第17話 アドバイス

「なあに、あれ? これみよがしに指輪なんてしてきちゃってさあ!」

「五寸釘には藁人形がお似合いよねぇ」

 二週続けて、週明けの総務課はサトの陰口で盛り上がっていた。

「……今度は指輪かあ……ヒラド隊長、ほんとに気合入ってるなあ……」

 チカは誰にも聞かれないように一人呟く。

 レンとサトが婚約したことを知らない者は、もう社内にはほとんどいない。

 サトに対する陰口は収まるところを知らなかったが、やっかみによる暴力沙汰などは起こらなかった。

「やっぱり事務方じゃなくて現場だからよね、きっと」

 もしサトが総務課のような事務職だったなら、もっと執拗な嫌がらせを受けていただろう。

 外の現場警備を主な仕事にしている、第三騎馬隊。

 サトは海外から輸入された雑貨を一時的に預かる倉庫会社“シノ物流”の警備が主な任務だ。

 既に長年勤めているだけあって、現場で働く人々との信頼関係も厚い。

「先週は見た目改革、今週は指輪か……シノ物流でも話題になっていそうだなあ……」

 手にした書類をファイリングしながら、チカはシノ物流会社のセンター警備中のサトに思いを馳せたのだった。


「あれ? サトちゃん、それもしかして婚約指輪ってやつ?」

 背後から声をかけられ、サトはびくりと体を震わせた。

「……アイダさん、こんなところまで気にする人だったんだ」

 サトは微かに眉根を寄せ、反射的に左手を引っ込めた。

 声の主を振り返ると、逞しい体つきのオッサンがにこにこと笑ってサトを見ている。

「おう、俺はそういうところに敏感だからなあ……いやあ、先週からなんだかキレイになっちゃってオカシイって思ってたけど、なんだそういうことか……そうならそうと言ってくれりゃあいいのに」

「いや……どうせ一ヶ月後には指輪、外してるから」

 サトは人懐っこい笑みを浮かべる相田に向かって苦笑を浮かべる。

「ん? 婚約指輪を外して結婚指輪を嵌めるのか?」

 相田はキョトンとして首を傾げた。

「あ、いや、そうじゃなくて……」

「……なんだ、そういうことか……」

 表情を曇らせるサトに、相田はニヤリと笑った。

「結婚を迷うような男とはさ、早めに縁を切った方がいいぜ! むしろ籍を入れる前に合わないってわかって良かったじゃねぇか」

「え……あ、うん、まあね」

 サトは曖昧な笑みを浮かべた。

「俺ぁ、バツイチだからな……そこら辺のことはよくわかる」

 うんうんと頷きながら、相田は胸を張った。

「……アイダさんの場合は、奥さんに内緒で借金重ねたのが原因だろ? 胸張るところかよ」

 サトは思わず笑ってしまう。

 相田はサトがシノ物流の警備をし始めた時からの顔見知りであり、知り合ってから九年になる。

「あれ? 俺そんな話したっけ?」

 相田はにこりと笑って言った。

「聞いたよ、しっかりと。私がここに配属されたばかりの頃、こっちから聞いてもいないのにペラペラ喋ってきたじゃんか。忘れたくても忘れられないっつぅの」

「いやあ~、そんな大昔のこと忘れたわあ」

 相田は六十歳を過ぎた立派なオッサンだが、見た目は五十代中頃に見える。

「私の場合はさ、まあ、詳しくは言えないけど色々あるんだよ。とにかく、こんな指輪してるのもあと一ヶ月位だ」

「あ、そう……なぁんだ、つまんねぇなあ……相手に浮気でもされたか?」

「……いや、そうじゃない」

「浮気する男はなぁ、一度許しても何度もするぜ」

「いや、だから、そうじゃないってば」

 一方的に喋る相田に、サトはため息を吐いた。

「まあ、子供は可愛いけどな……俺も別れた女房には未練ないけど、子供らに会えなくなったら人生真っ暗闇だぜ」

「……未練ないの?」

「ない。むしろスッキリした」

 清々しい空気を醸し出す相田に、サトは微かに眉根を寄せた。

「そうは言うけどさ、独り身は寂しくない?」

「寂しくなったら、仕事仲間の連中と飲みに行ったり、娘達に会いに行ったりするから寂しくない。向こうもきっとせいせいしてると思う」

「……夫婦って、そんなもんかね……」

 ふぅ、とサトは小さくため息を吐く。

「まあ、俺の場合はな。夫婦の形なんか百組ありゃ百あるだろ。まあ、俺からサトちゃんにアドバイスするとしたら、アレだな」

 言い、相田はニヤリと笑った。

「嘘は墓場まで持って行けってやつだ。あーあ、俺も借金のこと黙っときゃなあ……」

「アイダさん、やっぱり奥さんに未練あるんじゃん」

 サトは思わず笑ってしまう。

 ……嘘は墓場まで、か……擬装結婚自体が詐欺だからな……

 サトが浮かべた笑顔の裏では、後ろ暗いなにかがゆったりと首をもたげていたのだった。


「アイダさんの話なんか、ハイハイって頷いて聞いときゃいいのよ!」

 カラカラと明るく笑うオバちゃんがサトに言った。

「それにしてもいい指輪ねぇ……キレイ……いいなぁ、幸せ絶頂期ね!」

「あ……いや、そうでもないです……多分一ヶ月後には外してます」

 サトは愛想笑いを浮かべながら言った。

「え? なんで?」

 オバちゃんは怪訝そうな表情を浮かべた。

「彼氏が浮気でもしたの?」

「……いえ、そうじゃないです」

「あら、そうじゃないの……浮気と借金と暴力はダメよね、絶対」

 うんうんと頷きながらオバちゃんは言う。

「で? なんで?」

「いや、まあ、その……詳しくは言えないんですけど……オオタさんのところは夫婦円満でいいですね」

 太田というこのオバちゃんとサトとの付き合いは五年程だ。

 旦那と一緒にこの映画を観に行った、この場所にお出かけした、といった話をサトは太田のオバちゃんから割りとしょっちゅう聞いている。

「まあ、娘も息子ももう大きくて一緒に出歩く歳じゃないしね。家にいたってつまんないから、じゃあどっか行く? みたいな感じよ。いつも」

「……夫婦円満の秘訣みたいなものって、なにかありますか?」

 参考にはできないけど、とサトは心の中で付け足した。

「うーん、そうねぇ……まあ、私と旦那の趣味や考え方ってけっこう違ったりするんだけどね、洗濯物の干し方とかさ! でも、それを否定しないことかな?」

 太田のオバちゃんは考えながらサトの問に答えた。

「私も旦那から否定されたらムッとなるから、私も旦那のあれやこれを否定しない。食い違った時は、あぁそんな考え方もあるんだなぁ、位に考える」

「なるほど……」

「だからサトちゃんも彼氏さんのこと、多少の事は許してあげるのよ!」

 ニコッと笑って太田のオバちゃんは言った。

「はあ、まあ、そうですね……参考にします」

 サトは再び愛想笑いを浮かべる。

 多少の事は許す、か……そういう問題じゃないんだよな……良いアドバイスを聞いたような気はするんだけど……

 サトは太田のオバちゃんと別れた後、深いため息を吐き肩を落としたのだった。

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