第一話 美星の決意(一)

 獅子獣人皇宋睿が討たれたと同時に有翼人狩りが終結した。

 宋睿を討った兎獣人の天藍が新皇太子立ってから一年が経ち、その間に美星も回復し日常生活に戻っている。


(良い天気)


 美星は庭の薫衣草畑に水を撒いていた。足元は一面紫の花で埋まり良い香りが漂っている。羽を落とし臥せった美星の心が休まるようにと響玄が作ってくれた花畑だ。

 だがこれはある物を隠すためでもあった。美星は手に薫衣草の花束を抱え、薫衣草をかき分け庭の奥へ進んで行く。

 林とまではいかないが、敷地の外から美星の姿を確認するのは難しい程度に木々が生えている。木漏れ日を受けつつ隠れるように進むと開けた空間があり、その中心に手のひら程度の石が置いてあった。何でもないただの石だ。

 美星は石の前に膝を突き、持って来た薫衣草の花束をそっと備えて手を合わせた。黙とうして祈りを捧げ、ゆっくり目を開くと美星の目に涙が滲んだ。


「ごめんね小鈴。やっぱり遺体は見付けられなかったわ」


 薫衣草しかないこの場所に眠っているのは有翼人狩りで意味もなく殺された小鈴だ。

 眠ると言っても、石の下に埋めてあるのは小鈴の物と思われる羽根一枚だ。だがそれも小鈴の家に落ちていた抜け羽根を拾ってきただけなので本当に小鈴の羽根かは分からない。有翼人狩りで顔見知りの有翼人は姿を消し、そこらじゅうに羽根が舞っていたからだ。

 だが見つかるのは抜け羽根ばかりで、どういうわけか遺体のほとんどが行方知れずとなり弔う事すらできなかったのだ。

 天藍は有翼人の遺体を捜索する専用部隊を作ってくまなく探していた。兵の大半が捜索にあてられたが、見つかったのはほんの数名の遺体だけで小鈴は髪の一筋さえ見つける事はできなかった。

 おそらく宋睿の支持者がどうにかしたのだろうと推測され、宮廷はせめてもの詫びとして有翼人のための国葬を執り行った。

 これを提案したのは宋睿の獣人部隊を率いていた豹獣人の牙燕という将軍だった。種族を超えて有翼人を悼む姿勢に国民は心をうたれ、蛍宮は全種族平等の中立国としての地位を確立した。

 だがそんなものは美星の心を癒しはしなかった。


(追悼なんて意味無いわ。小鈴は戻ってこない。私の羽も戻ってはこない)


 小鈴を自分の手で埋葬することを諦められず、日々あちらこちらを探し回っているがどこも天藍が探した跡地だった。もう探すところは無い。

 美星の復讐心は宙に浮いたまま、余所事の平和が粛々と過(よぎ)っていった。

 しかし天藍のもたらした全種族平等の平和な治世は美星に幾つかの変化をもたらした。


「美星(みほし)お嬢様。入荷したので帳簿お願いできますか」


 美星は名の読みを変えた。響玄が名付けた名は『めいしん』だが天藍の母国では異なる読みがあるという。それに倣い名を変える者も多く、美星も響玄の提案で『みほし』と読みを改めた。

 だが理由は天藍の崇拝ではない。有翼人であることを隠すためだ。

 全種族平等となった今隠す必要はないが精神的外傷は深く残った。有翼人だとを知られれば殺されるのではと思ってしまうのだ。

 けれど人間に擬態するための名を名乗ると美星の容体はぐんぐん良くなっていった。


(名前を変えただけなのに妙なことだわ。お父様のように何かを成したならともかく)


 変わったことは他にもある。それが響玄の店の経営状況だ。

 響玄は曾祖父の時代から続く『天一(てんいつ)』という商店を経営している商人だ。

 天一はその名の通り天井知らずに成長し、響玄が引き継いでわずか五年で蛍宮に知らない者はいないと言って良いほどの規模になったそうだ。

 美星が生まれたと同時に母親は死んだため響玄は男手一人で育ててくれたが、同時に商売も成功させたのだ。

 薫衣草畑をぽんと作れるほどの広い敷地と財力は蛍宮内でも有数で、だからこそ有翼人狩りを別荘地でやり過ごすこともできた。

 美星は帳簿をぱらぱらと捲った。これには天一の売上や原価、販売管理費を含めた利益が記されている。店が赤字になっていないか、どれほどの黒字を保っているかがこれで分かる。


「今月は売上良かったけど仕入れも多かったわよね。ちゃんと黒字になってるかしら」

「それはもう。使用人を二、三人増やしたって問題ないですよ。こんな雑用はお嬢様がなさらずとも良いでしょうに」

「お父様のために何かやりたいの。ああ、よかった。今月も黒字で着地できそうね。売れてる商品種も広がってるし、流通はすっかり元通りだわ」

「いいえ。先代皇の頃よりずっと豊かですよ」

「前は税が凄かったものね」


 宋睿は有翼人を苦しめる目的の政策が多かった。

 有翼人根絶と人間の人口減少が獣人のためになると言い、迫害政策の資金を国民の税収で賄ったのだ。

 迫害政策は獣人国民も推奨していた。だが過剰に続く増税は獣人の生活も苦しめ、多くの店が倒産し職を失い、貧困で死亡者が出始めた。

 獣人からの指示は低迷どころか反乱すら引き起こし、宋睿があっけなく討たれたのも獣人国民を敵に回したからだとも言われている。だから天藍は弑逆者ではなく英雄と讃えられたのだ。

 当然税金による国民の苦しみを知っていた天藍は皇太子即位と同時に大幅な減税を行った。

 おかげで国民の生活は潤い消費が増え、貯蓄増に比例して国民全種族からの支持率はうなぎ上りを続けた。


「天藍様に代わって本当によかったですよ。税は下がったし補助金もある」

「そうね。天一も前以上の黒字だし。倍になってるわ」

「それは響玄様の手腕でらっしゃいますよ。終戦直後でまだどこも不安定なのに客層を転換した潔さは素晴らしいことです」


 減税をしたと言っても、消費者の需要と販売者の供給が一致しなければ経済は回らない。

 だが需要と供給なんて国民が落ち着いてからでなければ明確にはならないし、明確にならなければ経営者も方針転換などできはしない。需要の無い提供だった場合倒産の危機に陥るからだ。

 そんな状況下で響玄はいち早く販売対象を変えた。これまで天一の顧客は人間の富裕層が主だったが、響玄は獣人の生活必需品を新たな収入軸にすると経営方針を変えた。それも獣種ごとに提供を変えた。肉食獣人には肉類、草食獣人には野菜や果物といった『無いと生きていけない』商品に注力するとこれが大正解で、瞬く間に顧客が増えたのだ。

 今では響玄一人では到底回らず、従業員も一人だけだったのが今は十人もいる。

 美星に専属の使用人も付けてくれて、気が付けばお嬢様と呼ばれるようになっていた。

 美星は数か月で元気を取り戻し、余裕ができてくると命を繋いでくれた父の助けになりたいと思い始め接客や金銭の管理など店の業務を始めた。

 人間である父と同じを日常を過ごすことは人間擬態する美星の新たな日常となり心を落ち着かせてくれた。


「そういえばお父様はまだ商談なさってるの?」

「ええ。お茶を淹れ直さないといけないんですよ。でも今日はの商談だからどうしようかと」

「なら私が行くわ。ああ、そうそう。方眼紙を買い足しておいて。無くなりそうなの。あれがないと計算が」

「お嬢様は字が小さくてらっしゃいますからねえ。買っておきます」

「有難う。あと店頭の陳列を直しておいて。さっきのお客様がぐちゃぐちゃにしちゃって」

「かしこまりました」


 美星が帳簿を棚に戻し客間へ向かおうとした時、きい、と客が出入りする扉が開く音がした。入って来たのは二名の女性だ。


「こんにちは。響玄殿はいますか」

莉雹りひょう様! 彩寧さいねい様!」


 莉雹と彩寧は宮廷の職員だ。莉雹は宮廷で女官を、彩寧は侍女を束ねている。

 二人は宮廷の有翼人支援施策を担当しているようで、街中を駆け回っていた時に響玄が知り合ったという。

 宮廷への復讐心が燻る美星が信頼する唯一の宮廷人だ。


「響玄殿に相談があるんです。いますか?」

「いますよ。でもお客様が来てるの。もう終わると思うから奥で待っててくれますか」

「よかった。最近はいつもご自宅にいらっしゃって助かるわ」


 天一の店舗は響玄と美星の自宅に隣接しているが、戦後の響玄は商談を自宅ですることが多くなっていた。

 心の傷が癒えない美星を一人にすることはできないということだったが、実際、天一が遜らなければいけない商談相手などそうそういなくなっている。頼まずともあちらからやって来るのは図らずとも美星にとっては有難いことだった。

 加えて響玄が特に多く集めている商品は自宅で現物を売買できるものではないということもある。今日はその商談なのだ。

 美星は莉雹と彩寧を奥の部屋へ通すと父の様子を伺った。商談と言っていたが、商品は何も無く並んでいるのは数枚の書類だけだ。


「氷一升を銅十は高すぎますな。銅五」

「仕方ないですね。では銅八」

「五」

「八」

「五」

「八」

「五」

「……では七」

「では六。それ以上は他を当たります」

「……六で」


 響玄が購入しているのは氷だ。海が遠く温暖な蛍宮において氷は貴重品で、どの種族にも求められる高級品でもある。

 卸す側にとってはこれ以上ない商品で値下げに応じる必要などない。その商談を主導し値切り購入できるのは響玄の商人としての力を示していた。

 響玄はにこりと満足げに微笑んだ。客は諦めたような苦笑いを浮かべ、しぶしぶ契約書に署名をして帰っていった。

 商人の丸まった背中を見送り扉を閉じると、響玄と美星は目を見合わせて噴き出す様に笑った。


「お父様ったらまた卸業者をいじめて」

「なんの。これくらいできなくては商売はやっていけん」

「そうね。だからみんなお父様を頼りにするんだわ。莉雹様と彩寧様が来てるわよ」

「お二人で? 珍しいな。すぐ行こう」

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