世間師暫庫屋

 二人が進んでいくと諍いめいた声が聞こえてきた。

 縁日や祭りの場では、場所やお客の取り合いでちょっとした揉め事はつきものだ。

 それをおさめる地元の顔役や仲介を生業にしている輩もつきものだ。

 ただ、神社の境内となればそこは神聖な場。

 神のおわす場に至る参道は人の場であるが、境内となれば、そこはもう聖なる領分ということで、ここ鳳神社では氏子からなる自警団が揉め事には当たる。

 声の方向には、しかし、それらしきものたちの姿は見えない。

 ということは、店と客との個人的なやりとりで生じた行き違いかもしれない。


「もめてるみたいですね」

「あまりよろしくないようですね」

「出直しますか」


 真乎は唇に人差し指を当てると目を細めた。


「お困りみたいですね。とても」

「誰がですか」

「彼女さん、です」


 言われて沙綺羅は真乎の視線の先を見やった。


「あ、あれは、例の店主じゃないですか」

「そうですね。流しの骨董商、暫庫しばらく屋さん。本日の訪問先です」

「うさんくさいですから、クレームじゃないですか」

「ご職業柄しばしばあることでしょうけれど、彼女さんが見せてらっしゃるものが気になります」

「指輪にチェーンを通したペンダント? あれってもしかして、指貫じゃないですか」


 沙綺羅の指摘に真乎はうなずいた。


「そのようですね」


 真乎は藍染の風呂敷で包んだ猫ちぐらを沙綺羅の手から引き取ると「さあ、まいりましょう、沙綺羅さん」と一声かけて歩き出した。


「だから、これ、これを売ったのはおたくですよね。この辺りの市でアンティークの指貫を扱っているのはおたくだけだってききました」


 身を乗り出して懸命に話しているのはジャージ姿の女子学生だった。

 胸元の校章は地元の大学の体育会系サークルのものだ。

 化粧っ気のなさがさわやかなきれいさを際立たせている。


「これと一緒に壁掛けかこたつカバーか敷物か、何か、パッチワークの大きな布も売りましたよね」

「ああ、あのお客人のお知り合いでしたか。あれは売ったのではなくサービスでお引き取りいただいたんですな。確か、お買い上げしたいとご希望で、指貫の支払いに色をつけてくださいましたかな」


 小机に座布団を重ねた簡易椅子に腰かけている店主は、わざとらしく膝を打った。


「それは、お客人からの贈りものですかな」

「ええ、記念、いえ」


 女子学生は口ごもって指貫をきゅっと握りしめた。


「記念の贈りもの、それは、お目が高い」


 店主が顔を上げた。

 今日はアッシュグレーのメッシュを入れたもつれがちな髪を束ねずに背にたらし、ラウンド型のサングラスをかけている。はおっているシースルーのコートにはラメや鋲が打たれていて陽を反射してきらきら光っている。腰履きジーンズに彫金細工のバックルの太幅ベルト、編み上げブーツにサイケカラーのストールをツイストタイに結んでいる。

 明らかに神社の境内では浮いている。


「ずいぶんおめかしされてますのね」


 真乎は風呂敷包みをよっこらせと店主の前に置いた。

 女子学生は重そうな荷物が置かれた音に驚いたのか少し後ずさった。

 それから、「もういいです」と言い捨てて走り去ってしまった。


「あら、営業妨害してしまいました。失礼いたしました」


 真乎がすまし顔で言うと、店主は傍らに置いた風覆の付いた手付き煙草盆に置きさしてあった煙管を手にした。


「ほう、その風呂敷包みは、憑いてますな」


 気持ちよさげに一服ふかすと店主は言った。


「憑いてますか、よくご存じで。さすが世間師でならした御仁ですわね。ご無沙汰でしたわ、暫庫屋しばらくやさん」


 のどかな中に強い気のこもった真乎の声に、暫庫屋と呼ばれた店主は丸眼鏡を指さきでずらすしてこちらをのぞき見た。


「これはこれは、てりふりさんのお孫さん、でしたかな。そちらのお嬢さんは見習いさんですかな。てりふりさんは息災でいらっしゃいますかな」


 真乎と沙綺羅を見比べてながら臆することなく暫庫屋は愛想笑いをしている。


「祖母は息災ですわ。遊興と仕入れであちらこちらと飛び回ってますわ」

「それはなにより」


 暫庫屋は煙管を盆に置くと言った。


「本日の御用向きは何ですかな。おお、そうでしたな、三の酉といえば熊手でしたな。当店は古い憑きものを主に取り扱ってますが、ああ、ご存じでしたな。はて、てりふりさんでは熊手はまっさらなものをお求めだったかと。宗旨替えですかな」

「よくご存じですこと」

「てりふりさんは、お得意さまですからな」

「祖母と懇意にしてくださって。ありがたいことですわ」


 真乎はそう言うと、風呂敷包み越しにずいっと身を乗り出した。


「おっしゃるように熊手の御用でまいったのではありませんの」

「とおっしゃると」

「憑いているのは風呂敷ではありませんのよ。そう、ご覧になって」


 真乎の言葉に沙綺羅が風呂敷包みの結び目をほどくと、かまくら型の猫ちぐらが現れた。


「おや、これは」

「返品です」

「返品は承っておりませんな」

「憑いてるものを世に放つとはずいぶん度胸がよろしいですわ」

「それが生業ですからな」


 しばし押し問答が続けられたが、突然響いたつんざくような声でそれは途切れさせられた。


「んん? なんですかな。騒がしい」


 暫庫屋がつぶやいた。


「喧嘩か酔っ払いじゃないですか」


 沙綺羅が眉をしかめて言った。


「いえ、声はお一人、女性のお声のようでしたよ」


 真乎が耳に手を当てて言った。


「憑きものですかな」

「神聖な境内で憑きものですか」


 沙綺羅が怪しみながら言った。


「神聖とは言っても境内は開かれている場ですから、こうしたお方が商いをされるのも許されているのですわ。祀られているものの力が強ければ場にふさわしくないものを抑え込むことができますしね」


 真乎は暫庫屋に視線を投げた。


「八百万の方々は、それはもう、面白いことがお好きですからな。お気に召していただければよろしいですし、お気に召さなければ追われるだけですな」


 暫庫屋はもっともらしいことをつぶやいた。


「少々心配ですわ。沙綺羅さん、行ってみましょう」

「はい、真乎さん」

「こちらは、では、一時お預かりということで」

「ずっとお預かりでよろしいですわ」


 真乎はきっぱりとそう告げて、沙綺羅と二人で声のした方へ向かっていった。






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