第18話 ミントグリーンにベージュ

「大丈夫ですか。顔色が優れないみたいですけど?」


 なんとか個室から抜け出し手をあらっているとき、そんな声が後ろから聞こえた。振り向く前に目の前の鏡越しに声の主の姿を確認する。

 ミントグリーンのワンピースにベージュのカーディガンに、くるんと巻かれた茶色の毛先が見えた。

 ――フォクシーのワンピースに完璧な巻き髪。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。

 都会の百貨店にいるのかと錯覚してしまう。

 こんな田舎、しかも住民のための施設でこんな服装の人をみるなんて想定してなかった。

 四つ葉のかたちをした白蝶貝とオニキスのネックレスが目立っていた。

 可愛らしくて華奢な感じの女性だった。


「はい……なんとか」


 わたしは少し混乱したまま答える。

 だって、どうみたって目の前にいる女性はこんな田舎の公共施設ではなく、都会のほうがふさわしい。

 田舎の主婦の料理教室だからといって、手抜きな恰好をしてきた自分がみすぼらしく思えた。


「そう、大丈夫ならよかったです。貴方、新しくこの村に引っ越してきた有瀬さんの奥さん……たしかお名前は歩惟さん、ですよね。これからよろしくお願いしますね」


 そう言ってにっこりとほほ笑んだ。

 ああ、わたしが誰か分かるのか。そうだよね、みんな顔見知りなんだもの。見たことがない人がいればそれが新しく入ってきた異質な存在だと分かるよね。

 でも、せめて名前くらい教えてくれればいいのにと思った。

 わたしは取り合えず、頭を下げて「よろしくお願いします」といった。

 新入りなんだから、とにかく素直で害がないことを周りに示さなければいけないと思った。

 上手くいったのか、目の前の女性は「あらあら、可愛らしい方。村の一員になってくれて嬉しいわ」とほほ笑む。

 わたしは肯定も否定もせずにあいまいに笑った。

 なんだか昔もこんな会話をしたことがあるような気がした。


「大丈夫そうなので、失礼しますね。有瀬さん、お大事になさってくださいね」


 そう言って、完璧な巻き髪の女性は去っていった。

 入れ替わる様にして、キヨさんが化粧室に入ってくる。


「大丈夫? なかなか戻ってこないから心配したのよ~」


 キヨさんは本当に心配そうな顔でこちらをみつめる。

 まっすぐとこちらをみるその瞳には本当に心配していることが伝わってきた。

 わたしはどっと疲れると同時に、普段のキヨさんは上品なのに気さくで本当に人をリラックスさせてくれるいい人なんだなとしみじみ思った。

 そう、キヨさんとなら女性同士の会話の疲れる感じがまったくしなくて、心からくつろげる人なんだ。

 さっきの人が悪いというわけじゃない。

 女性同士の会話って、お天気の会話をするようなものである程度、型が決まっている。

 それをきちんとになぞることができるか確認して、相手が大丈夫な相手か見定めるのも大切なことだ。

 自分と気が合わなくたって、ちゃんとルールを守れるならばある程度の尊重はするし悪いことばかりじゃない。

 ああいう会話をするのは久しぶりだから疲れただけ。


 ただ不思議なのは、さっきの人はああいう女性にしては珍しく香水の匂いがしなかった。

 ああいう女性は絶対いい香りがするはずなのに。

 そういえばキヨさんも、香水の香りがしない。


 料理をするせいだろうか。それとも、旦那さんの好みだろうか。


 どちらにしても二人とも上品で恵まれた女性なのに、香水の香りがしないという共通項がはっきりと目の前で示されて、わたしは少しだけ困惑した。


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