荒鷲帰還 3 *

 デーモスの儀式、とは、古代アテナイのいわば成人式のようなものである。


 アテナイでは男子が16歳になると、まずフラトリア(血族集団)の儀式で、フラトリア成員として登録される。


 18歳になるとデーモス(村や町を基にした行政単位)の儀式により、アテナイ市民として登録されるのである。


 こうしてアテナイ市民となった18歳の若者らは、20歳になるまでの二年の間、見習い兵エフォボスとして軍隊に入り軍事訓練を受ける。


 民主制国家アテナイでは、軍事国家スパルタのように、一般市民が一生を軍人として過ごすことはなかった。


 しかし、国家の必要に応じて召集がかかれば、兵役につく義務が課せられていたので、この軍事訓練は最低限、必要だった。


 加えて、31年前、ペロポネソス戦争でスパルタに大敗してからは、『非常時に緊急召集される一般市民兵と、奴隷と、傭兵の寄せ集め軍隊』のもろさ、への反省から軍制の改革が行われ、常備軍も設置されるようになっていた。


 常備軍は現在、テオドリアス・アルクメオンを長とする氏族組織によって、密かにしっかりと統率されている。


 そのテオドリアス・アルクメオンの、ひとり息子。


 次代の氏族組織長として定められているのが、少し前に18歳になった、ティリオン・アルクメオンだった。


 フレイウスは言った。


「まあ、実際に衣装を選んでいるのは、ティリオンさまではなくてゼウクシスだがな。


 ティリオンさまにまつわる行事の衣装係に任命されて、大はりきりであれこれ衣装をお着せしている。


 あまり時間がかかるので、ちょっと文句を言ったら、怒って店から追い出されてしまった。


 それでここまで足をのばして、来てみたんだ」


 するとパトロクロスの太い眉尻が下がり、情けなさそうな八の字になった。


「じゃあお前たちは俺を出迎えにきてくれたんじゃなくて、ゼウクシスに店から追い出されて、待ち時間の暇つぶしにしょうがなしに港に来たってことか?」


「いやいや、お前が今日、港に着くだろうことは知っていたから、もちろん出迎えるつもりはあったぞ」


 と、フレイウス。


 だがパトロクロスは下唇を突き出し、ブツブツと愚痴り始めた。


「そうだ、だいたいお前がわざわざ出迎えにきてくれるなんて、どうもおかしいと思ったんだ。


 お前は昔っから、冷たいヤツだった。


 俺が零点れいてんをとって、軍学舎で居残いのこり勉強させられても、遊びに行くのを待っててくれたことはないし、頭がいいくせに、宿題をかわりにやってくれたこともない」


 子供の頃の話まで持ち出して、ぼやきだす同い年のパトロクロスに、フレイウスがあきれたように言う。


居残いのこり勉強をしているのを私が待っていても意味がないし、私がかわりに宿題をしてやったら、お前はもっと零点れいてんをとるようになるじゃないか」


 この至極しごく真っ当な反論にも、パトロクロスはますますむきになり、顔の前で人差し指を振りたてた。


「俺が言いたいのは、そんなふうにあっさり割り切れるお前が冷たい、ってことだ。  


 お前の冷たいのはそれだけじゃないぞ。


 オレステス父上の部屋を一緒に探検しにいって、大壷を割ってみつかったときも、隣にいると思ってたらいつの間にか消えてやがって、俺だけがこっぴどく叱られたんだ。


 蜂蜜はちみつとりに失敗して、蜂の大群に追っかけられたときも、ひとりでさっさと逃げやがって、俺だけがボコボコに刺されて、三日間熱を出して唸るハメになった。


 あの性悪大羊しょうわるおおひつじに石をぶつけてやった時も、俺が尻につのを食らってるってのに、おまえは俺を見捨てて逃げていった」


 フレイウスは胸のあたりまで片手を上げ、抑えるように振った。


「まてまて。


 父上の部屋を見るだけだ、物には触れるな、と注意しておいたのに、あちこちべたべたさわりまくって、父上が大事にしていた大壷を倒してしまったのは、お前だぞ。


 その上、大壷を倒して割ったことであわてふためいて、棚にぶつかり、棚とその中の物を壊し、さらに焦ってあちこちぶつかりまくって、部屋中滅茶苦茶にしてしまったのも、全部お前だろうが。


 蜂の大群の時は、私は池に飛び込んで避けただけだ。


 お前も、大声をあげてむやみに走って逃げたりせずに、冷静になって池に飛び込めば、あんなに刺されたりはしなかったと思うぞ。


 大羊おおひつじの時は、あれは助けを呼びに行ったのであって、見捨てたわけでは……」


 フレイウスは言葉を切った。


 おしおきから復活した双子が、こちらに歩いてくるのに気づいたからである。


 部下でもある義弟おとうとたちの前で、いかにも彼らが興味津々きょうみしんしんに聞き耳を立てそうな昔話をして、今さらもめるのは避けるべきだった。


 アテナイの氷の剣士、フレイウスといえど、幼い頃にやらかした失敗やいたずら、恥ずかしく思っている黒歴史はあったからだ。



――――――――――――――――*



人物紹介(学問と芸術の盛んなアテナイポリスの人たち)


● ティリオン・アルクメオン(18歳)……アテナイの大貴族、アルクメオン家の嫡子。将軍長アテナイ・ストラデゴスの息子。美貌の青年。


● フレイウス(24歳)……アテナイ陸軍将校。ティリオンの第一の近臣。『アテナイの氷の剣士』と異名をとる剣の達人。


● ギルフィとアルヴィ(18歳)……双子でフレイウスの部下。アテナイ軍士官。


● パトロクロス(24歳)……アテナイ海軍将校。軍艦アタランタ号の艦長。自称『地中海の荒鷲』


● オレステス将軍(50歳)……『アテナイの論理頭脳』と密かに呼ばれている、頭脳明晰な将軍。フレイウス、パトロクロス、双子、などの養父。


【※タイトルの横に*のあるのは、人物紹介、年表、歴史その他、諸解説が文末にあるしるしです。作者のメンテナンス用ですので、あまりお気になさらないでください。m(__)m】

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