第3話 彼女の表情

 ある日の朝、席替えがあった。それまでは出席番号順の席だったが、二ヶ月に一回席替えをするのだそうだ。担任がスクリーンに映し出したパソコン画面には教室のものと同じ配置の席の図があり、それぞれにランダムに生徒の名前が書いてある。


「あんまり後ろだと黒板が見えないよーって人、挙手して」


 出席番号順の時から、目が悪くて前の方の人と席を交代していた人はいた。スクリーンに映し出された席替えツールは特定の誰かの席を固定することも出来るらしく、担任に申し出た5人の生徒の席が固定され、他の席がランダムに並べ替えられ、スクリーンに新しい席が映し出される。すぐに野田が後ろを振り返り俺に話しかける。


「うおっ隣じゃねえか! ...なあ、橋本、おい」


「あ、あぁホントだ。やったな!」


「いや安心だわ〜」


 俺の席は前から2番目の一番左だった。そして藤原は後ろに2つ、右に1つ進んだ先だった。今よりは遠くなってしまうが、おそらく同じ班だろう。俺は机の上にまとめておいた教材を持って机の横のリュックを背負い野田の後ろについていき新しい席に自分の荷物を置いた。右後ろに目をやると、彼女はまだ来ていない。元の席を見てみると、彼女はそこで机から教材を引っ張り出している。


「早くどけよ」


「ご、ごめん」


 そのすぐ横に立っていた男子と彼女の会話がかすかだが聞こえた。それからその男子─科学部の山本─は両手に持っていた教材を乱暴に机に置いた。藤原は一度体をビクっとさせ、教材の下敷きにされた指を慌てて引き抜いた。それからようやく自分の教材をまとめて持って新しい席に運び始める。目が合いそうになり、俺は彼女から目をそらした。


 どうすれば良いのか分からなかった。止めに行く?いや、藤原はもうそいつから離れてるし、あんな一瞬の小さな出来事で何かを言いに行くのも気が引けた。それに彼女は声もあげなかったので、あの状況を理解しているのも俺だけだろう。逆に皆んながあれを見ていたとして、藤原の味方をする者もいないだろう。...彼女の人望の無さからして。


 かと言って山本に人望があるかと言えばそうでもない。言わば底辺の者同士で起こった些細な出来事だった。そこに俺が介入して片方をもう片方に謝らせる?...なんだか、違うような気がした。「藤原の事好きなの?」なんて冷やかされるのも嫌だった。結局俺は何もせず、そんな自分を心の中で軽蔑した。


「はーいじゃあ、テスト範囲表配ります」


 クラス中から嘆きの声が上がる。高校に入って一発目の定期試験、中間テストだ。野田が俺の肩に手を置く。


「協力体制でいこう、な」


「ああ。 俺んち割といつでもいけるぜ、勉強会」


「マジ? エナドリ買っていくわぁ!」


「いいなそれ! 頼んだ」


 俺は明るくそう言ったが、それとは裏腹に心の内は一日ずっともやもやと暗いままだった。彼女は周りから自分への態度についてどう思っているんだろうか?彼女が人と違うのは分かっている。物の考え方や感じ方が変わっている。だけど、他人からあんな態度を取られたら傷つくだろう。


 ああいう時、彼女は確かに一瞬辛そうな顔をしている。怒ったり泣いたりといった分かりやすい反応は示さないが、冷たい事を言われたり無視された時、彼女の表情は一瞬暗くなる。少なくとも、彼女が自分の好きな事を俺に話している時の顔とは全く違っていた。


 彼女が目をきらきらさせて楽しそうな時、たいてい俺は迷惑を被っている。俺の興味の無いだけの話ならまだ良いが、彼女は時折無神経に俺の心を抉ってくる。前に俺が部活の愚痴をこぼした時、彼女は非常に論理的に完成された理論で俺が間違っている事を証明し、その上で上手いこと言ってるつもりなのであろう皮肉を披露してくれた。


 彼女はムカつく奴だった。『お前なんてもう知らん』と言いたくなる事も今まで何度もあった。しかし、彼女が一瞬の辛そうな顔を見るたび、俺の心はチクリと痛むようになった。

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