第15話 翌朝

 翌朝、目を覚ます。

 昨夜のことが頭の中にこびりついたままだった。

 すべてを変な夢だったということにして、忘れてしまいたかった。

 ユキトさんはもう布団の中にはいなかった。


 畑を見に行くと、ユキトさんがいた。

 ユキトさんには珍しく少し困った顔をしていた。

 わたしが来たのをみて、ユキトさんはなにかを隠そうとする。


「おはよう……」


 わたしはなんとか挨拶をするがそれ以上の言葉が浮かばない。

 だって、なんていえばいいの?

 思っていることを口にするのが、正しいのならば次に出てくる言葉は、『ゆうべはどこにいっていたの?』、『一人で外にでてはいけない村の決まりじゃなかったの?』、『それとも誰かと一緒にいたの?』という相手を尋問するような言葉になる。

 だけれど、それらを口にしてはいけないような気がした。

 言葉にした瞬間に、ユキトさんもなによりわたし自身も、どこにも逃げ場がなくなってしまうような気がした。

 今ならまだ大丈夫。

 変だけれど、変じゃない。

 あれは全部わたしがみた奇妙な夢だったのだ。

 夢じゃなければ説明がつかない。昨日わたしが一人ででてしまったのが夢じゃないのならば、ユキトさんだってわたしが夜一人で外を歩いたことになる。わたしが村のルールを破ったことをユキトさんは放っておくなんてことできるわけがない。

 この前の夜、わたしが事情を知らない時でさえあんなに大慌てで止めたのだから、決して破ってよいルールではないはずだ。

 だから、あれはきっと夢。現実なんかじゃない。

 わたしは必死に自分の意識から目をそらす。

 そういえば、いまユキトさんが隠そうとしたのはなんなのだろう。


「大丈夫、疲れてるんじゃない? なんか明け方うなされていたみたいだし、今日は無理しなくても大丈夫だよ」


 ユキトさんはいつもどおり優しい。

 だけれど、なにか不自然だ。

 たしかに、睡眠不足で眠いし混乱することばかりだし、今日家で休んでいていいというのならとてもありがたい。

 わたしは疲れているのかもしれない。

 体もむくんでいてとても眠い。


「本当にいいの。今日の畑しごと一人だと大変じゃない?」

「大丈夫。それに、歩惟の体調の方が大切だよ」


「じゃあ、お言葉にあまえて」とわたしは家に戻ることにする。家にもどって、ユキトさんの朝ごはんを作ったら、布団に戻って眠ろう。

 どろどろと頭のなかに、白い絵の具を流し込まれたような眠気が頭の中にもやをつくる。

 ああ、だめだ。本当に寝ぼけているみたい。

 わたしは畑の方にハンカチを落としてきてしまったようだ。家に戻って手を洗おうとしたときに気づいた。慌てて、わたしは慌てて畑の方に戻るとユキトさんの後ろ姿が見えた。いつも通りの光景に安心する。

 だけれど、なにか変だ。昨日までとなにかが違う。

 ぼんやりとした頭で必死に考える。畑に近づくにつれその違和感がどんどんと大きくはっきりとしてきた。

 畑があらされている。


「ユキトさん……これは?」


 ユキトさんはわたしに気づいて気まずそうな顔をした。


「ああ、内緒にしておきたかったんだけど」


 どうやら、昨夜のうちに畑があらされたらしい。大方、たぬきやイノシシのしわざだろうとユキトさんは言っていた。「こんな山の中だからね。獣の一匹や二匹くらいでるんだよね」と苦笑いした。


「獣って本当にたぬきとかイノシシなの?」


 ゆうべのキヨさんの家での光景がよみがえり、わたしは思わず言っていた。


「うーん、あとはクマとかキツネもありうるけど……」


 ユキトさんはわたしの様子の変化には気づかずに、野生生物の種類について考え始める。

 昨日、キヨさんを襲っていたのもたぬきやイノシシなのだろうか。それとも、クマとでもいうのだろうか。

 わたしは思わず、キヨさんと二匹の獣がこの畑で、植物を踏みつぶしながらまじわるすがたを想像する。

 踏み倒された苗たちをみてなんだか涙があふれてきた。

 せっかくここまで育ててきたのに。

 わたしが泣いているのをみて、ユキトさんはそっとハンカチを差し出した。

 そう、さっきわたしがここに忘れていったハンカチ。

 ハンカチを忘れたことに気づかなければよかった。


「ほら、こんな顔をさせたくなくて帰らせたのに、ごめんね。あしたまでには何とかしておくから」


 ユキトさんは悪くないのに謝る。わたしがハンカチさえ忘れなければこんな悲しい気持ちにならずにすんだのに。わたしが、ハンカチをとりにもどらなければきっとユキトさんは気遣ってくれたとおりにこのことをうまく隠してくれたのに。

 ユキトさんに肩をだかれて、わたしは家の方にもどった。

 ユキトさんはミルクをあたためて、紅茶をすこしとはちみつをたっぷりたらしたものをマグカップにいれてわたしてくれた。


「これを飲めばよく眠れるから」

「ほとんどミルクの紅茶?」

「そうだよ」

「はちみつはたっぷり?」

「もちろん」


 いつものお決まりの会話だった。わたしがおちこんだり調子がわるいときユキトさんはいつもこれを作ってくれる。

 あまくて温かいそれを飲めばよく眠れるはずだから。

 眠れば、次に目が覚めたときはすこしだけましになっているはずだから。


「あまい……」


 わたしがふうふうと息をふきかけて冷ましながら飲んでいるようすをみて、ユキトさんはわたしの髪を撫でる。


「おちついた?」

「うん」


 やっぱりわたしはユキトさんに守られている。わたしにはユキトさんしかいない。


「おやすみ。きっと次に目覚めた時は気分がよくなっているはずだよ」


 ミルクの温かさでうつらうつらしているわたしにユキトさんはそっと毛布を掛けながらそうささやいた。

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