番外編

きよへきよえ

 仮想空間に人間を閉じ込めて村を作る。

 これが会社のプロジェクトだったら、馬鹿げているし失敗するのでやめろとしか言えない。


 だけれど、この話はなんとしても成功させなければいけない。

 だって、これは遊びではないのだ。大切な人が生きるための唯一の方法かもしれないのだから。


 ここじゃないどこか別な世界。

 子供のころからあこがれていた。

 剣と魔法の世界で、ドラゴンと戦ったり、お姫様を塔から助ける。

 そんな妄想ばかりする子供だった。

 今でいうとちょっと空気の読めない子供だったんじゃないかと思う。

 そんな私が今まで問題なくやってこれたのは幼馴染の存在のおかげだった。


 いつもそばにいて、私を助けてくれた。

 オタクって陰口をたたかれていえば、いじめっ子を呼び出して決闘を申し込み、勝利をおさめてきた。

 得意な科目しか勉強しない私を𠮟りつけ、受験をするのに十分な学力をつけさせてくれた。

 会社にはいるときは、コミュニケーションが得意でない私の面接や履歴書の面倒までみてくれた。


 彼女はいつも私のそばにいてくれた。

 そして、こっそりと私を助け続けていた。


 幼馴染の腐れ縁なんて言葉を使っていたが、彼女に恋心を抱かない方が無理である。

 就職して安定した給料をもらえるようになったときに、彼女に結婚を申し込んだ。

 申し込んだといっても、いざ彼女を前にすると言葉が出てこなくてただ買ってきた指輪の箱を開けて彼女の前で跪くことしかできなかった。

「遅い!」

 ちょっと頬を膨らませて彼女は怒ったあとに、「幸せにしてあげる。だから、貴方は私と結婚するのよ」と男前なプロポーズをしてくれた。

 彼女には決して叶わないなと思いながら、いつか彼女の役に立てるようになりたいと思った。


 結婚生活はとても幸せなものだった。

 穏やかな日々だった。

 懸命に働く私を彼女は支えてくれた。

 毎朝、彼女が起こしてくれる。

 幼馴染としてではなく、一つ屋根の下に住む妻として。

 彼女と暮らすことで生活にメリハリがでてより一層仕事に打ち込むことができるようになった。彼女が整えてくれるベッド、体に優しい食事、清潔で手入れされた服。どれもが私の生活を豊かにした。


 そんな生活が変わったのは、彼女が事故にあってからである。

 事故によって体の自由を失った彼女はふさぎ込むようになった。

 失ったのは体の自由だけではない……。

 事故以来、歩くことのできなくなった妻は別人のようになってしまった。

 いつも明るく朗らかで人と話すことが大好きな妻は、一日中ベッドからでない。

 気分転換に外にでることを進めても、車いすではお荷物になってしまうからと断る。

 妻は別人のようになってしまった。


 妻は笑わなくなった。


「私はもう貴方の役に立つことができない」

「生きている意味なんてない」


 そんな言葉を繰り返すようになった。


 ただ、妻がそばにいてくれるだけでいいのに。

 何もしてくれなくても、いてくれるだけで十分だった。

 幼いことから私は妻に守り続けられてきたのだ。

 今度は私が妻を守りたい。守って当然だと思っていた。

 それに、妻と快適に暮らすためにさまざまなサービスを利用できるだけの給料もそのころにはもらっていた。

 なにもかも、ここまでこれたのは妻のおかげだと思っていた。

 決して私一人ではここまでの知識や能力、そして収入を得ることなんてできなかった。

 妻が子供のころから支えてくれたから、私はその分野の第一人者と言われるような技術者になることができた。

 残りの人生は妻への恩返しをしながら生きて生きける貯蓄も十分にあった。

 妻が望むならのんびりと二人で船で世界一周をしながら暮らすことだってできる。


 だけれど、妻はそんな風に思わなかったらしい。


『離婚してください。貴方の幸せのために』


 それだけ書き残して妻は死を選んだ。

 幸か不幸か、妻の体の自由が利かなかったおかげでその試みは失敗した。


 私は妻に何もしてやることができなかった。

 ずっと助けてもらっていたのに。

 私は妻に何もしてやれることがない。

 私の人生は妻のためにあるのに。


 妻のためにできること……彼女が元と同じように自由に動ける場所を与えてあげたいと思った。


 医者にどんな大金を積んでも惜しくはないと思っていた。

 だけれど、それをかなえられる医者はいなかった。


 そして行き着いたのが、全く別な分野、ゲームなどに使われる技術の応用だった。

 皮肉なことに私が子供のころから夢を見ていた世界が妻を救うことができるのではないかいかと結論付けた。

 私を虜にし、夢見がちな少年としたその夢の技術は実用化を目前に何度も消えては生まれを繰り返していた。


 実験は成功した。


 多くの人が安全に利用できる仮想空間はいまだサービスとして開始されていないが、特定人間のためだけに作られた仮想空間は現実と変わらない、いや現実の代わりになる世界を作ることができた。


 記憶情報の改ざんや、人間の感覚の低下などという方法を利用した。

 特に香りについての情報だけは最低限にした。

 香りは記憶と結びつきやすいためどうしても現実でのつらい出来事を思い出してしまうから。


 今日も妻は私が作った世界の中で生きる。

 昔と変わらず楽しそうに家事をして私の世話をやく。


「ほかにやりたいことはないのかい?」と尋ねると、「あなたのそばにいられることが一番だから」とほほ笑んだ。

 妻が住みたがっていた、海外風のドールハウスのような家。

 妻は楽しそうに料理をして、踊る様にしながら家事を片付けていく。

 本当はそんなことに時間をさかなくてもあっというまに一瞬で元通りにできるのだが。


 ある日、妻は嬉しそうに話してくれた。


「お隣の家ね、とても可愛らしい子が引っ越してくるらしいの」

「ああ、ちょっとわけありみたいなんだ。親切にしてあげてくれ」


「もちろん」


 妻は子供のころと変わらない、まっすぐで純粋な目をしていた。


「愛してるよ、清香……」


 私は彼女への愛を初めて口にした。

 妻はふふっと笑って「知ってる」と答えた。


 私たちがこれからどうなるかは分からない。

 ただ、仮想空間の中であっても彼女に愛を伝えられたこの日を私は忘れないだろう。

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