第21話 犯人《前》⑥



 グッと握られた拳の力が、言葉と共に強くなる。


「お嬢…」


 凜々花と沢山の長い時間を共にしているが、こんなに怒っている姿は見た事がない。自分の為に、いや、自分のせいでこんな表情をさせてしまっているのだと思うと、男――康の胸が酷く傷んだ。


「うぇっ!?脅し!?教頭先生が!?」


 「マジかよ!」と素っ頓狂な声を出す尾沢に、松井が鬼の形相で声のボリュームを下げるよう促す。


「尾沢先生っ!他のクラスに聞こえて騒ぎになったらどうするんですかっ!」

「す、すみません…」


 咄嗟に両手で口を覆いペコペコと頭を下げる。

 松井は鼻から大きな息を吐くと、キリッと顔を引き締めた。


「手紙を笹野さんが作ったって事は…この写真も、あなたが撮ったの?」


 悲しみと怒りが滲んだ表情で布団を見る凜々花に、問いかける。松井の真剣な瞳を見つめ返した凜々花は、こくりと頷いた。


「…はい。歩いていたら偶然、康と教頭先生が喫茶店にいるのを見かけて…。外から見ても康の様子が変だと分かったので、何かおかしいなと思って撮りました」

「二枚目の写真も?」

「はい。お店を出た教頭先生が挙動不審だったので、後を付けて撮りました。…まさか封筒の中からお金が出てくると思わなくて…家に帰ってから、康を問い詰めたんです。『教頭先生と何を話してたの?何でお金を渡したの?』って」

「…そうしたら?」


 「何て言ってたの?」と松井は慎重に尋ねる。皆が耳を澄ます中、凜々花は小さく呼吸を整えると、意を決したように口を開いた。


「…『笹野さんが日本でも有名な、極道一家の娘だという事が校内でバレ初めている…このままだと学園の評判が悪くなるから、退学を迫られるはずだ…。口止めを協力して欲しかったら金を寄越せ』…って、言われた…だから渡したと、言っていました」


 震えそうになる声を抑え、はっきりと言い切る。

 怒りを押し殺す凜々花に、康は「お嬢…」と眉を下げて呟き、尾沢は「最低だな…」と吐き捨てる。


「極道の家…だから『お嬢』って呼ばれてたのね」


 呆気にとられた田原は、手を口に当て「はぁ~」と頷く。

 入口に佇むゆめも、垂れ目をまん丸にして凜々花を凝視している。


「……組長が、極道一家の娘…」


 確かめるように呟く顔には、当惑の色が見て取れる。


 あぁ、だからゆめにはバレたくなかったんだ。


 極道漫画でさえ「怖い」と言って嫌うのに、自分が極道一家の生まれだと知ったら、きっと友達でいてくれなくなってしまう。もう「組長」と呼んで笑ってくれることもなくなってしまう。

 ゆめにだけはバレたくなかったなぁ…。

 と沈んでいく心に、「嘘を重ねるよりマシだよ」と、何度も自分で言い聞かせる。


「そっか…笹野さんって、“泣く子も黙る狂犬集団、笹野組”の“笹野”だったのか…」


 ふむ…と口に手を当てる瀬波の顔が、心なしかワクワクしているように見える。きっと、“松極”の世界を身近に感じて喜んでいるのだろう。

 瀬波先生らしいな、と少し表情を和らげると、目が合った瀬波は申し訳なさそうに背を丸めた。


「ご、ごめんね…大変な目にあったのにこんな顔して」

「いえ、“松極”を思い出したんですよね」

「うん…何でもすぐ漫画に結び付けちゃって…ごめんね。…そっ、そう言えば笹野さん、お父さんは建設会社に勤めてるって言ってたけど、違ったんだね」


 慌てて切り出す瀬波に、凜々花は小さく頷く。


「はい…。実際、表向きの家業は建築会社なので、嘘じゃないし、入学願書にもそう書いたんですけど…心のどこかで、ずっと皆に嘘をついてる気がしてました」


 ふ、と力んでいた拳が緩む。


「そもそも私、本当は進学する高校が他に決まっていたんです。小さい頃、他の組の人に攫われかけた事があって…だから、『ウチのシマにある、安全な学校を受験しなさい』って、親にずっと言われてきました」


 ぽつりと溢すように語り始めた凜々花に、大人たちは耳を傾ける。


「私もその方が良いと思うけど、この学校が県内で一番柔道が強いって知ってからは、絶対にここに通いたいと思うようになっちゃって…それで、勇気を出してお願いしたんです。でも、当然許してもらえなくて…それでも何回も何回もお願いしたら、『三つの条件を守るなら…』って言って、許してもらえたんです」


 「三つ?」と瀬浪が聞き返す。


「はい。“極道とは全く関係のない母方の祖父母と一緒に、学園の近くで暮らすこと” “決して笹野組の娘だとバレないように振る舞うこと”“もしバレたら、すぐに退学すること”。この三つを絶対に守るよう言われました」

 

 「何か康まで一緒に着いてきたけど…」と、凜々花は微かに笑う。

 「俺は死ぬまでずっとお嬢の側でお嬢を守るんだ~!」と、引っ越しが決まった凜々花に泣きついていた姿が、今でも鮮明に思い浮かぶ。


「だから絶対バレないように、普通で居ようと誓って入学したんです。…でも、ゆめが…みんなが優しいから、毎日楽しくて…いつの間にか、守らなきゃいけない三つの約束を忘れちゃってた」


 “笹野組の娘”。幼い頃からそう呼ばれ、後ろ指を刺されてきた凜々花には、友達なんて1人も居なかった。だから、何の躊躇いもなく話しかけてくれるゆめや愛美の存在が、とても新鮮で輝いて見えた。

 友達がいると、小さな出来事すら何倍も楽しく感じられる。

 悲しい時は励まし合える。

 そんな毎日が幸せで、あまりにも当たり前のように続くから、いつの間にか錯覚してしまっていた。自分も普通の子になれるんじゃないかと。


「…ガラの悪い口調が出ちゃったり、極道漫画が大好きなのを隠さなかったり、ゆめに『組長』って呼ばれて、喜んじゃったり。…私の気が緩んだせいで、私が笹野組の娘なんじゃないかっていう噂が出てしまった…そのせいで、知らない内に康が脅されていた」


 グッと喉の奥を詰まらせた凜々花が、康の方を見る。そして両手を体の前に持ってくると、深く頭を下げた。

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