五年に一度、咲く花々。

「道を歩いていたらこの国が見えたので、どんな所か気になって、来てみたんです」

「今は気候も穏やかで、過ごしやすい時期ですよ」

「本当にそうですね。ただ、そうやって気の向くままこの国に来たので」


 グラントは紅茶を飲みながら、茶色の前髪をかきあげた。


「俺はこの国についてよく知らなくて」

「なぜ、私が災厄の娘と呼ばれているのかも?」

「はい。君に、外の国の話をしてあげてほしい、とだけ言われて来たので」


 彼の話を聞きながら、災厄の娘は肉を切り分け、口に運ぶ。


「君はいつもここにいるのですか? 外には?」

「物心ついた時から、ここに一人で住んでいます。望めば、ここから見えるあの庭には出ることができます」

「いつも一人なのですか?」

「私は災厄の娘ですから。私に、必要以上に近寄る人もこの国にはいません」


 そう言ってから、災厄の娘は慌てて付け足す。


「あなたを私に会わせたのは、あなたに災厄を与えたいからではありませんよ。あなたの話を聞くためです」

「なぜなのか聞いても良いですか?」


 野菜を飲み込むと、こくっと娘は頷いた。


「この国には言い伝えがあるのです。国に害をもたらす災厄の娘が百年に一度生まれる。前の災厄の娘が生まれてから百年経った十七年前のある日、私が産声を上げた時、この国には嵐と地震が起こりました。その時から、私は災厄の娘と呼ばれています」

「こんなこと言っていいのかわかりませんが、そういう言い伝えは旅する中で何度も聞いてきました。その度に思うんです。確率の問題ではないかと」

「確率?」

「この国にそういう考えはないんですね。俺の祖国では、ある物事が起こるか起こらないか、それを計算で知ることができるすべがある。百年に一度なら大きな災害は起こりそうなものですし、あなたの他にも同じ日に生まれた娘がいたのでは?」

「……私が生まれてから泣く度、その日天は荒れ、地は揺れたと言います。そして一際大きく泣いた時、周りの家を残して、私の家はしまいました」


 娘は赤い果汁の飲み物を飲んだ。


?」

「突然、屋根に亀裂が入り、そこから崩れてしまったんです。家族は逃げることができましたが、私は瓦礫の下敷きに。父と母が必死に瓦礫をどけると、そこには無傷の私がいたそうです。父と母は怪我をしながら逃げたというのに。その時、二人は、私は災厄の娘だと悟ったそうです。災厄の娘は自らが起こした災厄で傷つくことはありませんから」


 災厄の娘は、呆然と話を聞いているグラントに目線を向けた。


「あなたの仰るような考えもこの広い世界にはあるのでしょう。でも、私にもこういった話が色々あるのです。私は自分でも思いますよ、私は災厄の娘なのだと」


 グラントは考えるように、紅茶を口に含んだ。焼菓子を一つ食べると、机の上で手を組む。


「事情もよく知らないくせに、余計なことを言ってしまったみたいです。失礼しました」

「今までの方も、同じようなことを言ってきましたから。大丈夫ですよ」


 そう言って、災厄の娘は微笑んだ。小麦粉を焼いた主食を一口かじる。


「私の涙が災害を起こしたように、私の、怒り、悲しみ、憎しみといった負の感情が災厄を呼びます。過去の娘の時代には国中の植物が枯れたり、川が干上がったり、そんなこともありました。娘を乱暴に扱ったり国外に出したりすれば、巨大な災厄が国を襲うと言われているので娘は丁重に扱われ、望んだものは大抵、娘のもとに届くようになっています。歴代の娘はこのようにして暮らしてきました」


 娘は、最後に残った肉の一切れを野菜で巻くと食べた。気づけば、どの器も空になりつつある。


「一人で閉じこもって暮らすのは、できるだけ心を平穏にするため。風邪をひいて私が気分を悪くするだけでも、大変なことになるので。でも、人とは難しいもので。ずっとこんな生活をしていると欲が出てきます。どこか遠くに出たい、と」

「なるほど。だから、君の行けない、遠くから来た旅人から遠い場所の話を聞くんですね」

「はい、これが私の楽しみなのです。どうか、あなたの話を聞かせてください」


 娘が見ても、彼は視線を逸らすことはない。それだけでも娘には嬉しいことだった。


「正直、俺でいいのかなと思います」


 グラントは菓子の皿を娘に寄せた。盛られた焼菓子は一人では減りそうにない。娘は料理を食べ終わってから、礼を述べて焼菓子を食べた。


「俺は、好きで旅人になったわけじゃないんです。ちょっと悪いことをしてしまって、祖国に居づらくなりまして。旅をするしかなくなったというか、留まる所を探しているというか。そんな男の話でよろしいのですか?」

「よろしいです。何ならあなたの、そのちょっと悪いことのお話でも」

「ははっ、勘弁してください。まだ若いお嬢さんにするような話じゃないです」


 慌てて腕を振るグラントの様子が面白く、娘は久しぶりに声を上げて笑った。

 グラントは恥ずかしそうに腕を下ろすと、真剣な顔で考え始めた。焼菓子を一つ、また一つと口にする。

 娘はどんな話が始まるのか、期待に胸を膨らませて待ち、やがてグラントは言葉を紡ぎ始めた。


「ここからずっと南にある国に、逆さまに生える木があるんです。常緑で、馬車が何個も入りそうなくらい大きな木が」

「葉っぱが下で幹が上ってことですかっ?」


 娘の反応を見て、彼女がまだ聞いたことのない話だとわかると、グラントはすらすらと語り出した。


「そうです。俺も実物見るまで信じてませんでしたが、広い湖の上に大きな木が七本、逆さまに生えているんです。湖が空をそのまま映せるくらい澄んでるから、自分が逆さまになってるのか木が逆さまになってるのか、見てる内にわからなくなるんです。花が咲くのにも、不思議な条件があって」

「それはどんな?」


 グラントはその時の光景を思い出すように、視線を遠くに向ける。


「その花は夜明けに咲きます。しかも五年に一度だけ咲くんです。丁度、今年でした」

「五年に、一度」

「その国には、大きな紅いくちばしと紅い脚、長く紅い尾を持った、白い翼の鳥がいるんです。体の大きさはこれくらい。尾は体と同じくらい長く、翼を広げると体の倍の大きさにはなるかと」


 グラントは、人の顔ほどの丸を宙に描いた。


「その鳥も五年に一度しか卵を産まない。その日が来ると、逆さまの木に巣を作るんです。そのさまは、木を赤や白で飾り立ててるみたいで、それも綺麗でした」


 娘は相槌を打つのも忘れて聞き入った。グラントは話し上手で、抑揚をうまくつけて話し、ここぞという所では間を少し置いて話す。気づけば引き込まれていた。


「鳥が卵を温め続けて何日か経った、ある晴れた夜明けに卵は一斉に孵ります。鳥たちは弦楽器のような声で鳴いて雛を迎えます。その歌の中、日を浴びたところから木の花が上向きに咲くんです」


 娘は待ってましたと言わんばかりに、机に少し身を乗り出す。それを見て、グラントは両手を開くと天井に向け、手首の付け根同士を合わせた。


「その花はこんな大きさです。真ん中が膨らんだ細長い花びらが八枚で、赤と白の花びらが交互に四枚ずつ。花びらの先だけの色をしていて、それはとても綺麗で。一日しか咲かないのが惜しいくらいでした」

「一日しか咲かない?」

「鳥たちは、子供の誕生を祝福するように木の上で踊ります。その踊りが止み、朝日が完全に空に昇る頃、花は散ります。鳥が散らした羽根と散った花びらが、一斉に青空と湖の上を舞うんです」


 災厄の娘は、その光景を頭の中で思い描こうとした。でも、どんな想像よりも本物の光景は美しいに違いないとすぐに思い直して、止めてしまう。


「花の種は実らないのですか?」

「実るけど、その鳥が飲み込んでしまうんです。そのままどこか遠くへ種を運ぶのだと、その国の人は言っていました」


 空いた茶器に、グラントは紅茶を注いだ。


「人が植えても、その種は決して芽吹かないそうです。その鳥にしか芽吹かせることができない、そう言っていました。だから、新たな木がいつ、国のどこで芽生えるのかは人にはわからない。その鳥しか知らないのだと」


 グラントはそこで紅茶を一口、二口と飲む。


「その鳥も、その木でしか卵を産まない。互いがいないと上手くいかないから、他国にその鳥もその木もない。だから、その国では結婚を申し込む時に、鳥の羽根と木の花を贈る慣習があるそうです。あの鳥と木のように、互いに支え合いながら生きる誓いの証として」

「それだと、五年待たないといけないですね」

「ええ。だから代わりに、木で作った花の模型に羽根を飾って贈るそうです。たまに、本物の花が咲くまで待ち、散る前に贈る猛者がいるらしいですが」


 それから室内につかの間、静寂が戻る。

 災厄の娘は、膝の上に両手をのせ握り締めた。彼女は満足げな笑みを浮かべ、何度も頷く。


「本当に素敵な光景なんだろうなって、お話を聞いているだけで楽しかったです。あなたがいなければ知ることのなかった景色を教えてくれてありがとう。ところで、その」

「どうぞ」

「どうしてこの話をしようと思ったんですか?」


 小さく声を出すと、グラントは一瞬躊躇ためらう素振りを見せ、


「あなたがここから出られないと知った時、あれほど美しい光景を見せるのに、その場から動けないあの木を思い出したんです。今思えば失礼な話ですね」


 言いにくそうに答えた。


「そんなことないです。こんな私と、美しい光景を重ね合わせていただいて光栄です」

「謙遜しなくていいですよ。君は綺麗な人だから。素敵な笑顔で話を聞いてくれて、俺も嬉しいです」

「えっ?」


 そんなことは初めて言われた。娘が戸惑っている内に、グラントは立ち上がると部屋の扉を開き、外で待機している従者に何かを伝えた。

 従者から何かを受け取ると戻ってくる。それは、彼の荷物が入った鞄のようだった。


「これを」


 グラントは言いながら、鞄から取り出したものを娘に差し出した。

 娘は立ち上がるとそれを受け取る。畳まれた紙だ。紙を開くと、先が色になった赤い花びらが一枚入っている。


「その木の押し花です。お土産として貰いました。あの国の方は押し花が上手で、あんまり花の色変わっていないんですよ。よかったら、あげます」

「五年に一度しか咲かないんでしょう?」

「俺はまた見ようと思えばあの花を見れます。決まった年にあの国に行けばいいだけです。だから、どうぞ」


 娘は花びらを見て、グラントを見て、それから頭を下げる。


「ありがとう、一生大事にします」

「こちらこそ。喜んでもらえて嬉しいです。それじゃあ、すみません。次に行く場所があるので、これで失礼します」


 グラントも礼をすると、もう一度入口に向かい始めた。その様子を見て、娘は悲しげに唇を結んだ。

 グラントは振り返ると、娘の表情に驚いたのか言葉を発する。


「何でそんな顔されてるんですか」

「あなたと会うのはこれで最後ですもの」

「そういう決まりなんです?」

「だって、あなたは旅をされているでしょう? この国にまた来ると限らない。この国は小さな国ですから、旅人自体多くないですし、私は今まで同じ旅人に会ったことはありません」


 グラントは彼女の言葉を聞くと、ごく自然にこう返した。


「じゃあ、また来ますよ」

「えっ?」

「俺は船が苦手で。祖国のある大陸から、この大陸に来た時に酷く船酔いして。今のところこの大陸から出るつもりがありません。一年に一度くらいだったら、この国に来れるかも」


 彼は優しげな笑みを浮かべた。


「祖国で悪いことをしたって言ったでしょう。ずっと考えてたんです。こんな俺に何かできることはあるのかと。俺で良ければ、君のささやかな願いを叶えさせてくれませんか」

「グラントさん。私には、あなたは悪いことをする人に見えません。だから、あなたが覚えていてくれると言うなら。また一年後お会いしましょう。待っています」


 娘はうわった声で言葉を紡いだ。


「ええ、また」


 グラントは言い置くと扉を開けた。入れ替わりに従者が入ってきて、食器を片付け始める。

 グラントの姿が見えなくなった後も、娘はその場で立ち尽くしていた。手の中にある花びらを、愛おしそうに見つめる。


「また、っていい言葉ね」


 噛みしめるように、娘はつぶやいた。


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