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 保健室の先生にらいくきるが発症したことを告げると、先生は申請用紙と『らいくきるが発症したら』という2枚の紙を僕に手渡した。

 申請用紙には名前や住所、連絡先を書く欄があり、紙の中央には大きめの四角い空欄がプリントされていた。きっとここに消したいものを書くのだろう。


『らいくきるが発症したら』というプリントに目を通す。

 内容は殆ど知っているものだった。


 正式病名はライトキール症候群。

 カナダのライトキールとかいう偉い学者が最初に見つけたらしい。

 日本ではその治療法から、好きなものを殺すという意味でlike killという病名が広まった。

 ただ、病名にkillという単語はふさわしくないとして、らいくきるというひらがな表記が広まるようになった。

 カタカナ表記だと、killという英単語が連想されやすいだとか、似たような名前のソシャゲがあったため、検索避けの意味でカタカナ表記を回避したとか色々言われているが、本当のところはよく知らない。

 らいくきるは思春期の男女が発症する。

 胸に他人には見えない穴が空いたらそれが発症のしるしだ。

 この穴を放っておくと徐々に穴は広がっていき、全身に穴が広がる頃には自我を失ってしまうらしい。


 穴を消すには自分の好きな物をひとつ捨てなければならない。

 申請用紙に好きなものをひとつ書くと、それを素に特効薬が作られ、自宅に届く。その注射を打てば穴は綺麗さっぱり無くなる。それと同時に、素材となった好きなものは好きではなくなってしまう。


 例えば申請用紙にりんごと書いたら、りんごを素材にした特効薬が作られ、それを接種するとりんごが好きではなくなる。服と書いたら服を素材とした特効薬。接種すると服を好きじゃなくなる。ある特定の人物だったらその人の一部、髪とか爪とかが必要になってくる。


 タムラは確か、申請用紙に怪獣と書いていたはずだ。その場合、怪獣の写真や人形の一部を使って特効薬を作ったのだそうだ。

 その特効薬を打ったタムラはあれほど熱中していた怪獣の特撮やプラモデルに一切の興味を示さなくなり、以前は怪獣グッズで溢れていた部屋も今では真っ白な殺風景な部屋に変わった。


 エロセンは名前の通り、エロいものが大好きで口を開けば下ネタ、近くに女子がいるだけで集中力を欠き、エロい想像をしてしまうため、勉学にも支障が出ていた。

 彼はらいくきるを発症した際、申請用紙にエロい物、と半ば強制的に書かされて、特効薬を打った次の日には別人になっていた。

 女子が近くにいても集中力を欠くことはなくなり、成績はめきめきと伸びた。エロいことも言わなくなり、女子には紳士的に接することが出来るようになったため、彼の人気もうなぎ登りである。

 エロいことが好きじゃなくなったなら勃たなくなったのか、とタムラと僕で聞いてみたことがある。

 エロセンは首を振って


「勃つっちゃ勃つよ」


 と言った。


「ただ、今までは美味しいものを食べるのが好きで、お腹が大して減っていなくても色んなおやつやデザートを食べてたけど、今はウィダーインゼリー少し食べればいいやって感じ。単純に食べることが好きじゃなくなって生きるために食べるみたいな。それの性欲ヴァージョンだと考えてもらえれば」


 エロセンはこのようにらいくきるのお陰でいい方向に生まれ変わったのだが、もちろん逆のやつもいる。


 それはクラスの青山というやつで、彼は元々サッカー部のエースだった。サッカーがとにかく好きで、明るく、リーダーシップもあり、彼はわかりやすく人気者だった。


 しかし、彼は申請用紙にサッカーと書いた。いや、書かされたと言った方が正しい。


 彼の母親はいわゆる教育ママで、サッカーに熱中する息子をよく思っていなかった。もう1年もすれば受験なのだからもっと勉強に身を入れて欲しいと思っていた。

 だからこそ、サッカーを好きじゃなくなれば今までサッカーに向いていたエネルギーが勉強に向くと思ったのだろう。


 結果として青山はすっかり気が抜けてしまい、サッカーはもちろんやらなくなったし、勉強だって殆ど手をつけない。明るさやリーダーシップもすっかりなりを潜めてしまった。


 このように申請用紙に書くものは慎重に考えなければならない。

 書くものによってはエロセンのように成功するかもしれないし、青山のように大失敗するかもしれない。


 当然、ここに好きじゃないものを書いても意味はなくて、なんの効果もない注射器がうちに届けられるだけだ。そうするともう一度、今度こそ本当に好きなものを申請用紙に書いて送らなければならないが、問題はお金だ。

 1本目の特効薬は保険が効くので無料で作られるが、2本目になると3万円を自費負担しなければならない。


 僕が2枚の用紙とにらめっこしていると「決めたの?」と保健の先生が話しかけてきた。


「何を消すか」


 先生は僕の顔を見ていた。


 再び彼女の顔が過ぎる。


「考えます」


 僕はそう言った。

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