拉致

 目を開けた時、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。でもすぐに見知らぬ部屋のソファーに横たわっていることに気付いた。


 すべてが夢だっと思いたかったけど、目に飛び込んできた景色がこれは夢ではないと告げていた。


 身体はだるく、まだ頭もぼんやりしているが縛られているわけではなかった。


 目の前に扉はあるが窓は一つもなく、白い壁に囲まれたその部屋は言うなれば実験室のような部屋だった。


 教室くらいの大きさの部屋の隅に金属製の机があった。そこに体格のいい男がひとりどっかりとふんぞり返って座っている。


 その向かいに細身の男が座っているが、ちょうど背を向けているので男の顔は見えない。


 ぐるりと見渡しても、この部屋にいるのは自分を含めても三人しかいないようだった。


 倭斗くんはいない。


 意識を失う前に見た倭斗くんの顔が頭から離れない。

 あんなに慌てた倭斗くんを見たのは初めてだ。


 大丈夫だっただろうか。


 倭斗くんがものすごく強いことは分かったけど、多勢に無勢。いくなんでも倭斗くんひとりでは分が悪すぎる。


 華さんのことも心配だ。


 颯太くんがついているとはいえ、もしもあの人数で来られれば無事ではすまない。


 けれど、今の自分には三人の無事を祈るしかないできない。それが情けなく悔しい。


 ふんぞり返って座っていた男が目覚めた私に気付き、向かいの男に目配せをした。


 くるりとこちらを向いた男の顔を見て、思わず息を呑んだ。


 根本だ。


 何故、根本がこんなことをしでかしたかはわからなかったけど、この状況の元凶が根本だという事だけはわかった。


 ゆっくりと立ち上がると、根本は口元に笑みを浮かべこちらに近づいてきた。


「幾分早く目が覚めたようだな、まあいい、準備はできている」


 ありったけの憎悪を込めて、根本を睨みつけた。


「そんな目つきで睨んだところで、この状況は何も変わらないよ」


 そんなこと言われなくても分かっている。

 けれど、これがせめてもの抵抗なのだ。


「卑怯者!」


 これまた込められるだけの憎悪を込めて、根本に向かって吐き捨てた。


 パチンと渇いた音が響いた。


 一瞬何が起こったのか分からなかったけど、左の頬に熱を帯びた痛みを覚え、叩かれたのだと気付いた。


 それでもひるまずに根本を睨みつけた。


「君は自分が置かれている状況を分かっているのかい? まったく最近の高校生は口のきき方を知らないようだね」


 はなから根本の事など教師と認めてなかったけど、この状況下でさらに根本に対する配慮はなくなった。


「桐谷倭斗、彼はどこ?」


「彼のことが心配かね?」


 心配に決まっている。けれど、それを表に出すほど素直じゃない。

 フンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。


「まあ、いいだろう。彼は私の仲間をずいぶん傷つけてくれたからねぇ。私は止めたんだが連中の気が収まらなくてね。ほどほどにしてくれていればいいんだが……」


 倭斗くんは無事だ。無事に決まっている。


 そう自分に何度も言い聞かせる。

 気を緩めれば泣いてしまいそうになるのを必死に堪える。


 こんな男に決して自分の弱みを見せまいと、必死に気丈にふるまう。


「このイベント自体がウソなの?」


 何を今さらとでも言いたげに、根本があざ笑う。


「君をおびき出すための罠さ。まんまと引っかかってくれて助かったよ。川上華子主宰じゃないだろって文句を言いに来た客には驚いたが、まあ、君をこうやっておびき寄せられたのだから良しとしよう」


 文句を言いに来た客というのはきっと華さんの事だろう。今の言いようでは華さんには危害は加えていないようだ。


 そのことにホッと胸をなでおろす。


「華さんと颯太くんは無事なのね」


 ひとり呟いた言葉を根本が拾った。


「颯太? ああ、霧谷颯太か、どうりでどこかで見た顔だと思った。彼と一緒に居たあのすこぶる美人は君の知り合いだったのか。ものすごい勢いで怒鳴り込んできた時は驚いたが、丁重に謝罪をしたらおとなしく帰っていったよ。君の知り合いだと知っていたら引き止めておけばよかった」


 根本の言葉を一片たりとも聞き逃すまいと、注意深く根本をねめつけていた。


 この言葉には嘘はなさそうだ。


 華さんと颯太くんは根本につかまっていない事にホッと息をつく。


「なんで私ひとりを捕まえるだけでこんなことをしたの? 桐谷倭斗まで巻き込んで」


 自分で発した言葉にズキンと胸が痛む。


 どうか……どうか無事でいて。


 今の私には祈ることしかできない。

 それが悔しくてギュッと唇を噛み締めた。


 そんな私の心情など知る由もない根本が、能天気に真相を明かす。


「君にはそれだけの価値があるからさ。川上華子君」


 ん? 川上華子……さん?


 あたりを見渡した。


 最初に確認した通り、ここには私と根本、そしてイスに座っている男の三人しかいない。


 それなのに、根本は確実に『川上華子』に話しかけている。


 もしかして、あの男が『川上華子』なのか?


 んなバカなッ!


 自分で思っていながら、速攻で否定する。

 こんなやつが川上華子さんのわけがない。


 じゃあ、誰? どこにいる?


 あたりをキョロキョロしていると、根本が失笑する。


「とぼけても無駄だよ。君が川上華子だってことはわかっているんだ」


 根本は紛れもなく私を見つめてそう断言した。


「は?」


 場に似合わず、私の口から調子はずれの声が出た。


「誰が、川上華子さんだって?」


「君だよ、君! 奥村乙羽君。どちらが本当の名前かまでは知らないが、君がかの有名な歴史研究家の川上華子だよ。モデル並みのスタイルととびきりの美女っていうのは、ずいぶんと脚色された噂のようだが、君が川上華子だという証拠はちゃんとある」


 何気にディスられたような気がするけど、それはさておき、私が川上華子さんだという証拠とは一体なんだろう。


「証拠?」


 首をひねると、根本はフンと鼻をならした。


「今更とぼける必要もないだろう。結城紬で作られた人形を持っていたのが何よりの証拠だよ」


 ここでようやく話が見えてきた。

 根本は、華からもらった結城紬の人形を持っていたことで、私のことを川上華子さんだと勘違いしたらしい。


 尊敬する川上華子さんに間違われたのは光栄だけど、でもそれはこんな状況でなければの話。


  根本の話が本当だとして、結城紬の人形を持っている人が川上華子さんなのだとしたら、本物の川上華子さんは倭斗くんの姉である『森野華子』さんという事になる。


『華子』という名前と歴史が好きだという事を考えれば、華さんこそが川上華子さんだろう。人並外れたスタイルの良さと、とびきりの美人という噂ともガッチリはまる。


 けれど、そのことを根本に教えてやる義理はない。というよりも、教えたくもない。


 それはどうあれ、結城紬の人形を持っていたからといって、何故それが川上華子さんと勘違いされる原因になるのだろうか。


 黙り込む私に、何を勘違いしたのか根本は聞いてもいないのに、その理由をベラベラとしゃべる。


「ある女性研究者が結城晴朝の和歌を解読したという話は、トレジャーハンターたちの間ではもっぱらの噂だよ。これまでだれ一人として解けなかった和歌を解いたとなれば相当の有能者だ。しかもそれが女性とくればおのずと誰かは答えが出る」


 確かに、有能な女性研究者といって思い当たるのはひとりしかいない。


 それに川上華子さんが結城晴朝の和歌を解読したという噂は、一介の歴史好きである私ですら聞いたことのある噂だ。


「しかし、川上華子の素性を知る者は誰もいない。探そうにも手掛かりがないのだから探しようもないのだが、そんな折に川上華子が結城家の子孫から結城紬で作られた晴朝の人形を貰い受けたという情報を得た。そしてそれを手にした人が目の前に現れた」


 根本は爬虫類を思わせるような、ねっとりとした視線を私に向けた。


「それが私ってわけね。でも本当に謎が解けたとして埋蔵金を見つけても、自分のものにはならないでしょ」


 授業で根本自身が生徒たちの前でそう断言したのは記憶に新しい。


「それを公にしなければいいだけの話ですよ。君のようにね」


「川上華子さんはそんなことはしない!」


 それは断じてないと言い切れる。


 実際に会ったこともないし、どんな人物なのかも知らない。実際に存在する人なのかさえもわからないけど、尊敬してやまない川上華子さんがそんな人物であるはずがない。もし華さんが川上華子さんだとしても答えは同じだ。


 華さんはそんな人じゃない。それは尊敬しているが故の願望に過ぎない、と言われるかもしれない。でも、そんな人物ではないと言い切れる自信がある。

 前に川上華子さんの著書に書いてあったのを思い出す。


 歴史を研究し探索するのは、自分の知りえない時代を生きてきた先人たちの息吹を感じ取るためなのだと。


 けれど、根本は違う。


 自分の物欲のためだけに、欲望のままに生きている。


 メリメリメリ……根本の化けの皮が剥がれていく。


 すでに教師という仮面は剥がれていたけど、お宝のためなら手段を択ばないハンターの顔をしていた。


「もしかして、このイベントって川上華子さんをおびき寄せるためのもの? たったそれだけのために、こんな大それたことをしているの?」


 バカげている、というのが正直な感想だ。


 このイベントにどれだけの費用がつぎ込まれているのかを、計り知ることはできないけど、このイベントを催すのに、車がひとつふたつ買える程の費用が必要だということは想像できる。


「手あたり次第、そこらじゅうを掘り起こすよりも、はるかに費用はかからないよ」


 そう口にした根本の目は、黄金に目がくらみ血走っている。


 金の亡者とは、こういう人のことを言うのかと、根本という実物を見て思わず関心してしまう。


 金のためなら人を人とも思わず、手に入れるためなら手段を選ばない。

 最初から気に食わないヤツだったけど、一層根本の事が嫌いになった。


「つべこべ言わずにさっさとお宝の在処を言えッ」


「あんたなんかに教えるわけないでしょ!」


 売り言葉に買い言葉。お宝の在処なんか知らないのにそう答えていた。


「そんな減らず口がいつまでたたけるかな」


 根本はそう言うと、机の上から何やら液の入った注射器を取り出した。


「手荒な真似はしたくなかったんだが仕方がない」


 そう言うとニヤリと根本が笑った。

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