第3話:竜の爪


 女神が消えて、俺が勇者のいた村の方を睨む。


 まるで俺の視線を予期していたかのように、その瞬間、村の中央から黒い霧のような何かが空へと噴出した。それはゆっくりと空から村を覆いかぶさるように包み込んでいく。


「明らかにヤバい予感がする!」


 どうすればいいか分からないが、とにかく勇者の父であるハルベルトが何かをやらかしたの確かだろう。


「しかも、俺が勇者を殺したって勘違いしてるっぽいし!」


 いや、間接的には俺のせいではあるが……しかしあれは正当防衛だし、もう一度同じ事が起きても俺は同じ行動をするだろう。だがそれを説明したところで納得などしないだろうし、聞く余地があるならそもそも闇堕ちなんてしないだろう。


 説得は無意味だとこの予言書には書いてある。


「それでも……まずは話さないと」


 俺は気は重いが村へと足を踏み入れた。村を覆う黒い霧を吸い込むのは危険かと一瞬思ったが、もう吸い込んでしまったものは仕方ない。


「あ、そうだ」


 俺は着ていた黒のダサいロングコートを脱ぎ捨てた。流石にこれを着て人前に出る勇気はない。下には無難な黒のインナーを着ているので、まあこの気温なら寒くないだろう。


 そうして村に一歩踏み入ると、村人達は混乱の極みにあった。


「何が起きたの!?」

「おい、ハルベルトの家の方で凄い音がしたぞ?」

「どういうことだよ! さっきのドラゴンの仕業か!?」


 それどころじゃないらしく、彼らはいきなり現れた俺の存在に気付かない。


 とりあえずまずはハルベルトに会って、無駄であろうと事情を説明しないと。


 そう思って俺がハルベルトの家――勇者の家があるらしき方向へと走っていくと、やはりというか原因はハルベルトにあるらしく、近付くほど黒い霧が濃くなり、視界が悪くなっていく。


「ん?」


 霧の向こうから声が聞こえる。


「お爺ちゃん! 逃げて!」

「もう無駄じゃ! それにあれを放置したらこの世界が終わるやもしれん!」


 それは、少女の声とさっきやたらと説明口調だった長老の声だ。


「でも、もうあれは……キャアア!」


 少女の悲鳴。肉の避けるような音。黒い視界の中で飛び散る赤。


 俺は無意識で駆け出していた。


 視界に、蠢く何かが映る。


「奴だけでも倒さねば……リゼリア……使命を忘れるな」

「お爺ちゃん!」


 まず目に飛び込んできたのは、血塗れでうずくまる老人――あの長老だ。そしてその傍に跪き、必死に長老を立たせようとする赤髪の美少女。年齢でいうと高校生ぐらいだろうか? 意志の強そうな整った顔立ちに背は少々低いながらも女性らしい体型をしている。


 あんな可愛い子、<勇転>にはいなかったはずだが……いや、そんなことはどうでもいい。


「おい、大丈夫か!?」


 俺はそう声を掛けて、二人の下に駆け付けた。


「君は……?」


 俺の姿を見た赤髪の少女の顔に、困惑と疑念の表情が浮かぶ。いきなり見知らぬ男がやってきたらそうなるのも仕方ないだろう。


 だけども、俺は見てしまった。彼女の背後で、霧の中ゆらりと立ち上がった謎の存在を。


「ちっ!」


 一瞬迷うも、やはり身体が勝手に動いていた。俺は少女の腕を掴んで、自らへと無理矢理に抱き寄せる。


「きゃっ!?」


 硬い物体同士が擦れ合うような嫌な音が響き、少女の立っていた位置に、何かが突き立つ。


「なんじゃこりゃ」


 それは巨大なムカデだった。人の腕ほどある禍々しい牙が地面へと刺さり、シュワシュワと煙を上げている。


「キシャアアアアア!」


 獲物を奪われたとばかりに怒り狂うムカデが鎌首をもたげた。その高さは優に二メートルは超えている。あまりに化け物じみた大きさだ。


 何コレ、めっちゃ怖いんですけど!? 俺は少女を抱き締めたまま、恐怖で身体が硬直していた。生理的嫌悪感と、原初的な恐怖が俺を支配する。


「逃げるのじゃ……! <爆裂火矢グレンボルト>!」


 そんな声と共に、倒れていた長老が右手で魔法を放つ。それは確か上位に属する火属性魔法で、使えるのは魔術士の中でも一部だけだったはずだ。


 長老の手から放たれた炎の矢がムカデの甲殻へと命中。爆炎がムカデを包み込む。


「イギャアアア!」


 ムカデが悶えながら不愉快な声を上げる。


「お爺ちゃん! お爺ちゃんを助けて!」

 

 俺の胸の中にいる少女の叫びで、我を取り戻す。なんか分からんが、とりあえずハルベルトは後だ。まずはこの少女と長老を助けないと。


 俺は少女の身体を解放すると同時に、地面を蹴っていた。そういえば武器もないし、俺ってどうやって戦えばいいんだ? さっきのビームはなぜかもう放てる気がしなかった。


「うおおおおおお!」


 だったらもう――直接殴るしかない。


 俺は気合いと共に、右拳を振りぬく。やはりドラゴンの身体よりはこっちの身体の方が動かしやすい。思った以上の速度で放たれた俺の拳が、ムカデへと命中。


 しかし。


「硬ったいな!?」


 まるで壁か何かを殴ったかのような感触と共に、ムカデの甲殻によって俺の手が弾かれてしまう。しかし、流石にその衝撃までは無視できないのか、その巨大な身体が数メートルほど後退した。


 さっきの長老の魔法で多少はダメージが入ってそうだが、俺の攻撃はあまり効いていない様子だ。


「生半可な物理攻撃は効かぬ……魔法を使うのじゃ!」


 長老がその隙に、手で左の脇腹を押さえながらよろよろと立ち上がった。良かった、まだ生きていた。


「いやしかし、そう言われてもな」


 魔法とかどう使うのか分からないし!


「お主……まさか」


 長老が俺の顔を見て、信じられないといった表情を浮かべる。だが、すぐに何かに納得したような顔をすると、俺をまっすぐに見つめた。


「その身体では竜のブレスは使えぬ。だが、竜言語魔法はブレスだけではない」

「竜言語魔法ってなんだよ……って悠長に喋ってる暇はなさそうだな!」


 ムカデが牙を広げ、俺へと向かって突進してくる。それを避けつつ、カウンター気味に蹴りを叩き込んだ。が、しかしやはり有効打にはならない。


 その間に少女が長老に肩を貸し、後退していく。


「竜言語魔法とはつなわち竜の魔法。竜の魔法で竜らしく戦うがよい。牙がないなら牙を、爪がないなら爪を――ゲホッゴボォ」

「お爺ちゃん!」


 長老が言葉の途中で吐血。だいぶヤバそうな感じだが、その言葉の真意が分からない。それにこの爺さん、俺の正体に気付いているのか?


 何も分からない。だけども、今はその言葉を信じるしかない。


「竜らしく……」


 さっきドラゴンだった時は、あのビームみたいなブレス? も吐けたし空も飛べた。牙も爪もあった。しかし、今はただの人間だ。


「牙がないなら牙を……爪がないなら爪を……」


 思考する俺をムカデは待ってくれない。その無数の脚で這うように地面を進み、とぐろを巻いて俺の周囲を一瞬で囲む。


「シャアア!」


 ムカデが、俺が反応する前に身体へと巻き付いてくる。その鋭い脚が俺の全身の皮膚を突き破る――かと思いきや、皮膚の上に半透明の銀色の鱗が出現し、それらを防ぐ。


「鱗……? 人間になってもそれは有効なの――」


 その言葉の途中で、苛立ったムカデが牙を広げ、俺の頭を砕こうと迫る。牙の先には毒液らしき液体が滴っている。あれは流石に鱗では防げないかもしれない。


 死の恐怖が再び湧き起こり、そして胸の中で熱い何かへと変換されていく。あの時、隕石に向かってブレスを放った時の感覚と同じだ。しかしブレスはやはり放てる気はしない。


 あれは竜の心肺機能があってこそ放てる何かなのかもしれない。


「……なら!」


 牙がないなら牙を。

 爪がないなら爪を――


「はああああああ!」


 熱い何かを無意識のままに両手へと集中。それは俺の五指から赤い光となって伸びていく。


 それはさながら、光でできた竜の爪のようだった。


 巻き付いていたムカデの身体を無理矢理引き剥がし、俺は右手を一閃。五本の赤光が舞い、あれほど硬かったムカデの身体をあっさりと切り裂いた。


 ムカデはあっさりと絶命。紫色の体液がまき散らしながら、地面へと倒れる。


「これが……竜言語魔法?」


 俺の両手から伸びる光爪が、空気を焦がしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る