翠埜真乎のヒザチグラ

「この写真は、翠埜先生が撮られたんですか。デジタルプリントですか」


 字宮は注意深く言葉を選びながら言った。

 デジタルであれば簡単に加工ができる。

 猫ちぐらを抱えた真乎は一見そういった方面に疎そうに見えるが、二十代であれば油断ならない。デジタル加工などは義務教育で一通り学んでいる世代だ。


「先生はおやめください、と言いたいところですが、その呼び方がご自分にとって自然でしたらそのままで。そうでないのでしたら、さん、で」


 相手を持ち上げて言葉を引き出そうとしたのを見透かされたような気がして字宮は言葉に詰まった。それから、しばし間をおいてから、言い直した。


「翠埜さん、この写真を撮ったのはあなたですか、デジタルカメラで」

「当相談所の守秘義務でして、お答えかねます」

「盗撮ではないのですか」


 真乎の返答にむっとして字宮が語気を強めると、真乎はきょとんとして写真を指さした。


「よくご覧になってください。字宮叶恵さんは、こちらを向いて、ポーズをとってらっしゃいますよね」

「ポーズ? 」

「はい、ご自分の姿を、ご自分の今の状態を、心情を、カメラに向かって表現されてるのです。字宮節佐さん、あなたに向かって」


 真乎は猫ちぐらの入口を字宮の方にくるりと向けた。


「お知りになりたいですか」


 真乎はこくびを傾げてにっこりした。


「そりゃあ、知りたいですよ。妻の様子がおかしくなったことを知りたくて、来たんですから」


 静かではあるものの決して暗いところのなかった字宮叶恵が、物思いに沈むことが多くなり、時に家族や自分のことすらも認識があやふやになることが増えてきて、字宮は、認知症を疑い検査をしたが、脳に異常はなかった。

 その後も、精神科、婦人科、カウンセリング、民間療法、お祓いなどに頼ったが、一向に改善されなかった。

 そして、ついに、あやしげな石の入ったものをペットか何かのように大事そうに抱えて家に持ち込んできたのだ。節佐は、叶恵を刺激しないように、それとなく様子を見てきたが、さすがに得体の知れないものを大事そうにしている姿に不安が頂点に達したのだった。

 そこで、最後の頼みの綱にとミドリノ相談室に連絡をとったのだった。民間の相談所というのはあやしいとは思ったものの、他にもう策がなかったのだ。


「では、ここに、頭を入れてください。仰向けでも、うつ伏せでも、横向きでもかまいません」


 真乎が膝の上にのせた猫ちぐらの入口の脇をポンポンと叩いて言った。


「え、今、なんて言いました」


 字宮は思わず声を上げていた。


「はい、ですから、猫ちぐらの中に頭を入れてください。MRIのような音もしませんし、お時間もさほどかかりません。あ、もしかして、閉所恐怖症ですか。でしたら、ええっと、天井に窓のあるタイプのものにいたしましょうか」


 大真面目な顔で話し続ける真乎に字宮は唖然としたまま言葉が出なかった。


「か、帰る。やっぱり、だめだったんだ。あやしいと思ってたんだ。たいした経験も積んでなさそうな若いもんに頼るなんて。ひざ枕なんかさせて、難くせつけて示談金でも巻き上げようって魂胆なんだろ」


 字宮は激して声は上ずっていた。


「弱りましたね。これが当相談所の、いえ、私の相談スタイルなんです。ひざ枕とおっしゃいましたが、ひざではありませんよ。ほら、ここに頭を入れていただくのですから、猫ちぐら枕です」

 

 真乎の口調は平静なままだ。


「そういうことを言ってるんじゃない。密室に男女が二人でいて、それだけでもこちらはだいぶ気をつかってるんだ、相談に来たのになんで気をつかわなければならないんだ」

「お気をつかわせてしまっていたのでしたら申しわけございません」

「謝られても、気をつかった時間は戻らない。もう、いい、帰る、本当に」


 真乎は字宮の最後に言った「本当に」という言葉を捉えた。


「字宮さん、本当に、ということは、その前までは帰るつもれいではおられなかったのですよね」

「知らん」

「そうですか」

「そうも何も、だいたいおかしいと思わないのか。カウンセリングには、ソファだかカウチだかに横になってするのや、催眠療法だとか、いろんな形態があるというのは知ってる、一般常識だ。だけどね、そんな稲わらで編んだかごに頭を突っ込んで、それも妙齢の女性の膝の上にのっけてあって、どう考えてもおかしい。翠埜さん、あなた、おかしいですよ」


 真乎は一方的にまくしたてられて、それでもこくびを傾げたまま、字宮の話に耳を傾けている。


「だいたいね、その、猫ちぐらか、それに頭を突っ込んで何をしようってんですか。稲わらで編んでるんだから、耳とか首まわりとか、わらのささくれが当たってちくちくするだけなんじゃないか」


 字宮の話に変化が表れていた。

 話し続けているうちに、本当はミドリノ相談室の、翠埜真乎の相談スタイルに興味があるということを思い出してきたかのようだった。


「わらのささくれですか、それは、大丈夫です。お座布団を敷いてありますので。私の祖母が心を込めて縫ってくれました」

「だから、そういうことではなくて」

「あの、ひざ枕って、気持ちいいですよね」

「はあ」


 いきなり話の矛先を変えられて字宮は話すのを止めた。

 それからひと呼吸おいてなつかしむように話し出した。


「子どもの頃、私は、祖母によくひざ枕をしてもらいました。畳の上に寝転んで、タオルケットをかけてもらって、祖母の子守唄を聞きながら、お昼寝しました」

「それは、いい思い出ですね。私は、母にひざ枕をしてもらって耳垢をとってもらうのが好きでしたよ」

「ああ、いいですよね、ひざ枕をしてもらって耳をいじってもらうのって。妻、叶恵にしてもらったのは、もうずい分昔で。気がついたら、子どもが彼女の膝を占領していて、預かっていた親戚の孫がまとわりついていて、彼女も嫌がってる風ではなかったし」

「そういう方、多いですよ。ですから、なつかしんで、くつろいでいただくのに、ひざ枕しながら相談を受けるというスタイルを考えたんですが、風俗繚乱と風評を流されてしまいました」


 そこで字宮は、はっと我に返った。


「当たり前ですよ。本当に、そんなことしてたんですか」


 字宮の声には笑いが含まれていた。


「いえ、チラシを配ったところで一度営業停止になりました」

「誰も止めなかったんですか」

「誰にも相談しなかったので」

「相談相手がいらっしゃらなかった」


 字宮の言葉に、真乎は、抱えていた猫ちぐらをぎゅっと抱きしめた。


「その後、誤解が解けまして、営業再開となりました」


 再び話の矛先が変えられた。


「そろそろ、よろしいでしょうか」


 真乎の声が静かに部屋に響いた。


「ひざ枕でしたら、ご免こうむりますよ」

「よろしいでしょうか」


 字宮の言葉をスルーして真乎が言った。

 すると、3回ノックする音がした。


「よろしいのですね。どうぞお入りください」


 ドアの開く音がした。

 字宮はその音に振り向いた。


「え、叶恵さん、どうして、ここに」

「節佐さん、予約してくれてたんでしょ」


 字宮叶恵が、ドアにもたれかかっていた。

 その後ろには、庚之塚沙綺羅が猫ちぐらを抱えて立っていた。

 沙綺羅はずい分重そうにしている。

 猫ちぐらの中に何か詰め込んであるようだ。

 

「お待ちしてました。字宮叶恵さん。さあ、これで、ご予約の通りにお二人ご家族でご相談をお受けすることができます。庚之塚さん、ありがとう、持ってきてくださったのですね」

「はい、事前に承ってましたので。では、私はこれで失礼いたします」


 庚之塚沙綺羅は持っていた猫ちぐらをローテーブルの上に置くと、一礼して部屋を出ていった。


「叶恵さん、お好きなところにお座りください」


 真乎に促されて、叶恵は迷うことなく字宮節佐の隣りに腰掛けた。

 革張りソファに三人並んで腰掛ける具合となった。


「では、改めまして、始めましょう。叶恵さん、ここに、頭を入れることになります。そして、思い浮かんでくることを口にしてくださることになります」


 どうやら翠埜真乎は自分の相談スタイルを変えるつもりはないらしい。

 字宮節佐は叶恵がどうするのか見守ることにした。

 

「ここは、猫ちぐらがいろいろあるんですね」

「はい、もしよろしければ、そちらの猫ちぐらをお預かりしたいのですが」

「これは、だいじなものなので」

「そうですか。では、お気持ちが変わられましたら、ぜひ、うちに」

「コレクションされてるのですか」


 それには答えずにっこりすると、真乎はテーブルの上の猫ちぐらの暗闇に光る眼に視線をおくった。


「人は、非日常に身を置くことで、自分を解放することができます。旅先でのびのびできたり、仮面をして身分を偽ることで自由に振舞えたりします。当相談室では、膝の上の猫ちぐらでそれを体感していただきます」


 真乎はそう言うと、猫ちぐらを抱えたまま立ち上がって字宮節佐のところに行くと、彼の膝の上に猫ちぐらを置いた。


「叶恵さん、ここに頭を入れて、思い浮かぶまま話してください」


 真乎は字宮のひざの上の猫ちぐらをぽんぽんと軽く叩いた。

 叶恵は、字宮節佐の顔を見ると、ふっと微笑みを浮かべてうなづいた。

 そして、ソファに横たわると、猫ちぐらに頭を入れた。

 猫ちぐらが揺れた。

 支えようとした叶恵の手に字宮が手を重ねた。


「あたたかいです。眠ってしまいそう」

「おやすみなさい」

「おやすみ、って眠ってしまっては、話がきけない」

「叶恵さん、節佐さんはあなたのお話をききたいそうです」

「うれしいです、私の話をきいてもらえるんですね」


 叶恵の声がはずんだ。


「はい。いくらでも」


 真乎のその言葉が合図となって、字宮叶恵は話し出した。









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