ときいろのひまわり

とm

第1話 侵入

 夏休み途中の八月六日。ある川に面した河川敷かせんじきでのこより祭りが、終盤を迎えたころ。


 やる事を終えたカメラを首に提げ、土手に腰を置くと、草の坂を照らして揺する賑やかな彩りに、陽葵ひまりと包まれる。


 その中で私は、やり切れない思いと、迫り来る切なさを受け入れる準備をしていた。


 今年も呆気なかったな。結局いい写真、一枚も撮れなかったし。

 来年は、それぞれ違う高校へ行くけど、今年みたいに二人で楽しめるかな。


 柳のような花火が上がり、辺りが歓声に囲まれた。

 次に、集合花のような花火がパラパラと咲きこぼれる。


 すると、ふと突然だけど自然に、すぐ隣から聴き馴染んだ声が零れてきた。


 ーー「もう、終わっちゃうね」


 しかし、それは普段より掠れていて、つい、ぐらんと心を揺らされる。

 そして、私はその反動で突き動かされるように、咄嗟に。 視線を彼女へと流しながら『来年もあるよ』と、呟いた。


 瞬間、私は硬直する。


 色とりどりの花火を閉じ込めたガラスドームのような、キラキラとしていて、けどどこか落ち着いた、柿色の前髪が掛かりそうな美しい眼。


 どこか寂しそうに、つり上がった優しげな口角。


 そこには点滅する色鮮やかな光にさらされされながら、うら悲しげな笑みを浮かべる陽葵の横顔があったーー


 ぱっ。ぱ、ぱ、ぱ。


 私の心臓が音を上げていく。


 そして、その胸の音を合図とするようなタイミングで周囲に立ちこめる、水に飛び込み耳を澄ませたかのような音の響き。


 ポートレートの効果が掛かったかのような視界に映る、見慣れた陽葵の横顔に、思わず息を呑んだ。


 っ……。


 人間、息を呑むような出来事に遭遇すると、思考をまともに巡らせられないのだろうか。


 私の脳は無音に呑み込まれた。


 しかし、それは刹那の出来事で、ハッと息を吸って、呼吸と思考を取り戻した頃には、もう周囲はいつも通りの音や動きを取り戻している。


 一体何が起こったんだろう。


 まるで、さっきの出来事など最初からなかったかのように、往来する人々とカラフルな音色。

 けれど、私の心は、不思議にもじわりと、ふやけていく。 先程の出来事が幻覚や気の所為では無いと証明するかのように。


 なんだろう。この、変な感覚ーー


「ん?」


 その時、私は反射的に視線を土手の端に生えた草へと逸らした。

 そして、なんとなく見つけたシロツメグサを縋るように見つめる。


 こちらを向いた陽葵は『どうかした?』と、続けるが、私の視線はシロツメクサを捉え続けた。

 きっと陽葵は、に首を傾けていることだろう。


 それにしても、さっきからこの歯が緩むようなふわっとした気持ちはなんだろう。

 妙に気恥ずかしくて、体温が上がっていくような……。それに鼓動も早く、煩くなっているような気もする。


 もしかして、変な魔法にでも掛かった? いやいや、普通に考えたら雰囲気にやられただけ……


 そこへ、んー? と喉を鳴らして「あ、もしかして四葉のクローバーでも見つけた?」と、私の後頭部に近づいてくる陽葵の気配。


 そして、陽葵の横顔が視界の端に現れる。


 りんご飴みたいな甘酸っぱい香りがフワりと鼻腔をくすぐる。 それほど近い訳では無いが、今にも陽葵の爽やかで柔らかそうな耳に、ぶつかってしまいそうな感覚に陥った。


 あー!!! お願いだから今は花火の方を向いててよーー!!!!!


 そこで、ふと、俯瞰的な思考が脳裏を過った。


 ……え、ちょっと待って! なんでこんなこと思うんだ私。いやおかしいおかしい。


 そして直後、その化学反応なのか、きゅーっと、更に熱さを増していく耳や頬。鼓動もさらに煩くなっていく。


 え、いやいや何考えてるんだろ私。 唐突にどうしたよ私。一体何があった。 というか何この感じ。


「無いなー。というか花火中になぜ四葉のクローバー?」


「ごめん。 急用思い出した! 帰る!」


 取り乱した心から生まれた防衛反応なのだろうか。顔を隠しながらバッと立つと、思い切って、この場からの脱出を図った。


 あまりに雑な場面の片付け方だったため、後ろから『え!? ちょっと待って! まだ花火終わってない』と声が聞こえたが、そのまま走り続けた。


 ーーいやいや何してるの私! というか何これ何これ!???

 怖い怖い怖い怖い。

 意味わかんないよ私! ほんと怖いって!!


 とりあえず帰って整理つけなきゃ!


 どういう訳か強まってく向かい風。

 夏夜の蒸し暑さを引き連れたその風は、私の髪を強引にたくし上げる。 どこか私の逃亡を邪魔しているようにも思えるその風は、更に強さを増していった。


 そして、土手の途中で何度か膝に手を落とし、肩をあがらせたが、橋や坂を乗り越えて何とか、帰路の細路まで走り着く。


 何この風、今日天気こんなだっけ。

 台風でも近付いてんのかな。


 その風は、家路の坂道に着く頃も弱まる様子を見せずに吹き続けている。つい私は下に転がる小石を、強めに蹴った。


 はぁ、何してんだ私。

 そう再び、フッと冷静になるも思い返すと鮮烈に蘇る、熱を帯びた鼓動。


 その火傷跡に触れたような鼓動の高鳴りに、つい私は、儚い轟音が小刻みにこだまする乾いた黒の絵の具へと咆哮を上げた。


 家に着くと、取り敢えずお風呂に駆け込んだ。身体を軽く洗うと湯船に浸かり、横にあったラバーダックを手に取る。


 湯船に入ると、不思議なことにも、この荒波のように荒れ乱れた心がたちまち凪いでいく。

 お湯が心を荒波ごと洗い流してくれてるのだろうか。

 とはいえ、あの不可解な感情はまだ治まらないが。

 この感情については、少し考察する必要がありそうだ。


 でもあれ……可愛かったな……。 撮れてたら、コンクールで金賞、取れてそう。


 ーー出るか。


 逆上のぼせる前に風呂を上がると、私はスマホ片手に寝室のベッドへと向かった。


 そして、ベッドに飛び込んだ所で重大なことに気付く。


 あー!!!! しまった!! 早く謝らないと!!!


 急にあの場から抜け出したまま、何の連絡も無しに二十三分掛けて家に帰ったあと、十分ほどの風呂を済ませていた。


 絶対怒ってる、というか絶対心配かけてる。


 冷や汗を背筋に滑らせながら恐る恐る、レインを開くと、陽葵から五件のチャットが届いていた。


 個人チャットを開くと案の定、困惑と悲しみとちょっとした怒りがチクチクと網膜を刺激する。


 慌てて「あー! ごめん! ほんとにごめん!!」

 と返信すると、「今年で最後かもしれないのに。なんか置いてけぼりくらったみたいで複雑。 これはちょっと許すまで時間かけるかも」


 と、激おこメッセージが飛んできた。


 今になって何で急に帰ったりしたんだろうと、自身を悔いる。

 何より、申し訳なさ過ぎて返す言葉が見つからない。


 すると、「とりあえず、今日は一旦おやすみ」

 と、チャットが来た。

 ヤバい……。

 陽葵は激怒すると、一旦会話を切り上げる癖がある。 このソワソワとした罪悪感。中一以来だ。


「ほんとごめんよ」

「 明日直接謝るから」

「おやすみ。」


 私はそう三チャット返して、ベッドに仰向けになると、部屋の明かりを常夜灯に切り替えた。


 まあ直接謝るとか、そういう問題じゃないんだけどなあ。

 ふと冷静になって気付いたが、今から訂正するにはあまりに気が重かったので、目を閉じた。


 カラフルなボウフラが辺りを浮遊した後、ぼんやりと今日の出来事を遡り始める。


 その光景は、殆どが祭り終盤からの出来事で、やり場のない複雑な思いを抱いた。

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