第4話 たとえ、背伸びだとわかっていても

 ブライト様とおでかけの日の朝。

 今日のためにとっておきのお洋服に着替えたわたくしは、鏡の前でくるりと回って全身を確かめてみた。

 鏡に映るのは、胸元と腕の部分がシースルーになっているワンピースを着た自分だ。

 淡いピンクの布に赤い花の刺繍がしてあり、外側をシースルーな布でふんわりと仕立てられたワンピースは、腕と鎖骨あたりが薄い布越しに透けて見えるセクシーな造りだった。

 セクシーと言っても、下品に見えないようにスカートの丈はひざ下まであるので、実質的な露出は少ない。見えてはいるが、出してはいないのでセーフだろう。

 背中の中ほどまである金髪と青い目は変わらないのに、着るものが違うせいかいつもよりちょっと大人っぽく見えた。


「ふっふっふ……ブライト様も大人っぽいわたくしを見たら、少しは意識してくださるに違いありませんわ!」


 名付けて、セクシー大作戦である。

 前髪を整えて着慣れないワンピースにおかしなところがないか確かめる。

 そうしているうちにブライト様がいらっしゃったと侍女が知らせに来てくれた。

 はやる気持ちを抑えながら廊下を早足で歩くと、いつもより高いピンヒールの靴がカツカツと音を立てた。

 履きなれない靴に歩きづらさを感じつつも、すべてはブライト様のためと姿勢を正す。

 もうすぐ階段というところで弟のロベルトから声をかけられた。

 お父様の小さな頃とそっくりだという金髪に青い目をした十一歳の弟は、わたくしを見て形のいい眉を顰めた。


「姉様、まさかその格好で出かけるつもりですか?」

「かわいいでしょう?」


 足を止めてくるりと回ってみせると、ロベルトは目をそらして額に手を当てた。


「かわいいでしょう? ではありませんよ。そんな格好で出かけるなんて……お父様とお母様はご存知なのですか?」


 ギクリとして一瞬だけ目をそらす。

 ご存知なんてあるわけがない。

 自分でも攻めた格好をしている自覚はあるけど、別のお洋服に着替えるつもりは毛頭ないのだ。

 ここはロベルトを言いくるめてこの場を切り抜けなければ。

 わたくしは顔の前で両手をパンッと合わせてお願いと頭を下げた。


「お願いロベルト、見逃して! お土産を買ってきますから…………ね?」


 ちらりと上目遣いでロベルトを見れば、お土産という言葉に弱い弟は小さく息をついて取引に応じてくれた。

 別れ際に「ブライトおじ様に迷惑をかけないようにね」と忠告されて、「わかってますわ」とわかりきった応答をする。

 これでロベルトはオッケー。

 あとは誰にも会わないことを祈るばかりだ。

 そうして階段を降りると、エントランスに一人佇むブライト様の姿が見えた。

 出迎えた執事はおそらくお父様とお母様を呼びに行っているのだろう。

 どうやらわたくしが一番乗りのようだ。

 そもそもこんな格好を見られたら両親になんて言われるかわかったものではない。先ほどのロベルトとのやりとりからも、見つかる前にささっと出かけてしまったほうがいいだろう。

 わたくしは小さく息を吸って大好きな人の名前を呼んだ。


「ブライト様っ!」


 わたくしの呼びかけに反応したブライト様がこちらに顔を向け――――驚いたような表情になる。

 黒く大きな双眸が限界まで見開かれているのを見て、「やりましたわ!」と思う。

 驚いてる、驚いてる。

 期待していた通りの反応に、わたくしの足も軽くなる。

 これはお母様やお父様に着替えてきなさいとお小言をもらう前に出かけてしまわねば。

 小走りでブライト様に駆け寄ると、彼が口を開く前にその手を取って外へと連れ出す。


「ごきげんよう、ブライト様! わたくし、今日のおでかけをすごく楽しみにしていましたのよ!」

「わっ、ちょ、セシリア!?」


 手を引かれるがまま、たたらを踏むようにして歩き出したブライト様が慌てた声を上げる。

 本来なら立ち止まって挨拶をし、ブライト様にエスコートされながら馬車に乗りこむのでしょうけど、今のわたくしはお母様とお父様に見つからないようこの場を早く離れたくて、扉が開かれたままになっていた馬車に自ら乗り込んだ。


「待って。ジルベルトかアリーシャ嬢に挨拶してこないと……」


 出掛ける時はお父様かお母様に一言挨拶してから出かけるのが恒例となっているため、まだ挨拶をしていないとブライト様が制止の声をかける。

 けれどここで止まるわけにはいかなかったわたくしは、咄嗟にでまかせを口にして出発を促す。


「大丈夫ですわ! 部屋を出る前にお母様に挨拶してきましたもの。そ、それよりも早く出ましょう? 東通りに新しくできた雑貨屋さんの小物がすごく可愛いんですって」


 ブライト様はじっとわたくしのことを見つめると、小さく息をついて「わかったよ」と御者に出発の合図を送ってくれた。


 ***


 嘘をついてしまいましたわ。

 後ろめたさを感じつつ、向かいに座るブライト様にちらちらと視線を送る。なんだかそわそわしてしまって気を紛らわすように指の腹で爪を擦る。

 ラフすぎない白シャツに黒のトラウザーズを着たブライト様は、とても御年三十七歳には見えなかった。

 お父様もお母様も実年齢よりも若く見えるけれど、ブライト様は童顔なせいもあってか二十代前半と言われてもおかしくない容姿をしていた。口を開くと気安い感じなのに、こうして黙って外を眺めるブライト様からは大人の余裕のようなものを感じられて変にドキドキしてしまう。

 ふと、外を眺めていたブライト様がこちらを向いた。


「セシリアは誕生日に何がほしいの?」

「え? えっと……」


 しまった、一緒に出かけることばかり考えていて何を買ってもらうか決めていませんでしたわ!

 苦し紛れに考える時間をひねり出すために、質問を返してみる。


「ブライト様は何だと思います?」

「そうだなー……スノードームとか?」

「スノードーム……」


 水で満たされたガラスの中にミニチュアが入った小さな置物は、今まで何度かブライト様からいただいたことがあった。確かに可愛いから好きだけれど、誕生日プレゼントにねだるには少々子供っぽくないだろうか。

 ブライト様から見たら子供っぽいということなのかしら……。

 聞いたのは自分のくせに、モヤッとした気持ちになる。


「どう? 当たった?」

「わたくし、スノードームを欲しがるほどもう子供ではありませんわ」


 思わず可愛げのない答え方をしてしまった。

 しまったと思いつつも言ってしまった言葉は引き戻せない。

 わたくしの答えに、ブライト様は一瞬面食らったような顔をして――それからへらりと笑った。


「そっか……そうだよね。もう十七歳だもんなぁ――じゃあ、アクセサリーでも見に行ってみようか」


 アクセサリーという言葉に、わたくしはぱっと顔を輝かせて大きく頷き返した。

 アクセサリー=大人というわけではないけれど、少なくともスノードームよりは子供感を脱せた気がする。

 この流れで毎日身につけられるようなアクセサリーをねだってみようかしらと、これからの予定を思い描く…………うん、いいかもしれない。

 それで行こうと思っていると、ガタンと揺れて馬車が止まった。

 小窓から外を確認したブライト様が席を立ってわたくしに手を差し伸べてくる。


「じゃあ、その前にちょっとだけ寄り道」


 そうして着いたのは、アクセサリー店ではなく女性ものの洋服を取り扱っているブティックだった。

 首を傾げながらもブライト様に手を引かれるがまま入店すると、四十代後半くらいの女性がわたくしに向かって「何かお探しでしょうか?」と声をかけてきた。

 探すも何も、どうしてここに連れてこられたのかもわかっていない。

 どういうつもりなのかしらとブライト様を見ると、彼はぐるりと店内を見回した後に、マネキンが着ていた淡いピンク色のワンピースを指さした。

 丸襟に、ふんわりと広がるスカート。その裾には白いフリルが二段あしらわれている。

 今着ているワンピースと同じ色合いなのに、こちらは清楚系なワンピースだ。


「あれをこの子に着せてもらってもいいかな?」

「ふぇ!?」

「さぁ、行っておいで?」

「…………」


 どういうつもりなのかと視線で問いかけると、ブライト様は眉尻を下げて頬をかいた。


「さすがに今の状態で町を歩かせるわけにはいかないからね」

「……似合ってませんか?」


 すぐに服のことだと気づいて頬を膨らませると、ブライト様は慌てた様子でわたわたと手を振った。


「いや、似合うとか似合わないとかじゃなくて、似合わないかと聞かれるとそんなことはないんだけど……えっと、セシリアはもっと年相応の装いをしたほうがいいと思うんだ」


 要するに、この露出の多いワンピースはわたくしには不相応だと言いたいらしい。

 キュッとスカートの裾を掴んで唇を噛みしめる。


「く、靴もさ――――ほら、こういうやつのほうがいいと思うし」


 そう言ってブライト様はお店の奥に飾ってあった茶色のローファーを持ってくると、わたくしの足元に置いた。

 ヒールのない歩きやすそうな靴は、ブライト様が選んだ清楚系ワンピースによく合っていた。

 ブライト様に子供に見られたくないから頑張ったのに、そんな彼が選んだ服はまるで子供が着るような可愛らしいものだった。

 頑張って大人っぽくしましたのに……。

 結局のところブライト様はわたくしのことを子供としか見てくれていない。現状に悔しさがこみ上げた。

 悔しくて、悲しくて、腹立たしくて。

 行き場のない気持ちにみるみるうちに視界が歪んでいく。

 瞬きとともにポロリと頬を伝った涙に、ブライト様がはっと息をのんだ。


「いつもいつも子供扱いばっかり――――ブライト様のバカ! もう知りませんわ!!」


 わたくしはブライト様をキッと睨みつけて捨て台詞を投げつけると、踵を返して駆け出した。

 背後から呼び止めるブライト様の声が聞こえてきたけれど、無視してお店を飛び出した。

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