第1章

嫌なヤツ

 電車がスピードを落としてプラットフォームへと入った。


 停車して間もなく扉が開くと、吐き出されるように人がホームへと流れ出る。


 その流れに身を委ねるように私奥村乙羽おくむらおとはもホームへと降り立った。


 そのまま改札口へと流されていって、慣れた手つきでカードをかざして青く澄み渡る空が見える外へと出た。


「はぁ~……」


 ようやく人込みから解放され、大きく息を吐きだした。


 その吐き出された息が白い事に驚きつつも、11月の半ばともなれば頬をなでる風が冷たいのも納得がいった。


 満員電車から降りると、そのまま流れにのって改札口へと向かう。手慣れた手つきでカードをかざし改札を出ると、ようやく人混みから解放された。


 毎朝の事とはいえイヤになる。


「ふぅ……」


 吐き出された息は白く、電車の暖房で温められた体に冷たい風が突き刺さる。


 すっかり空気は冬になっていた。


 人混みで乱れたマフラーを巻き直して、自分と同じ制服を着た群れの中へと歩を進める。


 意気揚々と乗り込んだ満員電車で、折れかかった心と共に拾い上げてくれた『ボタンの君』


 あれから毎日彼を探しているけどぜんぜん見つからない。いつでも渡せるようにとポケットの中にボタンが入っているけど、もはや私のポケットの中が居住区になりつつある。


 今日も会えなかった……。


 ため息を吐き出したところで、愛想のいいお兄さんからチラシを受け取った。


 どうせ美容院か何かのチラシだろうと、ろくに見もせずにグシャッと握りつぶした。


「この辺にゴミ箱あったっけ……」


 あたりを見回したけど見つけることができず、ボタンの居住区とは別のポケットに突っ込んで歩き出した。


 校門近くまで歩いて来たところで、赤いスポーツカーが通り過ぎて行った。


 ずいぶん派手な車だな、なんて思っていると、その車は生徒たちの注目を集めて校門の前で止まった。


 車のドアが開いた。


 運転席側のドアから出てきたのは、ファッション誌から抜け出てきたかのような、スラリとした女性。周囲にどよめきが起こる。


 ひと言でいうなら、キレイなお姉さん。


 けれど、その女性の美しさは、そんな陳腐な言葉では到底言い現わせられない。


 洗練された美しさを醸し出すその女性の姿に、性別問わずに見とれてしまうほどである。


 見とれる自分の視線と、その女性の視線が重なった。すると、女性はニッコリと頬笑んだ。


 クラッとするほど妖艶な微笑み。


 次第に近づいてくる女性。遠目から見てもその美しさに目を奪われるのだから、間近であればなおのこと。ただただ、見とれるばかりだった。


「……あの」


 容姿に違わぬ美しい声。鈴を転がしたような声とはよく言うけど、この時にしてようやくその形容が理解できた。


「あの、ちょっと、聞いています?」


 女性はいつの間にか目の前にいて、私に話しかけていた。


「へ?」


 自分でも間抜けなその返答の仕方に、ドギマギしてしまう。


「えっと……私ですか?」


 女性はしっかりと私のことを見つめているのだから、私に声をかけているに違いない。周りを見ても自分以外に人はいない。


 先ほどまでいた野次馬は、なぜかきれいに居なくなっていた。戸惑う私のことなんてお構いなしに、女性はにっこり微笑んだ。


「あの……、一年二組の桐谷倭斗きりたにやまとってご存知?」


 桐谷倭斗。知っているもなにも学年一、いや学校一といってもいいだろう。


 この学校に通っている人なら知らない人はいないって断言できるほど、桐谷倭斗は有名だ。なにしろ、単なる学生であるにもかかわらず彼には熱烈なファンがいて、ファンクラブなるものが存在するほどだから、全校生徒が知っているといっても過言ではない。


 容姿端麗、成績は常にトップ、加えてスポーツ万能。


『天は二物を与えない』とはよく言うけど、彼は神からいくつも与えられている。


 世の中、なんと不公平なことか。


 私なんて……。


 思考があらぬ方向へとむかおうとした時、女性がそれを遮った。


「もしもし?」


 怪訝そうな顔で私の顔をのぞき込んできた。


「あ、すみません。桐谷倭斗くんなら知っていますよ。同じクラスです」


 そう答えると、女性はにっこりとほほ笑んでパチパチと手を叩いた。


「え、ホント? よかったぁ~。それならお願いできるかしら」


 こんなキレイな女性にまっすぐに見つめられてお願いされたら、誰だって断れない。それを彼女自身知っているのか、私の言葉を待たずに紙袋を差し出してきた。


「これ、倭斗に渡してもらえるかしら。あの子ったらせっかく作ったお弁当を忘れて行っちゃったの」


 そう言って、少し拗ねる仕草のなんと可愛いこと。


 お弁当といえば愛情を具現化したもの。それをわざわざ持ってくるという事は、この目の前の女性は『桐谷倭斗』とどういう関係なのだろうか。


 別に彼のことが気になるわけじゃない。学校一のモテ男にお弁当を持ってきた美女。


 自然と想像力は働く。


 母親? いや、どう見ても母親には見えない。

 では彼女か……。


 そう言えば『桐谷倭斗にはとびきり美人の彼女がいる』という噂を聞いたことがある。

 だとするなら、この目の前の女性が彼女ということか。


 確かにとびっきりの美人だ。噂は時として脚色されるものだけど、この女性に至っては脚色ではなくまぎれもない真実だ。


 美男美女の二人が並んでいる姿はなんと優美なことだろう。


「彼女さんかぁ~」


 感嘆のため息とともにつぶやいた私の言葉に、女性が首をかしげる。


「え? 私? カノウ、ジョーじゃないわよ」


 そりゃあ、そうだろう。

 こんな綺麗な女性の名前が『カノウ、ジョー』だったら、かなりぶっ飛んだ名前だ。


 何をどう解釈したのか、目の前の女性は『彼女』を『カノウジョー』と思ったらしい。


 誰じゃそりゃ。


 ひとりツッコむ私に、彼女が不思議そうな顔をする。


「カノウジョーさんがどうかした?」


「いいえ、何でもないです。えっと、なんでしたっけ?」


 思わぬ方向へ話が向かってしまったので、当初の話の内容を忘れてしまった。


「やっぱりおいしくないのかな……」


 そう言ってしょんぼりする彼女。よしよしと思わず頭をなでて励ましたくなる。


「い、いや、そんなことはない……と思いますよ」


 そう、彼の代わりに食べているクラスメイトは、いつも悶絶するようにお弁当を食べている。きっと、ものすごくおいしいのだろう。


 そうに違いないと、半ば強引に自分に言い聞かせる。


「すごく、おいしそうに食べています」


『彼の友だちが……』


 心の中で呟いた言葉は、当然彼女に聞こえるわけもなく……。


「よかったぁ~!」


 曇った表情は一転し、はじけるような笑顔で彼女の顔が輝いた。


 胸がチクリと痛む。


 ごめんなさい――心の中で謝っていることなど彼女は知る由もない。


「じゃあ、お願いね」


 私の返事も待たずに彼女は紙袋を手渡すと、来た時と同じように颯爽と去っていってしまった。


 そんなに重いはずはないのに心と連動したかのように、その紙袋はずっしりと私の右手に重圧をかけた。


 重い足取りでクラスへと向かう。


 どうして受け取ってしまったのだろう、と今更ながら後悔している。


  桐谷倭斗――またの名を、鉄仮面の貴公子。


 あまり感情を表に出さないことからついたあだ名。


 入学初日にファンクラブが結成されたと、風の噂で聞いたことがある。

 彼女たちの監視の目は厳しく、少しでも彼と親しく話そうものなら体育館の裏に呼び出され……というのはさすがにウソだろうけど、彼女たちは常に目を光らせ、彼を独り占めしようとする者には容赦ないと聞く。


 それでも彼と親しくなろうと、理由をつけて近づく者たちは後を立たない。


 私は『住む世界が違う人種』に分類しているので、目の保養程度にしか思っていないし、高校に入学して七ヶ月が経過しようとしているけど、彼とはあいさつしかしたことがない。


 そんな彼に、忘れ物を届ける役目を安請け合いしてしまった自分を呪う。


 教室の前まで来ると一度立ち止まった。


 大きく息を吸って一気にそれを吐き出してから、ガラリと教室のドアを開けた。


 教室の中はいつもと変わらず雑然としている。


 お目当ての人物の姿を探すも、教室の中には見当たらない。


 まだ来ていないのか……と思った時、背後から刺々しい声が刺さる。


「邪魔」


 出入り口で仁王立ちしている自分にも非はあるけど、そんな言い方はないだろうと振り向いたそこに探し人がいた。


「あ、桐谷倭斗」


 言ってから、しまったと思ったがすでに遅く、ジロリと睨みつけられる。


 このクラスには『きりたに』が二人いる。


『住む世界が違う人種』である桐谷倭斗はフルネームで、『同じ世界で生きている人』だと思われる霧谷颯太は『きりたに君』と、いつの頃からか自分の中で呼び名が決められていた。


 だから、フルネームが思わず口から出てしまったのだけど、そんな事情を彼が知るはずもなく、普段口をきいたこともない相手からフルネームで呼び捨てされれば、誰だって気分を害するだろう。


 が、わざわざ説明する義理もないので、咳払いで誤魔化す。


「ゴホッ……、え~と、きりたに君」


 改めて名前を呼ぶと、桐谷倭斗の後ろからもうひとりの『きりたに君』がひょっこりと顔を出した。


「何?」


 不機嫌さを前面に出してくる桐谷倭斗とは裏腹に、周りにキラキラ光る銀粉でもまき散らしているかのようなニッコリ笑顔の『きりたに君』が返事をしてくれた。


  なんていい人。

 でも、残念なことにこっちの『きりたに君』ではない。


 よくよく見れば彼もそれなりにいい造りをしている。

 残念なことに、桐谷倭斗の隣ではその造作もかすんでしまうけど、桐谷倭斗の鋭いまなざしに一瞬怯んでしまった私には、霧谷くんのキラキラ笑顔は天使の笑顔さながらの効果があった。


 おかげでなんとかその場に踏みとどまることができた。


「あ、えっと、倭斗……くんのほう」


 すると違う『きりたに君』はチェッと残念がったが、肝心の『きりたに君』はあからさまに嫌な顔をした。


 尻込みするも、ここで引き下がるわけにはいかない。


 ぶしつけに桐谷倭斗に紙袋を差し出した。


「いらない」


 瞬殺で拒絶されたせいで、すぐには理解できずに思わず聞き返した。


「え?」


「いらないって言ったんだけど」


 桐谷倭斗が不機嫌そうに言うと、何を勘違いしたのか霧谷くんがピューと口笛を吹いた。


「朝からプレゼント攻撃とは、ずいぶん積極的だねぇ~」


 冷やかすようなその言葉を放った霧谷君をギロッと睨みつけると、彼は桐谷倭斗の後ろに隠れた。


 慌てて訂正する。


「違うから! すっごい美人のお姉さんに、お弁当を『届けてほしい』って頼まれたの!」


 はいこれ、と桐谷倭斗に渡そうとした私の手から、スッと霧谷くんが紙袋を奪った。


「うわぁ! 華さんの弁当だ。今日は食べられないと思っていたけど、わざわざ届けてくれるなんて、華さん優しいなぁ~」


「君じゃないから」


 慌てて、霧谷くんの手から紙袋を取り返した。


「一生懸命心をこめて作ってくれている人に失礼でしょ! ちゃんと食べて感謝を述べるのが礼儀ってもんでしょ!」


 先ほどまでの緊張が嘘のように、桐谷倭斗に言い返していた。


「作ってくれ、なんてひと言もいってねえし、無理やり押し付けられて感謝もクソもねえだろ」


 むっかぁ~。

 なんなのこいつ!


 容姿・頭脳・運動神経と全てにおいて恵まれている桐谷倭斗は、神の最高傑作かと思いきや、性格最悪の失敗作だ。


『住む世界が違う人種』と初めて話をした感想は……。


 最低最悪、チョーむかつく男!


 緊張して損した。


 お弁当は普通の料理とは違って、ものすごく手間がかかる。

 栄養、彩り、冷めてもおいしいもの、傷まないもの、あらゆることを考えて、箱に詰めなければならい。


 今はレンジでチンとすれば、見た目も味も申し分ないものがすぐにできる。おかげでずいぶん楽にはなった。


 けれど、それでも朝食づくりと同時進行で作らなければならいお弁当は、ものすごく大変なのだ。


 朝食づくりまではしていないけど、何を隠そう、私は毎日お弁当を作っているのだ。


 だから、その大変さは身に染みている。


 それなのに、それなのに……感謝もクソもないとはどういうことだ!


 やっぱり『住む世界が違う人種』は考え方も違うのか?


 言い返そうと口を開きかけたその時、グイッと腕を引っ張られた。

 見ると、そこには親友の佐伯杏子さえききょうこがいた。


「乙羽! 朝っぱらから何やってんの? ファンクラブの奴らがすごい目で睨んでるよ」


 その言葉にハタと我に返る。


 周りを見渡せば、杏子ちゃんの言う通り、何人かの女生徒がものすごい目つきで自分を睨んでいる。


 高校一年生、二学期もすでに終わりに近づいているとはいえ、花の高校生活まだまだ始まったばかり。ここでファンクラブの人に目をつけられたら、これからの高校生活が最悪のものになってしまう。


 そんなのはイヤだぁぁぁぁ――!


「とにかく、桐谷倭斗、あんたがちゃんと食べなさいよ!」


 半ば押し付けるように紙袋を渡して、そそくさとその場から離れた。


 が、むろん怒りがおさまるはずもない。


 ひと言、ふた言、み言……言ってやりたいことはたくさんあった。


 けれど、自分のバラ色の高校生活を灰色に染め替えてまで、楯突くことでもないので不満を飲み込んだ。

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