お引き取りをお願いしたく

「ああ、そうですな、お貸しすることならできますかな」


 端万子の視線がスノードロップの描かれた陶製のシンブルが納められた小函から離れないのを見て、店主は思案気に提案してきた。


「貸してくださるのですか」

「次の市まで。縫いものに使ってみてもよろしいですよ。ただし、扱いには気をつけてください。うっかり滑り落としたりは、次は、危ないかもしれんです」


 先ほどの失態を思い出し端万子は唇をきゅっと結んだ。


「だいじょうぶです。眺めるだけにします」

「眺めるだけで済みますかな」

「え? 」

「手縫いがお好きでしたら、使ってみたくなるのではないですかな」

「指貫は、インテリアとして飾って眺めているだけでも、創作意欲が刺激されます」

「そういうものですかな」

「そういうものです」


 端万子がにっこりと言った。


「ああ、それから、これ、こちらを引き取ってもらえませんかな」


 店主は傍らに置いた風呂敷包みを差し出した。


「こちらは、なんですか」

「あけてみてください」


 言われるままに端万子は結び目をほどいた。

 

「これは、刺子のキルト?」


 端万子は不規則に着物の端切れを縫い合わせて刺子が施されている布を両手に持って広げた。

 かっちりとピースを組んでブロックを作って模様を構成する一般的なタイプのパッチワークキルトではなく、さまざまな形や素材の端切れをランダムにつなぎ合わせたクレイジーキルトのようで、横1.5メートル、縦2メートルほどのベッドカバーサイズのようだった。

 タペストリーのようでもあり、ベッドカバーのようでもあり、はおってマントのようにしたり、袖をつけたら布団にも使う防寒具かいまきにもなりそうだった。


「使い込まれた風合いが美しいですね。藍染の木綿と草木染めの麻、文様染の更紗、使われている布の素材はまちまちですけれど、刺子をすることで統一感が生まれています。一ヶ所だけ華やか、これは、枝垂れ桜の模様の友禅かしら。防寒の羽織ものとしてかいまきにしてもおしゃれだわ」


 古いもののようで糸端がところどころほつれている。

 虫除けに焚き込めたのか白檀の香が立ち上る。

 雑味のない上等な薫香。


「防虫香くさくないのも品があってよいですね。この匂いの白檀はかなり高価なものではないでしょうか」

「使われている端切れそれぞれの時代はわからんのですが、まあ、古いものも混じっているようですな」

「来歴のわからないものなのですか」

「質草として預かったものですな。預け主が自分がいなくなって一年経ったら、誰ぞ興味を持ってくれそうな人に譲ってくれと遺言を残していたというわけで」

「そのような事情がおありでしたか」


 左貫端万子は、枝垂れ桜の友禅の古裂の端がほつれて裏打ち布からはがれそうになっているのを目ざとく見つけ、手仕事好きの習いで、何色の糸で繕おうか、糸は絹がよいか木綿がよいか、いっそ裂き布を極細に縒って糸にしたものでアクセントをつけようかと考えをめぐらせている。


「ほつれてますね、糸も弱ってるみたいです。このままにしておくと、裏打ち布からはがれるか破れるかしてしまいます、なんとかしたいですね」


 左貫端万子はほつれかけている部分を指先で辿って生地の強度を確かめて、それから中綿の具合をみようとして手を止めた。

 糸のほつれからわずかながらのぞく中綿は、現代のようなポリエステルの綿ではなく、昔は貴重だったであろう真綿でもなく、赤茶に錆びた綿くずの塊のようなものに見えた。


「中綿が気になりますかな」


 端万子の指先が糸のほつれからのぞく中綿に触れているのを目ざとく見つけて店主が言った。


「年季の入っているもののようですけれど、まさか化学繊維ではありませんよね、この中綿。真綿とも違う感じですし」

「そうですな。天然自然のものではありますな」

「天然自然のものですか。では、植物由来の加工物ですか」

「違いますな。いな、植物ではありますな。天然自然の」

「天然自然の植物ですか。ちょっと触ってみてよろしいですか」


 店主ははりつけたような笑顔でどうぞとうなずいた。

 端万子は両手で抱えると、ほつれからのぞく中綿に触れてみた。

 

「やわらかいですね。羊毛のような感触もあるような気がします。においは白檀でわかりませんけれど、もとは野山の香りがしたのかしら」

「いかがですかな」

「なんでしょう。教えてくださりませんか」


 端万子の素直な物言いに店主は気分をよくしたらしい。

 腰に提げた巾着袋から、色合いは違うが中綿と同じ素材のものを一つかみ取り出して、端万子に差し出した。


「嗅いでごらんなされ」

「これは、こちらと同じものですか」

「そうですな。時が経つとそちらのように色が出てきますな」

「そうなんですね」


 端万子は受け取ると鼻に近づけて嗅いでみた。

 嗅いだことのあるにおい。

 山桜の花見がてら祖母や母たちと山菜採りに行った時に、すっくと立ち群れている山菜を手折った時にたつ、あの春ならではの山の恵のやわらかなあくの香り。


「これは、ぜんまいですね」

「当たりですな」

「ぜんまいの綿衣、薇綿ぜんまいわたなのですね」

「さすが手仕事をされる方だけありますな」


 店主の言葉に端万子は心なしか気分が上がった。


「薇綿は手毬作りの芯にも使うんです」

「ほう、手毬ですか。指貫の出番ですな」

「そうです、そうです」

「作られたことがありますかな」

「挑戦したことはあります。等分に模様が出るように糸をかがるのが難しくて。慣れるまでは、それこそ、クレイジーボールがいくつも出来上がってしまったんですよ」

「そうですかな」

「ようやく1個まともなのが出来上がったら、それで満足してしまいました。でも、薇綿の芯のは作ったことがないので、ちょっとやってみたいです」


 店主はそれはそれはとうなずくと、話題を変えた。


「糸かがりの手毬は上巳の節句の頃によく出ますな」

「雛人形と一緒に飾るのですね」

「吊るし雛にも使うお方もおられますな」

「さぞかわいらしくて美しいでしょうね。風に揺れていっせいに手毬が揺れて」


 左貫端万子は目を閉じてうっとりと言った。

 手仕事の話題で会話をするうちに、端万子はにわかに美しい陶製の指貫を使ってみたくなってきていた。


「これこそ非売品の展示物のような趣がありますね、引き取るというのは、指貫のようにお預かりさせていただくということですか」


 端万子は怪しむように店主を見た。

 押しつけておいて後から法外な代金を請求するつもりではないのかと、現実的な考えが沸き起こってきたのだ。


「文字通りですな。引き取っていただければお代はいりません。強いて言うならば、指貫をお貸しする貸出料ということになりますかな」


 店主はそれから、先ほど勧めた2個の銀細工のリング型の指貫を差し出した。


「こちらを記念にお求めいただけますかな」

「わかりました。では、この二つは買います。小函はお借りします。和布のキルトは購入させていただきます」

「ありがとうございます」


 店主は礼を述べると手早く指貫を1個ずつ袋に入れて「封」という文字のシールを貼った。それから小函をレース編みの巾着袋に入れた。


 その様子を見ながら端万子はキルトを畳んで風呂敷で包んだ。


 風呂敷の模様はキルトに継いであった友禅風のしだれ桜と同じだった。








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