第2話 ブライト様の来訪

 ある日の放課後。

 学園での一日を終えて帰り支度をしていると、クラスメイトのアベル様に声をかけられた。


「セシリア嬢、これからお茶しに行かないか? 西通りにできたカフェのケーキが美味しいって教えてもらったんだ」


 背中の中ほどまである少し癖のある金髪を後ろで一つに束ねたアベル様は、仰々しく自身の右手を胸に当てて、もう片方の手をこちらに差し出した。

 その姿はまるで王子様のようにキラキラして様になっていた。

 アベル・カーライン様。

 伯爵家の四男で見目も麗しく、気さくで女の子に優しい。王子様のような見た目も相まって、学園内外でも彼の人気は高い。婚約者がまだいないことも影響しているのかもしれない。

 アベル様ご自身は爵位を継ぐことはないけれど、カーライン家と繫がりを持ちたいと思っているお家は多いらしく、縁談が絶えないと聞いている。

 しかし当のアベル様に結婚する気はないそうで、まだ女遊びをしたい彼にとって、結婚したいと群がる女性は厄介なことこの上ない存在らしかった。

 とはいえ、ダンスの授業などでは男女でペアを組まなければいけないことも多々あるため、そのたびにアベル様争奪戦なるものが婚約者のいない女子生徒の間で繰り広げられていた。あわよくば授業を通じて仲良くなりたいというやつである。

 時を同じくして、伯爵家の令嬢として表立って婚約者のいないわたくしも、授業のたびに言い寄ってくる殿方をどうあしらったらいいものかと頭を悩ませていた。

 そんな似た境遇のわたくしたちが手を組むのは自然な流れだったのかもしれない。

 お互い言い寄られる心配のない相手というのはとても気が楽で、気づけばダンスの授業ではいつもアベル様と組むようになっていた。

 ただ一つ誤算だったのは、わたくしがブライト様以外の男の人に興味がないのに対して、アベル様は女の子なら誰にでも興味があるということだった。

 婚約者のいない女性であれば遊びに誘ってもいいと思っているのかもしれない彼は、最近では日頃ペアを組んでもらっているお礼と称して、やたらお茶に行かないかと誘ってくる。

 ブライト様という非公式な婚約者の存在をオープンにしていないわたくしは、アベル様からしたら婚約者のいない令嬢になるのだ。

 実際、わたくしとブライト様はまだ婚約関係にはない。

 子供の頃、「大きくなったらブライト様のお嫁さんになりたい」と駄々をこねたわたくしに、お父様が社交界デビューまでにわたくしの気持ちが変わらなかった時は結婚を考えてもいいと、妥協して口約束してくれたにすぎない。

 約束した当初、きっとお父様は学園に入れば自分と同じ年頃の男の人に惹かれるようになると思ったのだろう。けれどその思惑は外れ、わたくしの一番は未だにブライト様のままだった。ブライト様に比べたらどの方も子供っぽくて恋愛対象として見ることができなかったのだ。

 そして今に至るわけだけど、ブライト様とのことは口外しないというのが約束だった。

 それはそうですわよね。大きくなったらお嫁さんになりたいだなんて、子供の戯言だと思われても仕方ありませんもの。

 けれど、たかが口約束。されど口約束である。

 お父様は律儀な人なので、縁談が来た時は必ずわたくしに受けるかどうかの是非を確認してくれる。バートル家にとって都合のいい縁談であってもだ。

 つまり、口約束は継続中なわけで――だからこそ迂闊な行動は避けなければならなかった。

 アベル様は結婚するつもりがないからいいのでしょうけど、わたくしにはブライト様という心に決めた方がいるのだ。ブライト様に誤解されかねないことはしたくない。

 何度も断るのは気が引けるけれど、こればかりは仕方ないとアベル様に小さく頭を下げる。


「ごめんなさい、アベル様。前からお伝えしていると思うのですが、わたくし男性と二人きりでお出かけはしないと決めていますの」

「じゃあ、エルマー嬢とデニスが一緒ならいいんだな!?」


 断ったつもりなのに、アベル様はぱっと顔を輝かせると、わたくしの親友であるエルマー・リンドバーグ様とその婚約者であるデニス・ルニオン様を引き合いに出してきた。

 そうきましたか……。

 二人きりじゃなければと言ってしまった手前断りにくくなってしまった。今のは悪手でしたわねと思いながらも、今日のところは断る理由がもう一つあるので、今度はそちらを理由に誘いを断ることにする。


「エルマー様が一緒でしたらいいですけど……でも、今日は行けませんわ。これから大事なお客様がいらっしゃるの。寄り道しないで帰らないと……」

「そっか。じゃあ、日を改めるよ」


 アベル様はそれだけ言うと、「じゃあ、またね」と聞き分けよく引き下がってくれた。

 ほっと息をついたところで、横から袖を引っ張られる。


「ちょっとセシリア様、勝手に巻き込まないでくださる?」


 不満そうな声に顔を向けてみれば、そこには先ほどアベル様から名前の挙がったエルマー様が立っていた。

 淡い茶色の髪を縦に巻いたエルマー様は、緑色の目を半眼にしてジトリとした視線を送ってくる。

 どうやら今の会話を聞かれていたらしい。


「ごめんなさい。まさかエルマー様にまで飛び火するとは思わなくて……」


 巻き込んでしまって申し訳ないと謝罪すると、エルマー様はしょうがないと言わんばかりにため息をついた。


「まったく……あの女好きにも困ったものね。誰と一緒でも貴方とはいきませんって、きっぱり断ってしまえばよかったのに。あれじゃあ、また誘ってきましてよ?」

「ですわよね……」

「まぁ、一回行ったらアベル様の気も済むかもしれませんし、その時はつきあってさしあげますわ。なんなら今日これから愚痴につきあいましょうか?」


 いつでも言ってと、面倒見のいいエルマー様が申し出てくれる。

 なんだかんだ言いながらもいつも助けてくださるのよね。

 友人のありがたい申し出に感謝を伝えつつ、帰り支度のできた鞄を手に持つ。


「でも、今日は本当に用事がありますの。まっすぐ帰らないと……」

「ふふーん、さては大好きなおじさまのいらっしゃる日ね?」

「ど、どうしてわかりましたの!?」

「だってすごく嬉しそうな顔をしていますもの。貴女がこんな顔をしている時って、大体いつもおじさまがいらっしゃる日でしょ?」


 エルマー様がにんまりと笑って内緒話をするように声をひそめた。

 親友である彼女には、わたくしが年の離れたおじさまに片想いしていることを伝えてある。

 貴族でありながら幼馴染みであるデニス様と想いを通わせた上で婚約したエルマー様は、わたくしのことを無謀だと否定せずに応援してくれている。

 わたくしはにやけた顔のままで小さく頷くと、別れの挨拶もそこそこに教室を後にしたのだった。


 ***


 はやる気持ちを抑えながら帰宅したわたくしは、すでにブライト様がいらっしゃっていることを知って、その足でお父様の執務室に向かった。


「やぁ、セシリア。おかえり」


 ドアを開けると、来客用のソファーにお父様と向かい合って座っていたブライト様がこちらを振り返ってにこやかに手を振ってくれた。

 襟足の長い黒髪に縁どられた顔はいつ見ても三十七歳には見えない。

 一番にお出迎えできなかったことを残念に思いつつも、会えたことに嬉しさがこみ上げる。


「ブライト様、いらっしゃいませ! 今日は来てくださってありがとうございます」


 近くまで駆け寄ってから、はっとしてカーテシーをすると、ブライト様がソファーから立ち上がって苦笑した。


「そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。それより誕生日に間に合わなくてごめんね」


 十七歳の誕生日を二週間ほど過ぎてしまったことを謝罪されたけれど、こうして会いに来てくれたのが嬉しくて、ぶんぶんと首を左右に振ってみせる。


「そんな謝らないでください! むしろお忙しいのに来てくださっただけで十分嬉しいですわ!」


 国が運営する薬物研究所に勤めるブライト様はいつも忙しい生活を送っていると両親から聞かされている。

 今回も事前に誕生日までに来られないことを知らされていたから遅れたことに不満はない。

 むしろ忙しい中こうして時間を作って会いに来てくれるのが嬉しい。

 そりゃ、昔は誕生日当日に会いたいと駄々をこねて困らせてしまったこともあるけれど、そこは若気の至りというか、今となっては掘り起こしたくない記憶だ。

 ブライト様もその時のことを覚えているのか、明らかにほっとしたような顔をして花束を差し出してきた。


「十七歳の誕生日おめでとう、セシリア」

「ありがとうございます!」


 花束を受け取って、満面の笑顔でお花に視線を落とす。

 毎年同じ黄色とオレンジのガーベラとカスミソウが可愛らしい花束。

 幼い頃は嬉しいだけだったのに、花言葉を覚えてからというもの、贈られるお花がいつも同じなのは何か意味があるからではないかと勘繰るようになってしまった。

 ガーベラの花言葉は【希望】とか【前進】、カスミソウの花言葉は【無垢】【感謝】【幸福】だったはず。

 バラのように明確に【愛】をあらわす花言葉がない花束を贈ることの意味を考えかけ、そう決めつけるのは早すぎると否定する。

 手っ取り早くブライト様本人にこの花束にどういった意図があるのか聞いてみればいいのかもしれないけど、それを聞くのは無粋だと思ったし何より答えを聞くのが怖かった。

 だって、もし……もしもよ、いや、十中八九そうなんじゃないかと思っているのだけれど、わたくしのことは子供としてしか思ってないなんて言われたら目も当てらせんもの。

 時が来るまでうやむやにしておきたいと思う反面、子供としてしか思われていなさそうな状況を打破できないかと考える。

 ひとまずもらった花束を侍女に託して部屋に飾ってもらうことにしたわたくしは、お母様と弟のロベルトが待つサロンに向かいながら、前方を歩くお父様とブライト様に目を向けた。

 ふと後ろを振り返ったブライト様と目が合う。

 考えていることが見透かされてしまったのだろうかとドキドキしていると、ブライト様が「誕生日プレゼントは何がほしい?」と尋ねてきた。

 聞かれて瞬時に、これはチャンスだと思いつく。

 誕生日プレゼントを一緒に買いに行きたいと言えば、きっとブライト様は断れない。

 一緒にお出かけしてもう子供じゃないってことをアピールすれば、ブライト様のわたくしを見る目も変わるはず……! うん、この作戦でいきましょう。

 わたくし、絶対にブライト様から意識してもらえるような女性になってみせますわ!!


 こうして、わたくしはブライト様の中の子供のイメージを脱却すべく計画を練るのだった。

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