チャプター05

 翌朝、机に向かっている的場に、朝の挨拶をした。

 「おはようございます」と的場からの挨拶をもらった後、統制官の所へ昨日のお礼を言った方が良いのかどうか迷っていて、聞こうと思ったが的場の背中が拒否しているように思えて止めることにした。

 どうも朝から歯車が嚙み合わない。こんな相手と一緒に捜査ができるのだろうか、と疑心暗鬼に陥ってしまいそうだった。

 これがキャリアの体質だ、とすればとても胸襟など開けるわけがないと矢上が思っていると、的場が唐突に質問した。

 「昨晩、統制官が仰ってました。あいつは、伝説の男って。そんなに有名なんですか?」

 「他人が勝手に尾鰭おひれを付けて面白半分に話してたのを、誰かから聞いたんだろう。そんなもの何もないよ」

 「誰か1人が言っていたってだけじゃないらしいですよ」

 まだ的場は話したがっているように見えたが、机上の電話が鳴った。

 「装備課から警察手帳と印鑑を持って、横山さんという担当の所へ来て下さいとのことです」

 的場と2人で、とのことでそのまま装備課へ向かった。的場に付いて歩いている今の俺は、俺の方が子守されているようだと苦笑した。

 装備課で担当の横山と3人で施錠された部屋に入った。内側に入ってからまた横山が施錠した。

 ここで待つように言われた。横山はジュラルミン収納ボックスを持って来た。ボックスを開けると拳銃が4丁収められていた。

 ニューナンブ38口径回転式拳銃である。

 矢上は取り出して1丁ずつ把持はじし、銃口を下に向け空撃ちをして感触を確かめた。横にいる的場にも拳銃を触るように指示した。

 「重いか?」

 「はい、少し」

 「拳銃の種類は限られている。この感触に早く慣れるしかない」

 「はい」

 拳銃の点検の後、手錠、補じょう、着脱式特殊警棒をそれぞれ2人にと用意がされていた。拳銃のホルダーは直接身に付けて使い易い物を受け取った。装備品の貸与は全て1点ずつ確認して、必要書類に押印をしてから受領した。

 最後に拳銃の弾丸は、1箱ずつ書類に押印した後に受け取った。


 午前10時になり、会議室に調査チーム6名が集められた。

 ここで簡単な自己紹介をさせられた。若いキャリア3名は、全員が藤崎統制官の元で以前稼働していた事実が分かった。ノンキャリア3名は、矢上が神奈川県警、平泉が埼玉県警、大場が警視庁からの出向であった。

 この3名は全員昨日付で警視に昇任していた 。

 藤崎統制官は全員を前に、

 「君たち6名には闇に被られるおそれがある事案をできるだけ正確に解明し、世の中の安寧あんねい秩序に貢献してもらいたい。この調査室を立ち上げた目的はそこにあると言っても過言ではない。警察庁長官官房の直轄機関として選抜された君たちに対する我々の期待は計り知れない程である。我々としても君達に対してはできる限りの後方支援をさせてもらおうと考えている。現場で危急の存亡のときは自分の裁量で対応してもらって結構である。自信を持って社会正義の達成のために尽力してもらいたい」

 そこで藤崎は一旦言葉を止め、集まった者たち1人1人にこれからの話をじっくり聞かせようとするかのように上着をゆっくりと脱ぎ始めた。

 「これから所感を話させてもらう。キャリアとノンキャリアとのキャッチボールがきちんと出来ていない、と見ている。それは悪しき伝統なのかもしれないと考えるようになった。たかだか上級試験に合格しただけでエリートだと言われ続けて育てられ、ノンキャリアは駒に過ぎないから上手に捨て駒として使え、何の躊躇もいらない、そんな風に洗脳され続けたから、ノーと言えない人間だけの話を鵜呑みにして最悪の判断をしてしまう。そして取り返しのつかない結果を曝け出してしまう。この悪しき伝統を覆すには、もはやキャリアを若いうちから現場へ出させ、現場で職人刑事と寝食を共にして苦労をすることから始めなければならないと気付いたキャリアの先輩がいた。私はその先輩から教えを受け、今回やっとここに君たちを招集することができた。何年も掛かったがやっとその先輩の意志を引き継ぐことが出来て嬉しく思っている。ここにいる3名のキャリアの者たちはしっかりと現場を覚え、文武両道のバランスの執れた幹部になってもらいたい。人の痛みの分かる人に。3名のベテラン捜査員の君たちはこの若い者たちを一人前の仕事人に育てて欲しい」

 藤崎の浪花節は一先ず終わった。


 その日は午後2時から長官室に6名が呼ばれ、1人ずつ氏名報告をした後、長官の短い訓示を聞いた。

 長官の脇には藤崎統制官と、藤崎統制官の指示のもと調査チームを補佐する青山司令官、沼田司令官も並んでいた。

 へや(調査室)へ戻ってから各自身辺整理を始めた。なかなか進まなかった。

 矢上は思っていた。犯罪現場ほど筋書きのないドラマはないと。

 たかだか2年や3年で簡単に収得出来るなんて考える方が間違っている。だから繰り返し『現場百遍ひゃっぺん』とうたわれ続けている。

 現場での活動は、過去の経験や体験などを駆使して幾重にも絡み合った糸を一つそして一つと丁寧にほぐしていく職人の作業のようなことから始まるのだ。だから簡単に収得出来るなんて考える方が甘い。

 事件の送致までの刑事たちの仕事の初手は現場で証拠を探すことである。

 犯罪捜査規範第四条は、合理捜査として、『捜査を行なうに当たっては、証拠によって事案を明らかにしなければならない』と言っている。

 採取した有形無形の数多くの証拠をもとに聞き込み、張込み、数多くの参考人の調べ、そして被疑者の裏付け捜査を得て検察庁へと送致をする。この一連の刑事たちの仕事は、残念ながら徒弟制度が土台になってきたことは否めない事実なのだ。

 現場検証から検察庁への送致までの一連の仕事はノンキャリアの職人たちに任せた方が良いし、なまじキャリアが現場や捜査本部(ちょうば)に顔を出して捜査員の邪魔をしてはならないのだと思っている。

 キャリアがやらなければならない役割は別にあるはずである。

 的場を一人前の捜査指揮官に育てあげろというのが職務権限ならば、俺流のやり方で、警察官である前に1人の『人』として、心根が優しく、誰にでも分け隔てなく公平に対応出来る情のある『人』に育ててみようと、矢上は決意した。


 的場が声を掛けた。

「統制官がお呼びです」

 矢上は軽く頷いてから向かった。

 藤崎は今後の伝達方法の確認と諸々の指示を伝達した。その後から、

 「明日、明後日の土曜日、日曜日はゆっくりとして疲れをとってくれ。今日は6時から新橋で団結式をやるから。2人の司令官にも声を掛けてある。長官にも声を掛けたが、長官はなぁ」

と言って苦笑いをした。

 「矢上君、旨い日本酒を用意させておくからな。場所はここだ」

と場所、名称、略図の入ったメモ用紙1枚を手渡した。

 矢上が部屋を出たら、廊下で控えていた平泉と対面した。1人ずつ呼んで指示している。各チームそれぞれに個別に仕事の色分けをしているのだろうか。

 戻って直ぐにペラ1枚のメモを渡すと、的場は苦笑いをした。

 ふと思い立って矢上が「射撃場と道場がどこで使えるのか、聞いてみてくれるか?」と頼むと、的場はバッグから携帯電話を取り出し、手早く誰かにメールを送信した。

 「知り合いにメールで頼みました。矢上さん普段、ショートメッセージでやり取りされてます?」

 「やってるよ」

 じゃあ、と言って的場は矢上の携帯を受け取り、速やかに操作を始めた。矢上に携帯を返した。

 「ショートメッセージで送りますね」

 返してもらった携帯にのあいさつのメッセージが送信されてきた。矢上も「了解」と返信した。

 すぐにメールの受信を知らせる音がして、携帯を見た的場が言った。

 「分かり次第連絡をくれると返事がきました」

 迅速な的場のやり取りに矢上は、「こいつ、なかなかやるなぁ」と思った。やることがり気なく自然で、目から鼻へ抜けて無駄がない。

 「武道はどっちです?」

 的場が聞いた。

 警察官は柔道か剣道のどちらかを選択しなければならないとされている。有段者つまり初段以上の者であることが昇任試験の受験資格にも定められている。大事な資格の一つである。的場が、どっちですか?と聞くたのはそういう規定があったからである。

 「両方やった。警察学校の初任課の時は剣道だったんだよ。当時の副担任が剣道の助教だった関係で剣道と決められてね。柔道の有段者以外は全員が剣道というのが決定事項だった。人一倍汗っかきだったから面を被るのが辛かった。学校を卒業して所轄に出てからは柔道に鞍替えしたよ。

 どっち?」

 今度は矢上が言った。この時は正直、的場のことを何と呼べば良いのか分からず、だからついこんな風に言ってしまった。

 「剣道です」

 同じ道場で稽古することがないと思うと気は楽だった。滑稽かも知れないけど、的場には頭脳以外のところで敗ける訳にはいかないと、その時の矢上は本気でそう思っていた。

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