向かい合って改めて仙人の姿を眺めると、やはり仙人だった。髪の毛が異様に長く、やけにふさふさとしている。黒いマスクから覗く2つの目玉は大きくて、私の視線を器用に避けてぐりんぐりんと動く。和柄の作務衣から伸びる手足がフラミンゴみたいに細い。そして、当然といえば当然なのだが、首から下、足の甲に至るまで様々な絵や模様で埋め尽くされている。とてもカラフル。目の下や頬にも何箇所か黒い模様が見えた。

 耳なし芳一。

 幼い頃祖父が、飽きるほど聴かせてくれた童話を思い出す。

 身近で見ると、ぎょっとするのと壮観だと思う気持ちとがないまぜになる。

 目線をずらすと、真っ赤な艶々のテーブルがあった。キャスター付きで、二段目からは引き出しも備え付けてある。台の上には銀色のトレーや絵の具っぽい液体の入ったカップ、年季の入った小型の精密機械らしきものたち、がきっちりと揃えて並べられていた。どの道具も古そうだけど、ひと目見て手入れが行き届いているのがわかる。

 まじまじと感心して見つめていると、「で、古庄さんはどなたから紹介を受けられたんでしょうか」と引き戻された。やっぱり舌足らずだ。声が篭っていて聞き取りづらいが、おかげで得体の知れなさは緩和されている。

「はい、いとしゅ、いとうさんがオススメしてくれまして」

「まあ!伊藤さんですか!僕大好きなんですよ、伊藤さん!かっこいいですよね」

 急に興奮して、ぱん、と女の子みたいに両手を叩いて顔を綻ばせた。目が一瞬だけ合った。

「伊藤さんはギターを弾かれるんですよ、僕も昔バンドをやっていたので話が盛り上がりまして」

「もしかしてローリングストーンズお好きなんですか」

 彼の背後に大きなベロマークのポスターが貼ってあるのに気付き、スピーカーを指差しながら尋ねた。よく聴いてみると流れているのはギミーシェルターだった。まさに避難所に逃げ込んできたようなものだ。笑える。

 仙人はまたもや、にかっと笑って「ストーンズとかお聴きになります?僕大ファンです、ワールドツアーにも何度も足を運びました」と興奮している。私はパンクファッションは好きだけど、ピストルズから入ってしまったものだからロックミュージックに関しては少し及腰だ。意味が一から十まで解読できないと不安になってしまう。全てにおいて無駄に神経質なんだ。

「ええ、、、父が好きだったもので」

「まあ、お父さまおいくつぐらいだろう。ストーンズで育った世代でしょうね」

「はい、昨年還暦を迎えました、父はTHE KISSとかRCも好きみたいです」

「僕より少しお兄さんですね。わあ、なんか嬉しいです!」そう言って、またぱんっと手を叩いた。本当に嬉しそうだ。チンパンジーが喜んでいるみたいで愛らしい。私が驚いて目を丸くすると、

「話が逸れましたね、今日はどれにしましょうか」

 我に帰ったように職人の顔になり、手書きのプリント用紙を何枚か見せてくれた。さすが人の肌に絵を描く専門家。フリーハンドだが、プロのイラストレーターのような出来栄えだ。

「この髑髏と薔薇が合体したの、すごく可愛いです。あと薬指の側面にも単語を彫って欲しいんです。このフォントで、」携帯を見せようとすると、

「いけませんいけません。古庄さんファーストタトゥーですよね、だったら見えるところはいけません。薔薇髑髏は二の腕ということだったので良いですが、肘から下はまだやめたほうが良いですよ」

煙草を持った左手を懸命に振るので、灰がはらはらと舞い落ちた。「あっ、いけないっ」反対の手で太腿に落ちた灰を必死に振り払っている。

「え、そうですか」まさか止められるとは思ってなかったので驚いた。自分なりに過去との決別というテーマを持っていたのに。

「ええ、そうです。一旦持ち帰りましょう」仙人然とした様子でかくかくと頷いている。

「でも今日はその気で来たんです」

「でも今日のところは勘弁してください。お仕事にも支障が出ますから」

「え、仕事?」

 ああ、事務員として働いていることになってるのだった。どうやら指のAmour(愛)は難しそうだ。韓国人の女の子がいれていて可愛かったのにな。チャミスルを持った指先から覗く、コケティッシュさが良かった。

「分かりました、今日のところは引き下がります」

「はい、それが良いです。では、スタンプを押しましょう」

 30度近くはありそうな室温とはいえ、初対面の男性の前で下着姿になるのは少し勇気が要り、鳥肌が立つ。鼓動が早くなる。まずい。アルコールが切れてきたようだ。指先の震えに気付かれないようぎゅっと拳を握った。

 そんな私にお構いなく、仙人は無表情にアメリカで良く見た制汗剤を取り出した。何をするんだろう。じっと見つめていると、「はい、失礼します」と慣れた手つきで、スピードスティックと書かれたそれを私の左腕に塗りたくった。海外製独特のキャンディみたいな匂いが漂う。

「ではこの位置で良いですね」姿見の前に立たされ、図柄がプリントされたトレース紙を貼ってもらう。位置を確認すると、そぉーっと剥がされた。制汗スティックは糊の役目を任っていたのだ。

「では、インクが乾くまで少し待ちましょう」

 見下ろすと二の腕に紫色のサインペンのようなインクがプリント通りにべったりとついていた。ツンツンと突こうとすると、「付いたらとれませんよ!」と鋭い声色で注意された。彼がまたわかばを手に取ったので、私は持ってきたペットボトルをさっと取り出した。パッと見は烏龍茶にしか見えないウイスキーの原液を急いで二口流し込む。喉がカッと熱くなり、軽く咽せた。鼻にアルコールが逆流してツンとした痛みと共に涙が滲む。ゴホゴホ咳き込むと「大丈夫ですか!」とまた鋭い声が飛んできたので、必死で首肯しパイプ椅子に戻った。

 5分程経っただろうか、「そろそろ良いでしょう」という声に従い寝台に横わった。これまた年季の入った万年床のようなバスタオルの上に仰向けになる。意外にも黄緑色のバスタオルからは柔軟剤の香りがした。

 ピッという音とともに眩しかった白灯が消え、代わりにスポットライトが照らされた。ジジッ、ジーと、マシンの唸り声が近づいてきて全身に力が篭った。反射的に目を瞑る。

 何かが肌の上に触れた。ちくっとした感覚が走った。そのままズズズ、と針が肌の上を移動した。

「はい、どうです?」

 40%のアルコールを摂取したおかげか、想像していたほどの痛みはない。

「大丈夫、そうです」

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