そこからの帰り道は、テスト問題の愚痴や教員どもの悪口大会となった。テストから解放されたのもあって彼女の表情も少し明るく、俺はほっとした。電車の中で、彼女がぼそりと言った。


「世界が私を中心に回れば良いのに」


「そんな事してどうするんだよ?」


「もうすぐ夏休みでしょ? ......最後の1週間くらいを無限に繰り返させてやる」


 彼女の言うことは俺の理解力を遥かに超越した所にあったが、そんな事はどうでも良かった。


 場所はまだ決めていない。日時も決めていない。だが行く事だけは決めていた。夏休み、俺は彼女をデートに誘う......!!

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