第10話:密談(エマ視点)
神歴五六九年睦月六日:ロイセン王国アバコーン王国大使館・エマ視点
テラスの下では信じられない光景が繰り広げられています。
王城での動きから、超一流の戦士だと分かっていましたが、その理解を遥かに超える強さを披露してくださっています。
「アバコーン王国の英雄騎士様とはこれほど強いのですね」
「いえ、私も過去に英雄騎士の称号を得られた者の戦いを見たことがありますが、流石にこれほど桁外れた強さではありませんでした。
もっと人間の範疇に入る強さでした」
「英雄騎士様は人間の範疇に入らない、桁外れの強さだと言うのですか?」
「はい、北竜山脈と南竜森林の奥深くで狩りをしていると言われていましたが、大げさに言っているだけで大したことはないだろうと思っていました。
ですがこの強さを目の当たりにすると、本当に竜を狩っているのではないかと思ってしまいます」
「ジョルジャは以前、竜は人間の狩れるような容易い存在ではないと言っていましたが、その考えを改めるのですか?」
「はい、実際に狩れるかどうかは別にして、竜を狩れるかもしれないと思ってしまうくらい、とんでもない強さです」
ピュー!
「まあ、馬を自由自在に操っているのですか?!
あのような能力は聞いた事もありません。
ジョルジャはあのような能力を知っていますか?」
「一頭や二頭の動物を支配下に置く従魔術は実際に見たことがあります。
伝説では、十数頭の強大な従魔を支配下に置いたテイマーが居たそうです。
ですが、一万頭もの軍馬を魅了する術は見たことも聞いた事もありません!」
「軍馬だけでなく、魔獣まで操れるのなら、途轍もない力ですね」
「はい、どの程度の相手に通じるのかにもよりますが、羊や山羊、猪や野牛の群れを操れるのなら、一国の軍隊を相手にしても戦えるでしょう」
「正に一騎当千の戦士ですね。
そんな騎士を配下にされている英雄騎士様に剣を捧げて頂けるなんて、私は幸運だったのですね」
「はい、信じられないほどの幸運だったと思います。
お嬢様なら独力で王城から逃げ出せたとは思いますが、玉のような肌が傷つく事だけは避けられなかったと思います」
「それは買い被り過ぎよ。
王子とグダニスク公爵を殺すことはできても、王城からは逃げ出せなかったわ」
「……お嬢様は冷静さを失っておられたのですね。
私達が教えた事を覚えてくださっていたなら、英雄騎士殿がやられていたように、王子と公爵を人質に取って逃げる方法を取るはずですよ」
「そうね、あの時は冷静な判断ができていなかったわ。
お母様の仇を討つ事ばかり考えていて、一旦逃げて再戦を挑む事は全く考えていなかったわ」
「初めての人間相手の実戦、初陣だから仕方がないのですが、ご自身の御命がかかっているのですから、本来の力を発揮していただきたかったです」
「どれほど鍛錬を重ねようと、実戦経験がないと、殺し合いの場では冷静さを失ってしまうのですね。
やはり実戦を経験しておいた方が良いようですね」
「それは私も考えましたが、非常時のためとはいえ、お嬢様に人殺しをさせる訳にはいきませんし、困りました。
そもそも、お嬢様の護衛が誰一人いない状態になるなんて、考えもしていませんでした」
「私達を邪魔だと考える者達が総力を挙げてきたら、想像もつかない卑怯下劣な方法を考えつくのだと、今回の件で思い知らされました。
人殺しの経験を練習する気にはなりませんが、人の代わりに危険な魔獣を狩る事で、実戦経験を積むことはできませんか?
英雄騎士様は、北竜山脈や南竜森林に入る事で、あれほどの実力を身につけられたのでしょう?」
「今回の件が落ち着きましたら、ウラッハ辺境伯閣下にお頼みして、北竜山脈か南竜森林で実戦経験を積む許可を頂きましょう」
「やはりお爺様の所に逃げなければいけませんか?
このままここに居座って、お母様の行方を捜す訳にはいきませんか?」
「私も心からアンジェリカ様を探したいと思っております。
ですが、そのためにお嬢様を危険に晒す訳にはいきません。
英雄騎士様が居られるとはいえ、アバコーン王国大使館は敵地でございます。
同じ大使館なら、ゴート皇国大使館に逃げ込むべきです」
「英雄騎士様は居を移す事を許してくださるでしょうか?」
「英雄騎士様が本当に私利私欲なくお嬢様の護衛騎士になってくださっているのなら、安全を優先して許してくださると思います。
ただ、英雄騎士様のアバコーン王国内での評判を落とすことは間違いありません」
「アバコーン王国の英雄騎士であるにもかかわらず、ゴート皇国の利益になるような事をしたと非難されると言う事ですか?」
「はい、アバコーン王国からすれば、お嬢様は格好の人質でございます。
ゴート皇国と戦う事になった場合、最も手を焼くのは、皇国最強と言われているウラッハ辺境伯軍ですから」
「英雄騎士様の評判を落とさないように、ここから逃げ出す方法はありませんか?
逃げ込む先がゴート皇国大使館でなくても良いのではありませんか?
ここよりも安全な場所なら、王都外の宿でも野宿でも良いのではありませんか?」
「今の状況を考えると、英雄騎士様は人手不足と思われます」
「一万もの人質を確保したからですか?」
「はい、その通りでございます。
幾ら無双の強さを誇る英雄騎士様でも、一万人もの人質の世話まではできません。
まして魅了したとはいえ野生ではない軍馬迄一万頭もいるのです。
数百人の使用人が必要になります」
「その使用人を私達が集めようと言うのですか?
お爺様の密偵と連絡をつける心算ですか?」
「はい、先ほど見ていた様子では、ここの大使は積極的に英雄騎士様を助ける気がないようでございます。
ならばゴート皇国としてウラッハ辺境伯家が手助けすれば、英雄騎士様をこちらに寝返らせる事も不可能ではありません」
「アバコーン王国の建国王が使っていたほどの称号を与えられるという、途轍もない栄誉を受けたのですよね?
それを裏切ると言うのは騎士の恥になるのではありませんか」
「お嬢様、先ほどの会話を思い出してください。
英雄騎士様は、卑怯者や憶病者と言われても平気と申されていました。
あの方は騎士というよりも冒険者なのです。
虚飾よりも勝利を、生き残る事を優先する実戦主義者です。
称号を与えた国の大使が無視するような英雄騎士という虚名よりも、領地や金銀財宝を優先すると思われます」
「……その話が本当なら、少し残念ですね。
生れて初めてジョルジャ以外の、本当の騎士球に会えたと思ったのですが……
ですが、それが本当なら、この国に残ってお母様を探すことができそうですね」
「お嬢様、私の話を聞いておられなかったのですか?!」
「お爺様の密偵が、一万人もの人質を連れてこの国を出ていくなら、私達も一緒に逃げ出したと思ってくるはずです。
何なら途中まで一緒に逃げるふりをしてもいいでしょう。
ですが、私達がこの国から出ていったと老王達が思ってくれたら、この国に留まれるはずです。
私は少しでも早くお母様がを探し出したいのです!
そのほんの少しの違いで、お母様の命が助かるかもしれないのですよ!」
「私達が残ってアンジェリカ様をお探ししますので、お嬢様は辺境伯閣下の所まで逃げていただけませんか?」
「ジョルジャ達の護衛がない状態で逃げる方がよほど危険でしょう?」
「お嬢様を辺境伯領までお送り届けてから、こちらに戻ってアンジェリカ様をお探しすると申し上げても、納得してくださらないのでしょうね」
「分かっているのなら諦めて頂戴。
私は長年仕えてくれている家臣達にお転婆と言われるほどですもの。
お母様が生きているかもしれないのに、逃げ出す事などできないわ」
「分かりました。
英雄騎士様と話し合った上でしか決められませんが、できるだけ安全を優先する形で王都に残る事を考えさせていただきます。
少々強引な方法になるかもしれませんが、英雄騎士様にゴート皇国の大使館に入っていただきましょう」
「命の恩人に無理無体な事を頼むのは申し訳ありませんが、私達には英雄騎士様を思いやる余裕がありません。
お爺様頼みになってしまいますが、英雄騎士様が失うであろう地位と名誉はできる限り補填させていただきましょう。
何ならお母様の化粧領を全てお譲するようにお爺様を説得します」
「では、私は辺境伯閣下の密偵と連絡を取ってまいります」
「無理をしてはいけませよ」
「大丈夫でございます。
この国に派遣されている密偵は全て歴戦の手練れでございます。
もう既にいつでも連絡ができるようの大使館近くに来ているはずです」
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